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かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

今日は8月15日

2017-08-15 | 気ままなる日々の記録

  敗戦記念日である。また、お盆の精霊流しの日でもある。

 オソマツ君の家はいわゆる旧家で仏壇内の御位牌も多く、墓石も多い、宗派は浄土宗である。

 浄土宗では「先祖代々の墓と云う石碑を立てることを嫌ったそうで、墓地も過密化が進み、間もなく墓地の拡張が必要な時代になる。勿論、もう土葬で新仏が出ると、墓堀当番が回ってきて、このときばかりは、休暇をとって、穴掘りをしないと、村八分になってしまうということもない。

 八分と云うことは残り弐分は村の付き合いをしてもらえるということらしい。この二分は火事と葬式だそうだ。子どもの頃近くの老人にきいたことがある。

 しかし今日お盆に関して「地獄の窯のふたがあくとか」、先祖の霊をお迎えするための「お迎え火を焚く」家もすくなくなった。(T)

 

                                                         台風の被害

 


台風の後で

2017-08-13 | 気ままなる日々の記録

  台風5号は、3番目に長い長寿台風であったそうだ。どちらへ進むのかと随分やきもきさせられたが、当地方へ最接近したのは、月曜日の夜10時ごろだった。風雨共に強くなり、雨音がやかましくて、眠れないとおもっていたが、意外といつも通り眠ってしまった。気が付いたら午前3時、そのころはとても静かになっていた。

 それでも、昨年のように稲の被害はないかと、夕方田の方へ散歩に出た。途中いつも通る無花果畑に2台も車が止まっている。すれ違う時に荷台を見ると口が開いた無花果の箱が数個、思わず

「大きな実ですね。家の無花果の2倍はありますよ」

と褒めると、とびきり大きい口の開いた無花果を差し出してくださった。

「下さるのですか。、ワア嬉しい」

というより先に手が出てしまったかもしれない。

「口は開いていても味はかわりないですから」

と云っててわたされた無花果はずっしりとした重みがあり、いかにも完熟の感じがした。

 私は無花果には思い出がある。家に直径15センチくらいの無花果の木があり小学生の頃登校前に妹と二人でよくとっていた。朝の空気がひんやりとした感じととり終わった後の篭の重たさをいまでも思い出すことができる。その無花果の色合いと戴いた無花果の色はとてもよく似ているが、時期と大きさには違いがある。

 いただいたいちじくを主人が両手で大切に持ち私が急いで車いすを押して、部屋に着いた。その間10分。主人は不自由な手に力を入れ過ぎたのか

「早く無花果から解放してくれ」

と云っていた。夕食のデザートに食べたら甘い無花果本来の味と云うかやさしい味がした。こんな無花果はもう二度と味わう機会はないだろう。(E)

    

                                          おいしかった無花果

 

 

 

 

 

 

 

 

 


週刊文春 7月27日号 その2

2017-08-09 | 気ままなる日々の記録

 読みたいエッセイの続きが楽しみで、いそいそとコンビニへ買いに行った7月27日号の表紙について書こうと思う。

 私はもともと表紙のイラストレーターのフアンになっていたのだが今回は店で手にした途端「わー、これは素晴らしい」と思った。グレーのバックに真っ白なエアーメールが題材である。しかも郵便局のスタンプがカナダとはっきり押されてある。一目見ただけで、何と夏らしく涼しさを感じさせる表紙だろうと思った。10ドルの切手には、針葉樹の木々が茂る緑深い森。15セントのもう一枚の切手には、切り立った岩山の峰々と野生の動物たち。よく見ると2枚の切手の上の方にはフランス語と英語の両方で郵便料金と印刷されている。切手の下の方には大きな活字でcanadaとある。どう見ても本物と見間違えそうである。

 後で分かったことであるが、この表紙は1978年4月20日号に初めて載ったもの。今年の7月20日号で2000回達成したものによるアンコール作品であることを知った。道理でいい筈と一人で納得しているわけであるがこれからは時々アンコ―ルの作品がでるらしい。買わなくても表紙だけでも見られる。一日おきに400円は買い物をする常連客にはこれくらいのことは許してもらえそうな気がする。

