雑居空間
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 白河小峰城へ行った後、近くにある白川城へと向かいました。



 白川城は白河小峰城を築いた白河結城氏が、小峰城以前に本拠地としていた城です。正確な築城年は分かっていませんが、結城朝光が源頼朝から白河の地を与えられ、朝光の孫・祐広が、1289年頃に白河に入り、白川城を築いたとされています。
 その後、16世紀初頭には、白河結城氏の本拠が白川城から小峰城に移ったと考えられています。さらに小田原征伐後の奥州仕置きにより白河結城氏が改易になると、白川城は廃城となりました。



 白川城は白河小峰城から南東に2.5㎞ほどにある、藤沢山に築かれています。



 コメリハード&グリーン白河旭町店のそばを通り過ぎます。店舗の写真を取り損ねたのは痛恨の極みでした。



 谷津田川を過ぎたあたりで、山へ入っていく道へ。



 歩道がないので、車が通るたびに緊張します。



 しばらく行くと案内板があります。



 舗装された細い道を登っていくと、白川城跡に到着します。



 階段を上っていくと、白川城の主郭部に出ます。





 主郭部にあった縄張り図です。
 西の藤沢山から東の搦目山に渡り、城域は結構広いですね。ただ、ほとんどのエリアは整備されておらず、お手軽に見学できるのは主郭部に当たるこの御本城山とその周辺くらいです。



 後村上天皇聖跡之碑。
 後村上天皇は後醍醐天皇の子で南朝の2代天皇。南北朝の争いが始まる以前は、東北地方で奥羽将軍府を開き、白河結城氏もそれに従う有力大名でした。
 この碑の説明文があったかどうか憶えていませんが、そんな関係で、後村上天皇に関する何かしらのことがあって、この碑が建てられたんだと思います。



 忠烈碑。
 これも詳細はよくわかりませんが、文章を拡大して読めるところだけを読んでみると、多分結城白川氏を褒め讃えている文章が刻まれているように思います。



 小さなお社もありました。



 御本城山から西の方へ下りていきます。



 その先には土塁跡が残っています。



 その西側に、何かの石碑が建てられています。



 石碑の奥にも道が伸びているのでもう少し先へ進んでみます。先の縄張り図によれば、西の方に長く伸びている平場に相当する場所だと思います。



 ある程度進んでいきましたが、このまま進んでも行き止まりか、あるいは民家まで出ちゃう感じだったので、そこそこのところで引き返します。



 土塁まで戻ってきました。



 御本城山の南を回り込んで、御本城山の階段下に出ます。



 今度は階段の東側、腰曲輪的な部分へ。



 ある程度の広さのエリアになっています。
 ただ、ゴミがやたら捨てられているのが気になりました。なんなんですかね、これ。缶とかペットボトルが多かったのですが、こんなところでわざわざ飲み食いするのもおかしいし、ここまで捨てに来るというのも却って面倒だろうし。いずれにしろ、嘆かわしい行為です。

 

 東側は搦目山。そちらにも遺構があるようなのですが、間に谷があるし、通路も無いので今回そちらに行くのはやめておきました。



 この後、またしばらく周辺の観光を続けます。





 続いて、白川城から2㎞ほど離れたところにある、南湖公園へ。



 その名の通り、南湖という湖と、それに隣接する森林公園で構成されています。



 森林公園内には「ふくしまの遊歩道50選」に選ばれているハイキングコースがあるので、ちょっと歩いてみました。



 山登りというほどではありませんが、ある程度のアップダウンがある道を歩いていきます。









 全然大した山登りじゃないのですが、一応YAMAP を起動していました。
 行動時間は11分、移動距離は745m、累積上りは49m、累積下りは31mでした。





 南湖の西側に到着。





 普段撮らない花の写真なんかも撮ってみたりして。



 南湖から新白河駅に戻る予定だったのですが、時刻表を調べてみると、新白河駅での待ち時間が1時間30分くらいになりそうでした。13:55の次が、15:47なのか。ちょっと間隔空きすぎ……。

 そんなわけで、新白河駅の一つ隣の白坂駅まで歩くことにしました。



 ただ、ここまで歩いてもまだ時間は余っています。もう一駅歩こうかとも思いましたが、次の駅までは6㎞以上あるので、さすがに今度は間に合わない可能性もあります。



 そこで、白坂駅から東へ1㎞ほどのところにある、金売吉次兄弟の墓へ。



 金売吉次と言えば、奥州と京を行き来して金の売買をしていたという商人。源義経と奥州藤原氏の話にはよく登場しますね。
 ただ、吉次という特定の人物がいたという証拠は無く、金売りを生業としていた複数の商人のイメージが混ざり合って吉次という人物像が構成されたようです。



 ここに葬られているのは、吉次、吉内、吉六の三兄弟で、京と往来する途中、ここで盗賊に襲われて命を失ったそうです。彼らもそんな商人の一人だったのでしょう。



 吉次の墓の案内板には、後に義経がここを訪れ、近くの八幡宮に合祀したと書いてありました。実際近くに八幡宮という神社があったので来てみたのですが、思いのほか小さな神社でした。





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