百醜千拙草

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職業科学者のこれから

2011-09-09 | Weblog

夏休みに「ポアンカレ予想を解いた数学者 - ドナル オシア著、糸川洋訳」を読みました。私、たまたま、このポアンカレ予想を証明したというロシア人数学者、ペレルマンについて、以前Scienceが「Break-through of the year」にとりあげた際に、読んだ記憶があったので、たまたま見つけたこの本を借りてきました。このロシア人は、ちょっと変わった人のようで、賞も名誉も要らないと言って、ポアンカレ予想証明が正式に確認された後、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞やクレイ研究所のミレニアム賞の受賞を固辞、この大発見の後、MITで歴史的な講演をしたあと、ロシアに帰って数学はやめてしまったというような話を聞いた覚えがあります。「証明が正しければそれで良いのだ」と言ったらしいです。私もノーベル賞なんか要らないと断ってみたいものですが、絶対誰もくれるとは言わないでしょうからムリですね。それに、生物や医学研究は、先立つものなしには成り立ちませんから、数学と違って、この世界の研究者は金とか賞とか大好きです。私も賞はともかく、金は好きです。

数学に関しては「天才」と秀才や凡才との差は如何とも越え難いもののようですが、その点で、生物学や医学とは随分違うと思います。生命科学の分野ではノーベル賞をもらうような人も大抵、普通の人です。生ものを扱うので、頭の良さよりも、研究を長期間にコツコツやれる根性と、加えて、うまく金鉱を探り当てる山師的能力、つまり、直感力とか、運の良さとか、そんなものの方がより大切なような気がします。(数学とかでも、あるいはそうかも知れません)

思い返せば、中高生のころは私はまだ数学が好きでした。同学年に数学の天才がいて、当時はやっていたルービックキューブの一般解を行列式を使って解いたとか、とにかく数学に関してはつくづくレベルの差を思い知らされたものでした。その彼も何故か数学以外は全然ダメでした。それでもT大にストレートで入りました。今、どうしているのでしょうか。私は中学生の時の幾何学の証明問題とかが好きでした。幾何の授業には教科書がなかったように思うのですが、多分、あの授業はユークリッドの「原論」をやっていたのだろうと思います。中高での幾何の授業はユークリッド幾何学以上のことはやらなかったので、ポアンカレとかの名前を知ったのは大学に入ってからです。多分、ユークリッド幾何学の刷り込みが強かったのでしょう、三角形の内角の和が180度でなかったり、平行線が交わったりするという世界の話についていけなくなり、それと同時に、多分物理学での微分方程式のトラウマも相乗的にはたらいたのでしょう、すっかり数学嫌いになりました。

ところで、この本で、もっとも、私が興味を惹かれた点は、科学の発展の歴史です。第一次大戦や第二次大戦で、科学者がどのように政治や戦争に利用されたか、科学研究者という職業が成り立つためにいろいろな社会的条件が必要であったこととか、科学研究が必ずしも発展の一途を辿るものではないであろうこととか、高等教育は一種のブームであり、その需要で大学や研究者という職業が繁栄したということなど、今後の研究職という職業を考える上でも大変参考になりました。個人的には、アメリカでの高等教育ブームは、その投資が回収できない可能性が高いという観点から、まもなく終焉を迎えるのではないかと予想します。人間、「衣食足りて礼節を知る」で、「武士は喰わねど高楊枝」とはなかなかいきません。アメリカでの大学教育費はマトモに払えば授業料だけで1000万円は軽くこえますから、卒業とともに多額の学生ローンの借金の返済に苦しむ若者も多いようです。中流家庭では大学教育をより高収入の職につくための投資とみる傾向が高いですから、大学進学は投資の面からは既にワリに合わなくなっています。高等教育ブームが終わって、学生数が減れば大学は経営困難となり多くの研究者や教官が職を失うということになるでしょう。

科学研究においても新たな「金になる」発見をすることはどんどん難しくなってきており、それが証拠に多くの製薬会社は、研究開発部門をバイオテクにアウトソースするようになってきています。それだけリスクが高いということでしょう。あたり前ですけど、これまでの科学の発展も「役に立つ」部分があったからこそ正当化されてきました。しかし、だんだんそのあたりが不明瞭になってきています。世界的不況に入り、食料危機までがウワサされる今、科学(や学問一般)は平和で豊かな社会のみにゆるされる贅沢品だとみなされるようになるかも知れません。アメリカ政府の研究予算は2013年から本格的に締め付けがきつくなるだろうと予想されています。カネが無くなれば人はこなくなり、人が来なくなれば業績はでなくなり、業績がでないと予算が削られる、という負のサイクルに陥っていく可能性が高いでしょう。そして、科学研究の意義は根本から問われ直すことになるかも知れません。ちょっと気の重くなる話です。人間の好奇心が続く限り、科学者がいなくなることはないとは思いますが、それでメシを喰っていける職業科学者の数は経済の縮小に伴って減少していくのは避けられないと思います。

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