 週刊誌の出来上がる水曜日には、和田家の玄関には見本が置いてあり、それを見て奥様の平野レミさんが「和田さん、上手じゃん」と云うと「一応プロだからね」とクールな返事が返ってくるそうだ。

 何とも爽やかな夫婦の会話ではないか。(E)

       

                                                                   散歩道で。

 

 

 

 

 

 

 


涼風至る。

2017-08-09 | 気ままなる日々の記録

  日本の古来から使われてきた「七十二候」によると、昨日八月八日は「涼風至る」で涼しい風が初めて吹いてくる頃だといいます。

  朝夕のちょっとした風の中に秋の訪れを感じさせると云います。

 「涼風」(りょうふう)を「すずかぜ」と読んで俳句の世界では晩夏の季語だそうです。

 こうした日本人独特の季節感に満ちた言葉を大切にし次の世代にも伝えるべきだと思うのだがどうだろう。

 義務教育の学校でキチンと教えて、何千年もこの地に住み移ろう季節を慈しんだ先輩たちの言葉と感性を次の世代に渡したいものだ。

 酷暑と極寒しかないアメリカ大陸やヨーロッパ大陸の人たちの真似ばかりすることが文化的ではなかろう。

 子どもの頃母親から日没を「綺麗な夕日だねえ」と教えられた子供こそ豊かな感性を持つ人になるときいたことがあります。俳句に見られる季節感あふれる感性は日本人の誇るべき特性で大いに若い世代に伝えたいと思う。(T)


あおもりねぶた。

2017-08-05 | 気ままなる日々の記録

  今日8月5日青森も弘前もねぶた祭りの日だと思う。

   ねぶた祭りの起原は諸説あるようだが、冷夏を恐れた農民たちの火祭りが起原とする説や、「ねぶた」の起原は「眠気」を追い払おうとしたという説までいろいろあるようだが青森、弘前の農民の生活の中からの願いが起源で、ヨーロッパの伝統行事のように宗教に由来しないところが僕は好きだ。ラッセ・ラッセィと云う掛け声もオソマツ君のこのむところである。 自虐史観や西洋崇拝の文化論はやめて、日本の伝統行事に着目してそこに含まれている先祖の高貴な精神世界に着目する日本史観を学校教育で教えたいものだ。

 太陽暦か陰暦化江戸時代まで、長い間農村では太陰暦だったので、農作業も陰暦による物が多い。オソマツ君の家の方は江戸時代からの農村で伝統行事は全て太陰暦によって行われていた。敗戦によって、我が国の近代化と云うふれこみですべてを太陽暦によっておこなおうとしたが、これによって、失われたものもたくさんあった。

 その一つに端午の節句がある。我が家では母がそうした伝統行事を大切にする性格だったので、太陰暦の5月5日には菖蒲湯へ入った、男の子は菖蒲の葉で鉢巻をしてお風呂に入り女の子は菖蒲の葉で矢を作ってそれを髪に刺してお風呂に入っていた。オソマツ君は子供の頃お風呂は好きでなかったが、しょうぶ湯は好きであった。第一菖蒲の香りがお風呂に満ちれいるのが好きだった。今はもうそうした伝統的な習慣も失われて農村の生活から季節感がなくなった。(T)

 

                                  稚魚が3匹。                                  

 


習作川柳

2017-08-05 | 気ままなる日々の記録

「初めから、泳ぐ気のない水着かな」という川柳が入選したとかテレビでやっていたのに刺激されオソマツ君も作ってみた。

お爺さんが息をしていないと騒ぐおばあさん、へ「大丈夫!そちらは顔でなくお尻だよ」オソマツタロウ作

昔どこかの生命保険会社が「シルバー川柳」と云うのを公募していて、時折入選作を発表していたが、もうあれはなくなったかしら。まだやっていたら、応募したいんだけど・・・・・・・・。シツレイしました。これぞまさしく「徒然なるままに・・・・・・、怪しゅうこそものぐるほしけれ」です。

 

 


