百醜千拙草

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出版ビジネスとOpen peer review

2014-09-02 | Weblog
BMCオンライン雑誌から論文レビューの依頼がありました。BMCの雑誌からの依頼は多分、初めてです。
オンライン雑誌はビジネスになるらしく、ますます百花繚乱の様相を呈してきていますが、BMCはオンライン雑誌としては老舗で、以前から多くのタイトルで(失礼ながら)二流論文を専門に載せてきた雑誌社です。大量に出版し、かつ印刷はしないので、コストは低いし、ピア レビューは研究者の奉仕活動で、勿論無料ですから、かなりビジネスとして儲かっているようです。
私、論文レビューの依頼はせいぜい月に数本ぐらいなので基本的に断らないことにしていますが、今回の依頼のメールを見て、結局、断ることにしました。

この雑誌は"Open peer review" systemというのを採用しているそうです。つまり、ふつうはブラインドでするレビューをオープンにして、出版された暁には、レビューアのコメントもレビューアが誰であるかも、著者にも読者にもわかるようにしているということです。実際に出版されている論文をみると、確かにレビューアの名前とレビューの内容が晒されています。レビューアのコメントと著者のやりとりを晒すこと、これが何の意味があるのか私には全く不明です。すくなくともレビューアにとってのメリットは何一つ思いつきません。レビューは基本的に研究者による無償の奉仕活動です。これがないとピアレビューによる論文出版という科学活動が成り立ちません。みんなお互いさまだと思ってやっています。しかるに、無償のレビューアの奉仕活動を利用してビジネスしているこの二流論文専門オンラインジャーナルは、そのレビューアの名前と仕事内容をさらすと言っているのです。レビューアの仕事にクレジットを与えるためだと言い訳してありますけど、誰もそんなクレジットは研究者の評価に採用しません。

私のレベルでは、レビューに回ってくる論文の8割は、正直言って、読んで時間を損したと思うようなものです。でも稀に、面白くて読んで得した気分にしてくれる論文が回ってくることもあります。そういうこともたまにあるのでレビューは引き受けています。それが私がレビューする上でのほぼ唯一の楽しみです。残りの8割のパッとしない論文は、読んでコメントを書いていると、忙しい時は特にそうですが、腹さえ立ってきます。それでも、表面上は冷静に論理的にダメなところを指摘しておわりです。

著者側はしばしばそんなレビューアの事情など気にしません。批判的コメントを読めば、いくら論理的に書いてあったところで、人間ですからしばしば腹を立てて、「このレビューアはわかっていない!」とレビューアの悪口を言ったりするものです。本来、読者やレビューアが読みやすいように分かりやすいように書くのは著者側の責任です。レビューアが理解できないのであれば、それは理解できるように書かなかった著者の方が悪いですが、人間は身勝手ですから、つい、自分を責めるよりも他人を責める方を取るのです。

著者側にとって論文の審査をされるというのは、それだけの感情的問題の絡むプロセスです。それは、レビューアと著者とのパワーバランスの差にあると思います。著者側は、お願いして審査してもらう方です。立場が弱いです。しかし審査が通れば、業績になるというご褒美があります。レビューアは審査をする側、しかし、それなりの時間を費やし論文を読みコメントを書いても、審査が通ろうと通るまいとレビューアには別に何の報酬があるわけではありません。この最初から対等ではないバランスの悪い関係でありながら、レビュープロセスを晒すというのは、レビューアにとって余りに不公平であろう、と私は感じる次第です。研究者仲間は、仲間であると同時に競合者です。狭い世界ほど仲が悪いことが多いです。とりわけレビューアが的はずれな批判をして、そのために論文の出版に苦労したりすると(よくあります)、著者としてはそのレビューアに心から感謝することは難しいでしょう。むしろ、逆です。立場が何かの拍子に逆転したら、仕返しをしてやろう、と感じる人もいるでしょう。(人間ですからね)

研究者の無償のレビューという奉仕活動を利用してビジネスしているこの二流雑誌に、そういうリスクを犯してまでも協力する必要はないだろうと私は判断しました。このシステムを考えた人は、単に人間の感情の問題に疎いのか、科学の議論は感情を介さないものだとでも誤解してるのか、あるいは、余りにエラいので誰に憎まれても平気、のどれかなのではないかな、と想像した次第です。レビュープロセスをオープンにするのなら、レビューアにそれなりのcompensationをすべきであろうと思います。あるいは、「Open peer review system」にするよりも、他の数学などの論文のように、まず、レビュー無しで発表し、それから批判を乞うという形にするのがフェアでしょう。もちろん、生物系論文でそのようなシステムは機能しないだろうと思います。とにかく論文の数の方が読者の数より多いぐらいですからね。
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