昨年末は思い出したように関東周辺の日本100名城や続日本100名城を訪れていたのですが、それはそれとして、もっと小さな城なども機会を見つけては訪れていました。
そんな中の一つ、東京都板橋区にある赤塚城跡と、その近くにあるいくつかの城跡を巡ってきました。
東武東上線・成増駅から徒歩15分ほどの所にある赤塚公園の一角に、赤塚城跡はあります。
公園から一段高くなった丘の上が、赤塚城本丸跡です。
本丸は広場になっていて、石碑が建っています。
本丸から、東側を見下ろして。
シーズンじゃないので咲いていませんが、広場の南側は梅林になっています。元々は梅畑だったところを、農家の方から譲り受けたものだそうです。
見終わったところで、今更ながら周辺地図。この近くには板橋区立美術館や、板橋区立郷土資料館があります。
以前来たことがありますが、板橋区美は小さいながら、独特な展示をしていてなかなか面白い美術館です。
地図にあった散策路も歩いてみました。
そんなに長くはないですけど、いい雰囲気の散策路です。
最後に、南側から望む赤塚城跡。
あまり明確な遺構は残っていないのですが、周囲から一段高くなっている丘の上ということで、いかにも城跡がありそうな雰囲気が漂っています。
本当はこの近くに二の丸跡がある浄蓮寺があるのですが、そこはスルーしました。
赤塚公園は赤塚城のある城跡地区だけでなく、首都高沿いにも細長く伸びています。
その辺りは沖山の塁と呼ばれていて、やっぱり城跡があったようです。
小高い丘が長く伸びていて、いかにも防御拠点にしたくなるような場所ですね。
続いて、赤塚城から東へ4㎞ほどのところにある志村城跡へ。
現在、本丸のあったエリアはほぼ小学校やマンションになってしまっているのですが、二ノ丸にあたる場所が熊野神社となっています。
ここから赤羽駅まで移動して帰宅する、というのが想定していた最短ルートだったのですが、時間は早いしまだまだ余裕で歩けそうなので、この際だからもっと歩いていくことにしました。
最近、「ニッポン城めぐり」というアプリを入れたので、それを参考に近くの城跡や館跡を巡っていきます。
まずは平柳蔵人館趾。荒川を渡って、埼玉県川口市までやってきました。正直、思っていたより距離があって大変でした……。
住宅地の中にある、それほど広くない公園の一角に、石碑のみが残されています。
平柳蔵人は太田資正の家臣だそうですが、あまり詳しいことは伝わっていないようです。
赤羽まで戻ってきて、赤羽駅の西口からすぐ近くにある稲付城跡へ。
稲付城は太田道灌が築城したと言われている城。現在は静勝寺になっています。
赤羽から南下。豊島氏館というのもあったのですがそこはスルーして、荒川から分岐した隅田川を渡り、宮城氏館跡へ。
宮城氏は元々豊島氏に従っていましたが、のちに太田氏、北条氏と主家を変えていきました。小田原征伐の後、江戸時代に入って、二代将軍秀忠以降、旗本として仕えていたようです。
宮城氏館跡は、現在は氷川神社となっています。
その後、王子駅を通り抜けて、現在金剛寺となっている滝野川城跡、そして上中里駅近くの平塚神社となっている平塚城跡と廻ったのですが、写真を全然撮っていなかったので割愛。ついでに、いい加減疲れてきたので、上中里駅から電車に乗って帰りました。なんだかんだで、25㎞ くらいは歩きましたかね。
有名な城でなくても、小さな城跡を巡るのもなかなか面白いものです。ただ、遺構がまるで残っていなくて、寺や神社になっていたり、石碑がポンと立っているだけというところも多いんですよね。今回訪れた中では、城跡としての見ごたえがあったのは赤塚城くらいだったでしょうか。志村城跡や稲付城跡あたりは、まだ小高い丘の上にあって、いかにも築城するのに適当そうな場所だなぁという感じもありましたけどね。
今は緊急事態宣言も出ていて近場にも出かけていませんし、予定通り3月に緊急事態宣言が解除されたとしてもすぐに遠出はできません。比較的近場の中でも、面白スポットを見つけていく努力も必要ですね。