百円玉

2017-08-03 | 気ままなる日々の記録

   此処の施設の1階には、こじんまりした売店があった。シルバーカーや車いすの人でも気軽に行け危険がないせいかよくみんなが利用していた。勿論私も1週間に2回ぐらいは買っていた。便利なのは近くのコンビニにはない果物があったことだ。もう一つの利点は百円玉が手に入ることであった。

   私は自分で洗濯ををしている。洗濯機に300円、乾燥機に300円、1日おきに洗濯をするので、月に15回で9000円100円玉が90個必要になる。コンビニもだめ、事務室もダメであった。

   ところが、この売店が6月末で閉鎖されてしまった。とうやって100円玉を手に入れようか。勿論銀行まで行けば簡単に手に入るが遠すぎる。近くにあるのはコンビニが1軒、施設のバスをりようすると、大きなスーパーマーケットが一つ、これで何とかできないかといろいろ考えてみた。

 手っ取り早いのが歩いて2~3分のコンビニ。1日おきに400円以下の買い物をして、6個の100円玉を手に入れる。コンビニでは少額の買い物でも平気だ。1パイ100円のコーヒーを買う人が大勢いる。元来コンビニとはそういうものだ。

 最近までスーパーばかり利用していた私は毎回まとめ買いばかりしていた。少しの買い物に慣れていない、でも馴らさないといけない。月1回スーパーへ出かけて1回ごとに1000円札をだし、会計を何かいもする。こういう手もあると思いついたがまだ実行していない。コンビニの方は順調に実行している。(E)

  

                                                 水辺の花

 

 

 

 

 

 

 

 


吉田兼好(兼好法師)著「徒然草」の通り。

2017-08-01 | 気ままなる日々の記録

   ここ有料老人ホームは従業員用の広い駐車場を弐カ所にもっている。駐車場には白線が弾いてあり満車になると見事である。

99%が軽自動車でいろいろと飾り立ててある。持ち主は女性と思われる。働く女性が増えて軽自動車の需要が増加したと思われる。

それぞれの家庭では、軽がセカンド・カーとなっていることだろう。

これが安倍さんの云う「国民総就業社会なのだろう。更に単純労働は機械化されいろいろ判断が求められる仕事だけを人間がするようになり、人間の労働単価はますます向上し、 不足するのは空間とエネルギーと云う未来予測もある。

  まだ日本では聞かないが間もなく高校生が車で通学するようになる。

 高校は生徒の駐車場確保に頭を痛めることになる。

 高校生の駐車場を確保するには駐車場の立体化しかない。

 高校は3階建ての駐車場を造るしかない。そして、こうした新しい時代が来るのは意外に早いだろう。

 だって、江戸時代東京から京都まで歩いていたし急ぎの手紙は文箱を担いで走る人がいた。当時の人が新幹線を想像していたかどうか知らないが、まあ以外に早く新幹線ができた。

 「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」という標語があるが、江戸時代の人が現代人にそう聞いたら、

  我々は何と答えるのだろう?(T)

  

                   8月の蓮池

 

 

 

 

 

 

 

 


梅雨明けの日に

2017-07-29 | 気ままなる日々の記録

   梅雨明けのニュースが流れた日の夕方散歩に出た。その日は本当に梅雨が終わったと思えるような、湿度の低いそよ風がてきとうにある素晴らしいひであった。

それでも、高齢者にとっては強い日差しはよくないと思い、夕食後の6時過ぎに出かけた。

給水用の側溝の水がさらさらと流れ先日の大雨で池と化した田もすっかり元気を取り戻し爽やかな夏の日が広がっていた。

  よく見ると、田も私たちが子どもの頃見たのとはずいぶん異なっている。水はわさび田に近いほどきれいだし浮き草や水草・藻などもない。そのためかボウフラやメダカ、オタマジャクシも見かけない。機械化されたのみでなく、そこに住む生物までも変化していることに驚いた。

