ユーモアは、卒業として、現在は文春文庫「十二月八日と八月十五日(半藤一利著を読んでいます。著者はご存じのとおり、東大の文学部をご卒業の後、文芸春秋社に御就職,やがて月刊「文芸春秋」誌や週間文春の編集長をご歴任、我が国の論壇に広い人脈をお持ちであるとともにご自身も昭和史の研究者として何冊かの本を出版しておられる方です。この本で著者は12月8日午前6時から時間ごとに総理官邸や閣議の模様をドキュメンタリー風に描いておられます。
「大本営陸海軍部発表」「帝国陸海軍は本八日未明,西太平洋に置いて米英軍と戦闘状態に入れり」の発表まで時の総理大臣も外務大臣もこの作戦について何も知らなかったということである。
一番滑稽なことは外務大臣が東京の駐日米国大使館に電話しようとしたら、警察の手によって開戦と同時に、米国大使館の外線は全部止められていて通じなかったということである。天皇も出席する御前会議も事後承諾を求める形式で事後議題にしている。海軍部のこうした作戦をぼんやり聴いていたのは前総理で政界の重鎮だった近衛文麿が、山本五十六連合艦隊司令長官と雑談したとき山本が「日米開戦となったとき、最初の一年は充分に暴れて見せますが、二年目に入るころは、危ない、従って政府には、開戦と同時に和平の交渉に入り、戦況有利なうちに講和に持ち込んでほしい」と云っていた、と云う程度の情報しかなかったということである。
だから、今あの大戦はどんな会議で誰の責任において開戦が決定されたかが、今日でも不明であるということである。東京裁判ではこの近衛氏が死刑になっている。アメリカ的には誰が何時開戦を決めたか分からないということは、ありえないことである。しかし、日本では、大切なことほどそれが分からないのが常である。いつの間にか、空気がそのような雰囲気になり、いつの間にか決まり、責任者はいないようになっている。
村の寄合から大会社の取締役員会まで、いつの間にか「空気が」流れ、「空気に逆らうような意見は議論をする前に無視される」。こんな文化の我が国がアメリカに押し付けられて自衛隊の出動を認めたら、すぐに大きな間違いを起こす危険性があると思われます。
チョット喩はよくないですが、数年前女子高校生が仲間外れの子をつくりみんなでいじめる時に「あの子はKYだからと云う言葉を使うということが新聞で話題になったことがあります。KY_は空気読めないの略だそうで、要するにみんなで仲間外れにしてしまうという「いじめ」でした。ここでいう、空気が日本特有のその場の雰囲気と云う奴で、背後にいる実力者に同調するという協調性と云う奴で、没個性を要求する集団の文化です。これが国を誤らせる危険性があるかです。
↑ 我が家のサクランボ!