そんな中の一つ、東京都板橋区にある赤塚城跡と、その近くにあるいくつかの城跡を巡ってきました。
東武東上線・成増駅から徒歩15分ほどの所にある赤塚公園の一角に、赤塚城跡はあります。
公園から一段高くなった丘の上が、赤塚城本丸跡です。
本丸は広場になっていて、石碑が建っています。
本丸から、東側を見下ろして。
シーズンじゃないので咲いていませんが、広場の南側は梅林になっています。元々は梅畑だったところを、農家の方から譲り受けたものだそうです。
見終わったところで、今更ながら周辺地図。この近くには板橋区立美術館や、板橋区立郷土資料館があります。
以前来たことがありますが、板橋区美は小さいながら、独特な展示をしていてなかなか面白い美術館です。
地図にあった散策路も歩いてみました。
そんなに長くはないですけど、いい雰囲気の散策路です。
最後に、南側から望む赤塚城跡。
あまり明確な遺構は残っていないのですが、周囲から一段高くなっている丘の上ということで、いかにも城跡がありそうな雰囲気が漂っています。
本当はこの近くに二の丸跡がある浄蓮寺があるのですが、そこはスルーしました。
赤塚公園は赤塚城のある城跡地区だけでなく、首都高沿いにも細長く伸びています。
その辺りは沖山の塁と呼ばれていて、やっぱり城跡があったようです。
小高い丘が長く伸びていて、いかにも防御拠点にしたくなるような場所ですね。
続いて、赤塚城から東へ4㎞ほどのところにある志村城跡へ。
現在、本丸のあったエリアはほぼ小学校やマンションになってしまっているのですが、二ノ丸にあたる場所が熊野神社となっています。
ここから赤羽駅まで移動して帰宅する、というのが想定していた最短ルートだったのですが、時間は早いしまだまだ余裕で歩けそうなので、この際だからもっと歩いていくことにしました。
最近、「ニッポン城めぐり」というアプリを入れたので、それを参考に近くの城跡や館跡を巡っていきます。
まずは平柳蔵人館趾。荒川を渡って、埼玉県川口市までやってきました。正直、思っていたより距離があって大変でした……。
住宅地の中にある、それほど広くない公園の一角に、石碑のみが残されています。
平柳蔵人は太田資正の家臣だそうですが、あまり詳しいことは伝わっていないようです。
赤羽まで戻ってきて、赤羽駅の西口からすぐ近くにある稲付城跡へ。
稲付城は太田道灌が築城したと言われている城。現在は静勝寺になっています。
赤羽から南下。豊島氏館というのもあったのですがそこはスルーして、荒川から分岐した隅田川を渡り、宮城氏館跡へ。
宮城氏は元々豊島氏に従っていましたが、のちに太田氏、北条氏と主家を変えていきました。小田原征伐の後、江戸時代に入って、二代将軍秀忠以降、旗本として仕えていたようです。
宮城氏館跡は、現在は氷川神社となっています。
その後、王子駅を通り抜けて、現在金剛寺となっている滝野川城跡、そして上中里駅近くの平塚神社となっている平塚城跡と廻ったのですが、写真を全然撮っていなかったので割愛。ついでに、いい加減疲れてきたので、上中里駅から電車に乗って帰りました。なんだかんだで、25㎞ くらいは歩きましたかね。
有名な城でなくても、小さな城跡を巡るのもなかなか面白いものです。ただ、遺構がまるで残っていなくて、寺や神社になっていたり、石碑がポンと立っているだけというところも多いんですよね。今回訪れた中では、城跡としての見ごたえがあったのは赤塚城くらいだったでしょうか。志村城跡や稲付城跡あたりは、まだ小高い丘の上にあって、いかにも築城するのに適当そうな場所だなぁという感じもありましたけどね。
今は緊急事態宣言も出ていて近場にも出かけていませんし、予定通り3月に緊急事態宣言が解除されたとしてもすぐに遠出はできません。比較的近場の中でも、面白スポットを見つけていく努力も必要ですね。
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