 田の稲の様子も違う。主人がいつも田植えが遅れがちな田にやきもきし毎朝窓から見ているのを知っていた。一番最後に植えられたその田は何と草の中に苗が植わっているのである。これも新しい現代的な方法かもしれないと思ってしまう。しばらく歩くと苗と苗との間に隙間の無い田に出会った。一番びっくりしたのは。麦を刈り取った後株をそのままにして、水が張ってある田である。休耕田にされるつもりだろうか。

 今も昔も変わらないのは、田の畔に生えている元気な雑草たちだけである。(E)

     

                                                               珍しい田

 

 

 

 

 

 

 

 


週刊文春 7月27日号

2017-07-26 | 気ままなる日々の記録

 近頃に無く出るのを待ってコンビニへ買いに行った週刊誌である。何が目当てかというと平松洋子さんのエッセイで「ぬかづけ」の話である。先号ではとてもおいしそうに、糠漬けを付けている様子が書いてあり、そうそう私もそういう時があったなど、思い出し懐かしくなってしまった。

 例えば夜中に胡瓜3本を漬け翌朝半分取り出して浅漬けを味わい、その夜もう少し漬かったの 又翌日よく漬かったのとだんだん変化してゆく味わいを確認して・・・・・・。と云うあたりなど自分があたかも糠漬けを漬け糠に手を突っ込んでいるような、感触がよみがえり、他人事ではなくなってしまった。

 その糠床に異変がおき、7月27日号は終わった。

 行方が気になって1週間が待ち遠しかった。原因は一回かき混ぜるのを忘れたためかと信じがたい様子だったが、結論はかき混ぜ不足が乳酸菌の敗北を招いたとしている。

 私などすぐかき混ぜるのを忘れてしまい糠床が酸っぱくなり卵の殻をいれたり新しい糠を加えたりした。其れでもすぐに元に戻らないと諦めてまた新しい糠床を作っていた。何しろ夏場はなす、人参、キュウリなど、野菜がどっさりあったから。

 ところが、食べ物について、エッセイを書くこのエッセイストは糠床を2週間以上かけて、復活させるのである。

復活させるということができるということ、また作者の根性に驚かされている。そして、あーあー、もう一度糠漬けに挑戦したいなと思わしめるプロの文にも感嘆しているのである。(E)

    

                                                           花とミツバチ

 

 

 

     


[水切り」について。

2017-07-25 | 気ままなる日々の記録

   オソマツ君は「館内散歩と称して車椅子を漕いで3階へ出かけます。

 3階には広い出窓があって、其処から外を見下ろすと、広々とした田畑が見渡せます。

 先日もボンヤリ田圃を見ていて「アツ水切りだ!と思ったものでした。

   「水切り」と云うのは丁度梅雨明けの頃,わざと水路を止めて田の水を無くし、稲にショックを与えます。稲は驚いて、全身の力を振り絞って、根を地中深くのばします。これが大切で8月の中頃本当に雨が降らなくて稲が枯れそうになったとき、深く伸びた根から水分を吸収することができ、豊作を実現するというのです。

  この「水切り」は「艱難汝(かんなん)なんじを玉にする」という諺にも通じ、若いときの苦労は将来役に立つということのようだ。その水切りを今も実行している田圃があることを見つけ、凄い郷愁を感じた。

 今はもう「艱難汝をたまにする」という考え方は消えて子供たちが苦労しないように気を配るのが一般的になった。これも敗戦によるアメリカ化と物質的豊かさ尊重の時風だと思っている。(T)

      

                                                         戴いた朝どり完熟トマト

 

 

 


 思い出すままに。

2017-07-22 | 気ままなる日々の記録

    ここ「有料老人ホームにはリハビリ専用コーナーがあって、自転車に跨ってペタルを漕ぎ、脚力を付ける器具とか二本の平行棒に捕まって歩行訓練をする器具とかがあって患者が筋力をつけるためによくここへ連れてこられる。「さあ、○○訓練を50回やりましょう!」といわれて、へとへとになるまで、しごかれる。

 命令するのは「理学療法士」と呼ばれる資格を持ったトレーナーで、一応国家試験があって、合格者に与えられる医療関係の技術者。何しろ筋肉強化が目的で、まあ力士《相撲取り》のトレーニングと同じですごくハードだ。「理学療法士は20歳代後半の女性が多く、高齢者の患者さんとよくもめる。

