百醜千拙草

何とかやっています

面白くない局面での地道な努力

2017-11-07 | Weblog
先日、投稿した論文の結果が返ってきました。レビューに回り、かなり好意的なコメントでしたが、最終的にエディトリアル オフィスの判断でリジェクト。結局、editorial rejectionなのだったらレビューに回さずに最初から蹴って欲しかった、というのが偽らざる気持ちです。ま、出した時から、雑誌の志向とちょっとズレがある論文で、レビューに回ることさえ想定していなかったので、レビューアが高く評価してくれただけでもヨシとすべしです。この論文は筆頭著者の意志で、第一志望でない雑誌を三つ当たって、これで三連敗したわけですが、これでようやく第一志望の雑誌に投稿できることになったので、私的にはOKです。3ヶ月ほどの遠回りをしましたが。この論文から派生した別の論文はすでに同じ雑誌でレビュー中で、うまくいって二本まとめて載ればいいなあ、と思いますが、あまり期待せずに淡々と。

もう一本論文のリバイスも進まず。仕方がないので、長らく放置していた五年来のプロジェクトをまとめようとしています。これも今後の発展の見通しもないので、後退戦のような感じです。小さな論文にして出版したら一応のケジメがつく、それが唯一のモチベーションという感じ。ワクワク感ゼロ。
どんなプロジェクトでも徐々に現実が明らかになるにしたがって始めた時のワクワク感は消失して行って、論文にまとめる頃には、ひたすら苦しいだけのことが多いですが、その苦しい中をそれでもやらないと、何も形にならないので、ひたすら義務感みたいなものを頼りに進むわけです。

あいにく、この面白くない局面を地道に投げ出さずにやり通すというのは若い人は苦手なようで、彼らの自発的努力に任せておくと、8割以上の確率で頓挫するというのが過去に学んだことです。こういう地道な作業ができる優秀な人はそもそも私の研究室などに来ないので、8割というのはバイアスがかかっているとは思いますが。小さなつまらないことでも、最後までやり抜くというのは結構な意志の力が必要であり、これができるできないが将来的な成功を決めると私は思っております。当たり前ですが、長期的視野に立って戦略的に考え、正しい計画を立て、地道に日々努力する。それ以外に確実に成功する方法はないと思います。

僥倖というものは確かにありますが、そういうものは長続きしません。若い人の中には僥倖を人生の計画の中に当然のように組み入れている人が時々います。若さゆえに自己の過大評価なのでしょうが、それをうまく修正していくことができないと結構、辛い人生になるのではないでしょうか。研究業界に長年いて思うことは、人間は基本的に利己的で飽きっぽくて楽をしたがる動物だということです。その本来の動物的な性質を努力と意志の力で「人間らしく」変えていくことが人としての成長であろうと思います。練習もせずにプロのスポーツ選手になれないのと同じで、努力せずに人間は成長しないのだろうと思います。

研究業界に限りませんが、研究などという地道な継続的努力が要求される割に、その報酬がいつ、どのように与えられるかわからないような活動では、特に、本人の自発的なモチベーションと自己規律がなければ進まぬものです。でも自己規律もは習慣化によってなんとかなります。モチベーションがなくてもとにかくやるという習慣が身につけばしめたものだと思います。
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