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5月1日

2006-04-30 23:21:46 | セナ部
今年もまもなくこの日がやってきます。避けて通れるものなら避けて通りたい、けれど、一生この日のことを忘れることはないし、対峙して生きていくんだと思う。それはセナがいなくなった日。94年5月1日、サンマリノGP。

93年シーズン終幕とともに最大のライバル、プロストが引退し、このシーズン、セナは完全に追う立場から追われる立場に変わってしまっていました。ライバルがいなくなったレース。開幕2連戦リタイア。そんな中でどうモチベーションを保っていくのか?と心配したり、心配ではなくたきつけるような記事も出ました。そしてF1の舞台はイモラ、サンマリノGPへ・・・。

悪夢のイモラ。実はセナの事故だけでなく、重大事故が多重に起きてしまっていました。

金曜日、予選一日目。セナと同じブラジル出身のバリチェロがフェンスに激突。意識不明のまま病院に運ばれる事故が発生。(彼は幸運にも大事に至らず、翌日には退院し包帯姿でサーキットに姿を見せた)

土曜日、予選二日目。新人ドライバーのラッツェンバーガーがコンクリートウォールに激突し死亡。すぐにその現場に向かったセナ。けれど繊細なセナの心は激しく動揺しかき乱されたであろうことは、容易に想像できます。その後再開されたセッションにも出てこず、その日の予選は一周も走ることなく全てをキャンセル。

運命の日曜日、決勝。スタート直後に2台のマシンが激しくクラッシュ。飛び散った破片がグランドスタンドに飛び込み、観客が大怪我を負うという大事故。コースに散らばるおびただしい破片。むろんレースは中止が妥当かと思われた中、続行されたのでした。

そして7周目。トップを走っていたセナは、突如として一瞬のうちにタンブレロコーナーに吸い込まれていってしまったのです。

・・当時、「自殺だったのでは?」など、心ない言葉を言う人もいました。
セナと親しかった人達が、「最近のセナはいつものセナではなかった」とセナが悩んでいる様子を心配していたり、「事故もそんな精神面が出たのでは?あきらめたのか?」というようなことを書いている人もいました。
私は、「セナがあきらめるはずがない」と思いながらも、何から考えていいのか、絶望の中でセナは逝ってしまったのか、事故のことを考えるたび、言葉にならない感情に押しつぶされそうになっていました。

けれど私は、セナが最後に残したある真実に出会うことができたのです。