 先日もお婆ちゃんと理学療法士と本気で喧嘩を始めた。理学療法士はいつも「これをやらないと「寝たっきり」になりますよ」と云って脅す。お婆ちゃんは、少しもあわてず「私の前から消えろ!」とわめいておられる。僕はすぐにお婆ちゃんの味方になった。

 そして理学療法士にいったものだ。「君たちは学生時代人間の骨の名前や骨についている筋肉の名前をおぼえただろう?」と聞いた。すると「そうです」という。全く骨の名前や筋肉の名前を覚えるのは人間の体の仕組みを理解するための手段であって、治療と全く関係がないですよ。筋肉強化なら、楽しくどこかにゲーム性とか記録性を取り入れ、患者を夢中にさせなければトレーニングなんかできるはずがないですよ。

 お婆ちゃんと若い女性の理学療法士とのけんかが続いていたので、僕は婆ちゃんにはなしかけた。我が家のにも 老人性痴呆のお婆ちゃんがいて、よく話していたので自信があった。コツはお婆ちゃんの意見を絶対否定しないことである。「なるほど、そうだねえ」と云ってから、「それもそうだけど、○○もいいかもね」とかいって、だんだん自分の方へ引き寄せ、大げさにお婆ちゃんの意見を肯定することである。ぼくはお婆ちゃんに近づいて「ねえ、お婆ちゃん」と声をかけた。ところが「私は男は嫌いだで、あっちへいっとてちょう!」としかられてしまった。

 喜んだのは僕を担当していた理学療法士だった。ぼくは「ギャフン!」そのものだった。今思えばお婆ちゃんの興奮がまだ収まっていなかったときに僕がかおを出したのでお婆ちゃんが八つ当たりされたという構図であった。まさにオソマツ君のオソマツな一コマであった。(T)

     

                                                        前庭にて。  ルドベキア


テレビで「尿路結石」を見て

2017-07-19 | 気ままなる日々の記録

  最近テレビで、「尿路結石」についての番組をやっていた。水を少量しかとらない人がかかりやすいとか、食事をした後すぐに寝てはいけない、シュウ酸の多く入った食べ物を食べたときは一緒にカルシュウムを多く摂るとよいとか、云っていた。

 私の家族は子供たちが3歳と6歳になった頃から、正月明けに友達の家族とスキーに出かけるのが恒例になっていた。

 ある時そのスキーに出かける途中、1時間も運転していない地点で、主人が病気になった。私は運転ができず主人も腹痛が酷くてとても運転どころではない状況になった。国道の脇のガソリンスタンドに車を入れ救急車を呼んでもらった。そのガソリンスタンドと病院の間は、数百mしか離れていなかったのだが。

 幼い子供たちは兄が迎えに来てくれ、祖父母がいる家に帰った。主人はレントゲン検査の結果、結石があることがわかりモルヒネの点滴を受け、痛みは和らいだようだった。私はと云えば初めての出来事で、しかも旅の途中と云うこともあり、ただおろおろするばかりだった。

 次の日レントゲンを撮ると昨日あった石がない。運がよいことに、尿と一緒にでたらしい。一泊しただけで無事退院となり、縄跳びをすること、ビールをよく飲むこと、と云う助言を貰った。その言葉通り帰宅途中寿司屋さんでビールを飲み、祝杯を挙げた。そしていま、テレビを見ながら45年前の話を思い出したのである。(E)

  

                        駐車場浸水の後で。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 


雷と大雨。

2017-07-14 | 気ままなる日々の記録

  昨日の午後酷い雷と土砂降りの雨があった。このことを携帯メールで関西に住む娘に送信し終えた途端電話が鳴りだした。ピーコロン、ピーコロンととても可愛い響きであったが、はじめてのことで、急いで開けてみた。土砂災害警戒情報というものであった。午後四時二十五分隣の市へ出されたものだ。このあたりはめったに、災害の難に出会わない広い平野であるが、昨日は特別であったらしい。あちこちの、鉄道路線が3時間から4時間ぐらいの、運休の知らせを出していたから。

