うつ の 自宅療養において、主治医からも、職場の保健師からも留意するように指導を受けるのは、
生活のリズムを一定に保つということである。
うつ という病気は、臓器としての脳のオーバワークにより、セロトニンやアドレナリンなどの脳内神経伝達物質の分泌異常状態であるから、
胃潰瘍になったら、暴飲暴食を避けて胃酸の量を調整し、
糖尿病であれば、血糖値を高くしないようにする
ような生活習慣の改善と、服薬を併用するということになる。
胃潰瘍や糖尿病も遺伝的要因はあるとは言え、生活習慣に大きく関与することは間違いないであろう。
うつ は、先進的研究では可視化可能になったというようなニュースを見たりもするが、未だに、医師の知見によって診断が行われているのが実情である。よって、精神科や心療内科には、先進医療設備がなくて、代わりに、外科や内科の待合室よりも、少し落ち着ける雰囲気があったりする。少なくとも、整形外科などの待合室での、小さな椅子に座って長時間待たなければならないということは、あまり無い。
医師が行うのは、問診と向精神薬処方と生活習慣指導である。生活習慣指導を、「リズムある生活」とする。
リズムある生活とは、毎日、同じ時刻に起床して、同時刻に食事を摂って、同時刻に寝ることである。
しかし、それが、できていれば、本来、うつ には、ならない。
よって、強い抑うつ状態では、患者の環境が許すなら、一時的に、生活習慣を乱す世間から引き離すということを勧める。
それが、休職であり、自死願望が強い場合には、入院ということになる。
うつ は、患者自身にか感じられない病気である。身近にいる家族でさえ、辛そうにしていることはわかっても、心配はできるが、そのつらさは、理解し難い。
実は、患者自身も、うつ の つらさを理解しているかというと、怪しいところがある。
なぜなら、休職や入院の前に、長い抑うつ状態があったはずであり、その状態に、服薬も休息もなく対応して生活していたからである。
長時間労働がうつを誘発するモノとされるが、私は、長時間労働自体は、うつの直接の原因にはならないと考えている。
仕事の山谷は避けられないから、長時間労働が起きることは、民間企業の従業員としては、仕方がない。
うつを誘発するのは、長時間労働が誰のためか?という疑問を抱いたときである。好きでもない仕事にアサインされ、それも、立場や処遇に見合わない長時間労働を放置されれば、心の葛藤が起きる。
また、自身の長時間労働は、職場に貢献しているとモチベーションを持っていたとしても、上司や他部署から評価されていないと気づいたとき、自分を見失う。評価されていない仕事に、職場はリソース(人とお金)を投じないから、孤軍奮闘ということになる。つまり孤立する。本来ならば、精神的に支援して欲しい組織が、モチベーションを低下させる相手だと知ったときの失意は、その仕事が価値があると信じている場合ほど大きい。私は、これを、「背中から鉄砲で撃たれる」と表現している。クライアントから評価されても、身内から評価されていなければ、その仕事の価値は半減する。
私は、上記の両方の場合を経験している。
「賢い人」は、それを、働き過ぎないという方法により回避する方法を身に付けている。自分の全てを仕事に振り向けないのである。そんな仕事のやり方が面白いか疑問であるが、そういう人を少なからず知っている。
前置きが長くなった。
休職も12ヶ月目になるのを前に、抗うつ剤が減り、逆に、抗躁剤が処方されるようになった。
抗うつ剤と睡眠導入剤を服用するようになって、18年目である。うつと診断されたのは、確か、長野オリンピックの年だった。
その うつ が、融け始めていることを感じている。
抗うつ剤が減ったのは、その、明瞭な証である。
そして、自覚し始めたのは、歩くときの視点だ。
今の私は、未だ、睡眠障害の状態にある。早朝覚醒気味だ。主治医の処方の匙加減により、どうにか、睡眠時間を6時間程度確保できるようになった。
生活のリズムを保つために、就寝時刻を21:00に設定している。21:00に就寝するためには、その二時間前くらいから、アタマのクールダウンを必要とする。よって、夕方のTVも見ないしに、読書も18:00には切り上げる。幾ら面白い本でも、夢中になって読み進めると、アタマのクールダウンができずに、ベッドに入っても眠れなくなる。最近はベッドに入ってからSNSを見るのも止めた。取り敢えず、眠るのである。
