半藤一利さんに惹かれて半藤さんの本ばかり読んでいると、先に書きましたが、その背後にはどうして、日本は全く勝ち目のないアメリカとの戦争に突き進んだのか少しでもその理由が知りたいという好奇心があったからです。
半藤さんの言葉を借りて言えば、「「昭和と 云う時代の背後にはいつも、「赤い夕陽の満州が あった」ということになります。確かに中国東北部に軍隊を出し、征服してしまってから当時の清国に鉄道敷設権を認めさせ、その鉄道保護のための軍隊を駐留させ,やがて、行政権や警察権まで奪ってしまったわけですから、植民地確保に熱狂していたイギリス、アメリカ、スペイン、フランスなどの理解が得られるわけもなく、アジアを中心に植民地争奪戦を展開していたこれらの国に参入したことになります。
それにしても、考えられ戦争をやすやすと始めたりしたわけです、「冷静な判断」というものが、まるでない
狂気、あるいは、集団発狂状態に陥りやすい国民性については、冷静に反省し二度と集団発狂しないためには何をあの戦争から学ぶべきかを十分に検討しておく必要があると思われます。半藤氏が指摘している四文字七音の言葉に弱い日本人と云う視点も興味深いと思います。
尊皇攘夷「そんのうじょうい」、
八紘一宇「はっこういちう」
一億一心「いちおくいっしん」
七生報国「ひちしょうほうこく」などなどです。
意味も分からず小学生の頃からこういう言葉を口にしいつの間にかそれが真理だと思い込んでしまうところが日本人の特質のようです。
八紘一宇は「日本書紀に出てくる言葉で、昭和15年ごろから盛んに云われるようになり女の子には紘子《ひろこ》男には一宇(かずくに)と云う名前がつけられるようになりました、
八紘は四方と四隅、つまり世界のこと、一宇は一つの家と云う意味で合わせて世界を一つの国にする、もちろんその中心にあるのは日本です。天孫降臨と云う神話に出てくるお話です。
こうした神話を広めたのは、日蓮宗の在家宗教家で田中智学と云う人が国柱会という政治団体を結成し八紘一宇をこの団体の柱にして宣伝したのでした。この言葉に多くの日本人がかぶれてしまって、理性を失ってしまったような状況が出現したのでした。後になって、植民地化されたアジアの諸国の独立と連帯を強め、白人支配からの解放を意図したのが太平洋戦争だったという言い訳が生まれたのも「八紘一宇」の拡大解釈で、しょせんは、日本の神話に立脚した勝手な解釈で世界にもアジアにも受け入れられるはずもない、おとぎ話でした。
日本を代表するような東芝の粉飾決算のニュースを聞くたびにすごく優秀な人たちがあんな許されないことに手を貸していった日本的なムードにゾーッとさせられます。組織の論理に同調していく日本人的あり方がここにも表れ、「八紘一宇」に熱狂したのと同じ弱さを見る思いです。自然災害の博物館のような日本列島に住んだ日本人は洪水にせよ大地震にせよ、起きてしまった時にはごちゃごちゃ云っていなくて、皆で力を合わせて復旧に努めた方が勝ちと云う生き方を身に着け、いろいろな考え方を大切にし真に正しいものは何かと云うことを考えない習慣を身に着けてしまったという見方もできます。
皆で心しないとまた世界を相手に戦争をする羽目になったり、あっさり富を奪われたりしそうですよね。半藤さんの本からそろそろ卒業しようと思っています。夢中で読んだのは以下の2冊です。
「あの戦争と日本人」文春文庫 半藤一利著
「昭和史1926~1945年」平凡社ライブラリー671 半藤一利著