 それに比べると子供の頃は随分怖い思いをした。台風の時期になるとすぐ近くの1級河川が濁流となって渦を巻きながら流れていたからだ。二つの大きな堤防があったが、護岸が弱く、水がしみ出して住宅地にじわじわと押し迫ってくる。近くの畑が半分泥につかっているのを見ると、子供心にも堤防が決壊するのではないかとおののいていた。

 一方大人たちはこの時とばかり薪取りに大忙しだった。上流の方で崩れた山の木々が沢山下流に流され岸に押し寄せる、それを拾い上げるのである。当時風呂を沸かすのに使うのは落ち葉、枯草、薪であった。そのため、家族総出で木々を集めていた。熱心すぎる若者が濁流にのまれ命を落とすという悲しいニュースも数年に一度くらいあったように思う。

 60年以上の間に護岸はコンクリートで固められ、水量も調節され、子供のときの様な心配はなくなった。今では薪取りも必要ない、本当に恵まれた地域となった。だが、テレビで災害のニュースを見る度、子供の頃を思い出すと心が痛む。(E)

   

                                     駐車場が池に 道路が川に。

 


我が国に『論理」はあるか?

2017-07-09 | 気ままなる日々の記録

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」と云うシリーズが新潮文庫にあります。編集はNHKスペッシャル取材班です。

 陸軍の幹部さえ「勝てない」と思っていたアメリカに、宣戦布告もなしに、突然ハワイの真珠湾を攻撃したわけです。

当時は今の憲法ではなく、軍の統帥権は天皇にあり、

 総理大臣が内閣を組閣しようとしても、陸軍や海軍が納得しないと陸軍大臣や海軍大臣が空席になってしまって組閣できないという状況でもありました。立憲君主制の難しいところです。

 我が国では江戸時代が長く続いて、西洋で民主主義が育った時代に惰眠をむさぼっていました。

 それから、ペリー提督が軍艦4隻を率いて開国を求め、関税交渉もないがしろに開国し経済が大混乱し、「尊王攘夷」の運動によって明治政府が生まれましたが、

 為替レートや関税制度が分からないままに開国し経済は大混乱、

 そうしたことを学校で教えず誠に貿易に関して無知な国民を生み出し、

 第二次世界大戦の原因となったのです。

 その後も我が国は論理的な思考と率直な反省が下手で、

 精神主義的な美辞麗句を並べて我が国の歴史として次世代に教えています。

 我が国のこうしたオソマツさは同時にマスコミのオソマツさと表裏一体で、

 第二次世界大戦へ向かわせた勢力が朝日新聞で朝日は「勝った、勝った」の報道で、売り上げを5倍に伸ばしたとも言われています。インフレもありますからそこは厳密に修正しないと正しくありませんが・・・・・・・。

総じて我が国では、誰が何と言おうと自分はこう思うという真摯な論理展開が少なく、すぐに派閥を作ってその派閥間の論争に歪曲し、論争が終わった後にも結局何が正しかったかはっきりしないまま、論争が終わったりします。

 この非論理的な思考形態は稲作農耕民族として、

 隣の田圃の人と協力をして同一歩調で田仕事をすることによって豊作を求めたという長い歴史の中で身に着けた思考法で「隣百姓的思考」と呼べるものだとおもわれます。

 特徴は強烈な個人の意見はなく、つまり無責任体制なのです。かくして、優れたリーダーが育たない集団になっています。広島の原爆記念碑に「安らかにお眠り下さい、過ちは繰り返しませんから」と書いたのが日本的思考の代表です。つまりこの文章には主語がありません。誰が過ちを犯し、誰が反省しているのかわかりません。少し角が立っても構いません。原爆投下を指令した米軍の総司令官の名前でも彫り込んだらどうだろう。第一次世界大戦後に取り決めた毒ガスの使用禁止や無差別爆撃禁止に違犯しています。これは、国際条約ですから、無条件降伏に違反しませんから今からでも主張すべきです。トランプ流に云えばですが・・・・。失礼しました。(T)

  

                    梅雨の晴れ間