百醜千拙草

何とかやっています

イタリアのグラント

2010-08-03 | 研究
先日、イタリアの厚生省(Italian Ministry of Health)から、グラント審査依頼のメールが来ました。私、最近、主筆の論文を出しておらず(努力はしているのですけど、、、)、論文やグラントのレビューの依頼も随分、少なくなっていましたので、最初は、SCAMかと思って危うくゴミ箱に捨てるところでした。

どうもイタリア政府に、労働-厚生-社会政策省といものがあって、その内の厚生(保健)部門の中に、Department of Innovation(科学技術開発部といったところでしょうか)、保健技術研究総局とでもいうような組織があって、そこが生命科学研究グラントを担当しているようです。

イタリアの生命科学のレベルはお世辞にも高いとは言えません。しかも経済困難と官僚主義で、高学歴の人間がマトモな職に就くのも難しいと聞いたことがあります。知り合いのイタリア人は医学部を出ているのですが、当時は大学教官職は永久職であり、ポストがとにかく少ないのだと言っていました。彼女は教官職をオファーされたらしいのですが、そのポストでさえ年収が当時で100万円ほど、とっても大学教官では食べて行けないと、国を後にしたのでした。その後、EUが成立してから、イタリアも多少マシになりつつあるようです。数年前には欧州分子生物学研究所(EMBL)がローマ郊外に立派な研究所をオープンし、アメリカ人教授が招聘されたという話も聞きました。しかし、ドイツ、イギリスと言った国に比べると、まだまだ見劣りがします。ローマ帝国、ルネッサンスとイタリアはかつて世界の中心であり、現在も芸術や文化の点では一流なのに、科学技術はイマイチです。科学研究という地味な活動がラテンの人には合わないのでしょうか。

それはともかく、イタリアも科学政策はこれまでの官僚主義ではイカンと思っているようです。それでイタリア厚生省は、アメリカの国立衛生機構(NIH)のグラントの評価様式を取り入れることにしたらしく、英文で申請書を提出させて、研究セクションごとにレビューアを割当て、スコアをつけるというやり方を始めたようです。官僚主義を排するためか、あるいは国内のレビューアプールが乏しいのか、その辺の事情はわかりませんが、そのレビューを国外にアウトソースしているようで、それが私にも回って来たということのようです。

アメリカの場合、NIHのレビューアを一定年数つとめることが、Professorへの昇進条件になったりしていますから、レビューアは負担は大きくても、研究コミュニティーのため、そして自分の昇進のために、依頼があれば、基本的に無償で引き受けると思います。一方、こういう外国のグラントの審査には、そういう見返りが乏しいので、それは研究者としての善意とお互いさま意識(良く言えば使命感)で引き受けることになります。以前、イギリスとイスラエルのグラント審査を引き受けたことがありますが、勿論、ボランティアでした。ところが、今回のイタリアからの依頼は、一件につき50ユーロを支払うとあります。太っ腹です。全部でどれぐらいのグラント申請がなされるのか知りませんけど、例えばアメリカでは通常タイプのグラントは、年間8000本位が与えられていると思います。採択率を20%と仮定すると、年間、4万本のグラント申請があるということです。仮にイタリアの科学規模がアメリカの十分の一と仮定しても年間4000本の申請があるわけで、一本の審査に50ユーロかければ、審査費用だけで20万ユーロという結構な金額になります。

あるいは、払うと言って払わずにスカシ逃げるのかも知れません。イギリスの発生生物学の雑誌、Developmentは、レビュー依頼メールに、論文レビュー一本につき、25ポンド支払うと書いてあります(今はどうか知りませんが)。そしてその報酬の支払い方法について、一つは小切手で支払う、二つめは25ポンドの代わりに同出版社が出版する書籍のどれかを無料進呈する、三つめは科学研究のための財団に寄付する、という選択肢が書いてあって、さらに「多くのレビューアは三つ目を選択します」という意味の注意書きが添えられています。多分、本当に多くの人はレビューで報酬をもらうことに後ろめたさがあるのか、「寄付する」を選ぶのだと思います。(本当に寄付しているのかどうか知りません)私は一度、欲しい本があったので、寄付の代わりに本を選択したことがありましたが、結局、その本はいつまで経っても届きませんでした。以来、その雑誌からのレビューの依頼は来ません。

そのイタリアのグラント申請、若手研究者が対象と書いてありながら、引き受けた申請書のレジメを見ると、皆、中年です。官僚主義でまだまだ主任研究員となる若手が少ないのではないかと想像します。あるいはイタリアの研究資金事情が悪いので、とにかく数打ちゃ当たる戦略で若手でない人も応募しまくっているのかも知れません。数年前、EU加盟国の研究者を対象に研究グラントを出したところ、イタリアからの応募が最多で、その採択率は最低だった、という話を聞いたことがあります。これも研究資金が適正にイタリアの研究者に分配されておらず、多くのイタリア研究者が金に困っていることを示しているのだろうと思います。

そのイタリア厚生省のグラント申請書には、申請者の発表論文のリストの所に、雑誌のインパクトファクター、論文の引用回数、申請者の"h index"が記載されていて、正直、驚きました。"h index"は最近よく使われるようになった業績評価の指標で、例えば"h index"が5の人というのは、論文引用回数が5回以上の論文を5本書いたということです。つまり、"h index"は論文数と引用回数を一緒に評価するための数字です。私は前から研究生産性の評価を数値化することに批判的なのですけど、とりわけ、こんな数字はグラント申請の審査には全く必要ないものだと私は思います。申請者が研究遂行能力があるかどうかを見る助けとして、論文リストは参考にはしますが、その論文の掲載雑誌のインパクトファクターや、ましてや、本人の"h index"など知っても意味はないと私は思うのです。それよりも申請書の中身をちょっと読めば、その人の実力は自ずとわかりますから。

あいにく、引き受けた四つの申請書をザッと見た所では、どれもパッとしません。私の考えるよいグラント申請書とは、1) しっかりした根拠に基づく具体的な仮説が設定してあり、2) その仮説の証明のために実験法とその結果の予測と解釈についての議論が緻密になされており、3) 研究が不成功であった場合にそなえて良いバックアッププランが提示されていて、4) 予備データなどで研究のfeasibilityが示されている、もののです。この4つがしっかり押さえらているグラントは読む方も気分が良いです。残念ながら、今回の申請書はもっとも大切な最初の条件でさえ、ろくに満たしていません。実際の研究においては、重要な知見というものは、上のようなプロセスで発見されることは稀で、多くは思いがけないような偶然で見つかるものだと思います。しかし、だからといって、その偶然を当てるためにとにかく闇雲に思いつきでやってみるから金を下さい、という理屈はグラントの申請においては通りません。審査は、申請者が研究についてどれだけ深く考えており、そして思いがけない結果が出た場合にも十分対処できて、何らかの意義のある結果を導き出すための準備があるか、つまり金を与えるに価する研究者かどうか、を見るものですから、仮説からして無理があるような研究申請では、話にならないと思います。

また、どうでもいいことですけど、これら4人のイタリア人が同じような英語の誤りをするのが興味深いです。不可算名詞を複数にする(例えば、evidences)とか、名詞を形容詞化した時に複数形にする(例えば、16 years-old male)という誤りが何故か共通して見られます。イタリア語と英語との間での文法での違いでしょうか。

追記。Evidenceはごく稀にevidencesと可算名詞として使われることがあるそうです。Evidencesと複数にするのは主に創造説を信じる教会関係の人に限られるそうですが。
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