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ビジネスにも料理にも役立つ“ネタ”が満載!社労士・診断士のコンサルタント立石智工による経営&料理ヒント集

リスク管理:責任の所在はどこか?(2)

2005-11-22 | マネジメント
さて、昨日に引き続きマンション・ホテル等の耐震データ偽造問題について見ていきます。

今日で、今回の物件の建設を請け負った業者が不渡りを出し事業停止状態に陥ったとの報道がありました。物件の確認のため予定していた売掛金の回収が出来なくなり、一気に資金繰りが悪化したとのことです。この問題はまだまだ尾を引きそうです。

さて、今日は「検査体制での責任」を中心にみていきたいと思います。

(3)検査機関の責任は?


今回のケースでは、「構造計算書の確認検査を行った民間の検査機関が、過失を見抜けなかった」ということです。民間検査機関は「巧妙で見抜けなかった。我々には過失はない」と主張している一方、国側は「正規の体裁ではない。簡単に見抜けたはず」としています。(ちなみに、今回の偽造についてはは民間検査機関の社内監査により発見されています)

報道からしか情報を得られない以上、どちらの言い分が正しいかは分かりません。ただ、一応「正規の体裁ではなかった」ことについては検査機関側も認めていますので、少なくともこの点について過失が問われることになろうかと思います。

このような「もし見逃してしまうと重大な事故を引き起こす恐れのある事象」について確実な確認を行うためには、「チャレンジ&レスポンス(Challenge & Response)」という考え方をとることが有効であるとされています。これは、航空機の運行等では広く使われている考え方です。

「チャレンジ&レスポンス(Challenge & Response)」では、確認を行う人は、一定の決められたメッセージで「チャレンジ(質問)」を投げかけ、確認を受ける人は必ず決められたメッセージで「レスポンス(応答:コール・アウトともいう)」を返します。このとき、もし決められたメッセージ以外のレスポンスが行われた場合には、「異常がある」と判断します。このような「厳密なやり取り」を通じて、相互の意思疎通及び判断ミスの防止、また、機長・副操縦士の「インキャパシティション(運行能力喪失)」の検出等を行い、未然に重大な事故を防止しているのです。(ちなみに、この「チャレンジ&レスポンス」の考え方は、かつての日航機羽田沖墜落事故の原因追及・再発防止策でも注目されています。)

さて、話を今回の問題に戻しましょう。今回の「構造計算の確認検査」についても、「もし見逃してしまうと重大な事故を引き起こす恐れのある事象」であったことには間違いないでしょう。このため、この検査も「チャレンジ&レスポンス」(検査機関のチャレンジに対して、設計者からの書面でのレスポンスがある)と捉えて行われるべきものであると考えられます。実際、検査の手順は明確に定められていますので、この一連の手順を厳密に守って初めて「過失がない」と主張できると思われます。

今回の場合、「正規の体裁ではなかった」ことを検査機関も認めている以上、「実際には作成方法で体裁が整わないこともあり、問題ないと判断した」ことを「過失」と取られても仕方がないでしょう。この点において、施主サイドから検査機関に対して「責任」を求められる可能性はあります。

(4)では、国の責任は?


最後に「国の責任」を見ていきます。国は、当初「民・民の関係で発生したことで、財政支援は考えていない」と話していましたが、その後、今日になって国交相より「今回の問題は純然たる民・民の問題とは言えないと思う。民間の検査機関が行ったとはいえ、建築確認は法律上は公の事務だ」と発言の修正がありました。

まさに国交相の発言の通りであると感じています。法律上で「建築確認を受ける義務」が定められているのは、「建築確認を通じて、国が国民の生命・財産の担保に積極的に関与する」ということを示しています。行政自身が建築確認を行わなくなったにせよ、「国から指定を受けた民間機関が検査を行う」ということは、「国の建築確認業務を民間に委託している」ことと同義となるわけですから、このような民間機関を指定したという範囲で、国にも「委託元」としての責任(この場合は、施主に対する直接責任)が発生するのだと考えられます。

今回の場合、建築確認を通じて国が「国民の生命・財産の担保に積極的に関与」しているのですから、その不備によって安定が損なわれてしまっている「国民の生命・財産の担保」にも積極的に関与して欲しいと思っています。

個人的には、被害者(入居者+施主)の救済のために一時的に国費を投入しつつ、被害者の持つ損害賠償の求償権を代位取得して、設計事務所や検査機関等に責任を取らせることも視野に入れて考えるべきではないかと思います。ただ、これには迅速な法整備が必要なのでしょうが・・・・。

所感:「仕事」とは何か?


最後に、今日のニュースより、問題物件のう7棟の建築主であった会社の社長が発した謝罪の言葉を引用いたします。

「住民があすをも知れない状況で、もしここで倒壊したら、私は殺人マンションを販売したことになってしまう」

非常に重い言葉です。この社長にとっては、本当に「痛恨の極み」だったのでしょう。

この会社自身には、当然施主としてお客様に対する責任はあります。しかし、少なくとも「公的な立場であり、プロである確認検査機関の審査をパスしている」設計図面に対して、設計に関しては一介の素人に過ぎない「施主」が異議を唱えることはまずありえないでしょう。(もし施主自らの確認が必要とされるのなら、国の法制度による確認検査を行う必要性などどこにもなくなってしまいます。)

設計や検査の業務はひとえに「その図面から建設された建物の利用する人々の生命と財産の安全」に繋がっています。もし何か起これば回復不可能な生命・財産に対する損害をしょうじることになってしまうからこそ、国から専門的知見を認められた建築士しか設計を行うことが出来ないわけですし、国の指定を受けた検査機関しか検査を行えないようになっているのです。(少なくとも今の日本では・・・です。)

今回の件を見ていると、設計士は「今目の前にある設計を終わらせる」ことしか、検査機関は「今目の前にある検査終わらせる」ことしか考えていなかったのではないかと感じています。設計士にも検査機関にも「自分たちの仕事は人々の生命・財産の安全に繋がっている」という意識が希薄だったと感じざるを得ません。

今回は建設という分野の話ですが、私は他のどんな仕事であっても同じことが言えると感じています。単に目の前のことをこなしているだけでは、それは「作業」に過ぎません。自分たちの行っていることが何に繋がっていて、お客様や「その先にいる人々」に対してどのような影響を及ぼすのかを理解して初めて「仕事」になるのです。

私の場合、コンサルタントという仕事をさせていただいており、企業をお客様としています。今回の権を通じて改めて感じるのは、そのお客様企業には「従業員」の皆様が働いており、さらにその先には「家族」がいることです。また、当然のことながら、お客様企業の先にもお客様はいますし、株主の皆様もいることでしょう。コンサルタントを「仕事」とする以上は、このことをもう一度よく確認しなければならないと感じました。

2日間にわたり大変長文となりましたが、この2日のエントリーが「仕事」を捉えなおす機会にしていただければ大変幸いです。

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