かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

ハスの花

2018-07-12 | 気ままなる日々の記録

有料老人ホームには建物の南側に大きな池があってそのなかに、車椅子も通れる遊歩道が

造られています。その池にはいま沢山の蓮が植えられていてあの見事な花も今が満開で所狭しと咲き誇って

います。先日家内に車椅子を押してもらって、蓮の花を見にでかけた。

 丁度そこにここ「有料老人ホーム」の理事長さんが来ておられたので、僕が「見事な花ですねえ」と話しかけたら、理事長さんが「そうですねえ、近々にまた蓮の花が咲きみだれているところで、御目に掛かれるといいですね、」と云われた。

 僕は一瞬何のことだか分からなかったが、すぐにハッと気づき「そうですね。その節はよろしく」といった。理事長さんもホッとされたようで、右手をすっと出されたのでぼくもだして、硬い握手をした。蓮の花が咲き乱れている所は仏教でいう「極楽」である。生前に善い行いをした人は死後蓮の花が咲き乱れているところにいくといいます。蓮の花の上には「阿弥陀如来という仏様がおられて、死者を優しく受け止め死者の望むことを叶えてくださる」といいます。

 つまり、理事長さんは極楽で逢おうと云って下さったのである。

 僕はパッとこの理事長さんが好きになりました。お医者様は何と言っても科学者ですから、一面氷の様な心の持ち主と思いがちですが、死後についてこんな夢のあるお話ができる理事長先生が好きになりました。以上(ダイヤ・ドラゴン)

    

                                   蓮の花


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2 コメント

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死を悟ること (your fried T.S.)
2018-07-13 11:34:09
このごろ夜中に目が覚めた時 ふっと 文字来死ぬのだ と感じる事があります。そうだ女房も死んでしまったし 子供たちはそれぞれ一人立ちして生活している。もう私がしんでも悲しむ人はいないのだ。死んだ方が皆喜ぶかもしれない と一人思う事があります。この世とあの世があるとすれば 死んだら女房にあの世であえるだろうか いや 女房が死んでからもう3年過ぎているから その間にほかに大勢死んでいるので あの世に行っても女房がどこにいるかわからないかもしれないなあ などと考えたりします。こんなことを思うのはやはり本人が死期に近づいていることを悟るように本能がさせているのかも知れません。
これからは 死に向かっていることを悟って生きて行くことが積極的な生き方なのかもしれません
私を診察してくれる医師も 人間みんな死ぬんだでよう 死ぬ準備をしていかないかんぞ と言っています。これが仏教でいう 悟り なのでしょうか
います。
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貴兄の宗教観始めて拝聴。 (ダイヤ・ドラゴン)
2018-08-02 09:13:46
仏教の根本教義は「死後は阿弥陀如来にお任せします。」ということのようです。「南無阿弥陀仏」といつも唱えておれば阿弥陀如来が救ってくださるという信仰のようです。
それより、貴兄の思考は真っ直ぐに核心に迫るところが若い頃とかわりませんね。敬祝・慶祝
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