百醜千拙草

何とかやっています

五年前と五年先

2020-12-29 | Weblog
まもなく2021年です。5年前に5年後のことを想像したことがあります。一応、5年の間に成し遂げたいと思うことを考えて漠然とした計画を立てました。5年は半昔、ずいぶん長い時間に思えましたが、あっという間に時間は経ち、望んだことの半分も実現はしなかったわけですが、それは、ま、想定内。ただ、今となっては、この5年という年月は本当に実在したのだろうか、ひょっとしたら、それらは非常にリアルな「胡蝶の夢」ではなかったのかと疑うほどです。

しかし、5年前に想像した通り、5年が経って暦は5年分進みました。このまま行けば、10年後は2030年、100年後は2120年で、500年後は2520年です。そうなりそうな気がします。100年先や500年先をいきなり想像するのは難しいですけど、100年前や500年前は残っている資料や映像から、世界がどんな風であったか具体的に想像できます。それを逆方向に考えてみれば、未来もなんとなく見えてくるような気がします。多分、テクノロジーは進化しているでしょうけど、人間や生物はそんな短時間では進化しないでしょうから、本質的には人々は物質的にも精神的にも今とさほど変わらないのではないかと思います。

むしろ個人的には今の日本人は30-50年前よりも精神年齢は退化しているように思います。つい先日、国会で「119回目のウソ」をついた人とか、こっそり憲法違反してバレたら「説明できることとできないことがある」と堂々とカメラの前で開き直った陰湿パワハラ親父とかを引き合いに出すまでもなく、精神年齢が小学生以下の「ありえない」レベルの大人というか老人が多すぎると思います。昔の大人なら、不正がばれたら「恥」を知って、自ら身を引いたものです。少なくとも、保身のために平気でウソを100回以上もついた上、ウソを追求されたら秘書にすべての責任をおしつけて逃げるような総理大臣はいなかったと思います。この大人の幼稚化の理由の一つは、戦争を直接体験した世代が少なくなったことが大きいのでは、と個人的に思っています。

話がズレました。人間の進化は遅いということでした。私が短いこれまでの人生を振り返っても、自分はそう変わっていません。なかなか成長しないものです。若い時は、何を知らないかも知らなかったぐらいの無知であったことから、思い出したら布団を頭から被って叫びたくなるような恥かしいことをいろいろしました。そういう経験から物事を少しずつ学んで、知恵の力で動物的な心を手懐けることが前よりは多少できるようになってはきました。だからといって「動物的な心」そのものがなくなるわけはありません。だから、きっと数千年ぐらい経っても人間の本質は今とそう変わらないだろうと想像できます。自己保存の本能に基づくと思われるその動物的本質を理性と知恵で手懐けることができるようになるのが「人間」ならではの成長であると思います。いつか人間が「種」として成長、進化する時がくるのでしょうか。

とにかく、まるで膿瘍が自壊したかのような2020年でしたが、これで来年からは徐々に好転していくのではないかという予感を感じます。その上昇気流を利用して私もこれから五年間のことを考えたいと思っています。
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