21:00に就寝して、6時間経つと3:00である。就寝後と起床前には、それぞれアイドル時間があるから、今朝(2016/3/3)は、4:00過ぎに起床した。
朝食、簡単な掃除、洗濯、そして、散歩をする。それだけ済ませて7:00である。
これが、起床5:00であっても、3:00であっても同じことをする。それが、生活のリズムである。同じことを繰り返す。それで、アタマが起動する。コンピュータが起動するのには、それなりに手順があり、時間を要するが、それと似ている。
私の生活には、こういうものがなかった。起きて、急いで朝食を食べて、急いでオフィスに行き、誰よりも遅く帰り、寝る。そして、アタマの中には、解かなければならない課題が常にある。それも、職場で評価されるかどうか不明な課題だ。
うつ が 融けてきたここ数日、朝の散歩をして気づくのは、自分の歩く姿勢だ。視点が高くなった。猫背ではなくなったいう言い方でも良いかもしれない。
うつ と、診断されるよりもずうっと前に、職場の先輩から、「お前はいっつも下向いてるな!」と言われたことがある。つまり猫背で歩いていたのである。
考えごとをしながら歩いていると、どうしても、視点は下を向く。目から入ってくる情報を遮断して、思考に集中するためである。
そんな生活を三十年近くしてきた。うつ に なって、職位は上がらなくとも、仕事で考えることが無くなることはなかったのだから、ある意味幸せなことである。うつになって失うことばかりではない。
そんな私の散歩の時の視点が、上になった。放っておくと、猫背になってしまうから、少し意識的に背筋を伸ばすということも、当然している。
しかし、重要なことは、視点を上げようとしたことだ。そして、それに気付いて、継続しようとしでいることだ。
だから、アスファルトの道を見ながら歩いているときには気づいたかどうかわからない、よその御宅の立派な椿の木にも目が行った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/03/82f398c549dbf53870f894490c943d36.jpg)
そこは、自宅の直ぐ近くで、春から秋にかけてはジョギングして、スピードに挑戦していた。
そして、つい最近の躁状態が現れたときには、散歩と言いながら、ペースアップを狙っていた。これは、アドレナリンを分泌させる行為だ。
昨日も同じ道を歩いたが、椿に気付かなかった。気づいたとしても、写真を撮るために、歩くのも中断したかどうかはわからない。
明らかに、うつ が 融けている。それは、三十年近く前に、就職して以来、失っていたモノを思い出す試みではないかと思い始めている。
恵まれた状態の休職であることも自覚している。しかし、それを、職場や世間に対して、申し訳ないと思ってしまっては、うつ は融けないと考えている。
うつ に なる実験と再発する実験を自分自身の身体を使って行ってしまった。
今の私は、そんな自分自身で、うつ が融けるとは、どういうことかとか?という、実験をしていると考えている。
実験は、未だ、当分続く。
生活のリズムを一定に保つということである。
うつ という病気は、臓器としての脳のオーバワークにより、セロトニンやアドレナリンなどの脳内神経伝達物質の分泌異常状態であるから、
胃潰瘍になったら、暴飲暴食を避けて胃酸の量を調整し、
糖尿病であれば、血糖値を高くしないようにする
ような生活習慣の改善と、服薬を併用するということになる。
胃潰瘍や糖尿病も遺伝的要因はあるとは言え、生活習慣に大きく関与することは間違いないであろう。
うつ は、先進的研究では可視化可能になったというようなニュースを見たりもするが、未だに、医師の知見によって診断が行われているのが実情である。よって、精神科や心療内科には、先進医療設備がなくて、代わりに、外科や内科の待合室よりも、少し落ち着ける雰囲気があったりする。少なくとも、整形外科などの待合室での、小さな椅子に座って長時間待たなければならないということは、あまり無い。
医師が行うのは、問診と向精神薬処方と生活習慣指導である。生活習慣指導を、「リズムある生活」とする。
リズムある生活とは、毎日、同じ時刻に起床して、同時刻に食事を摂って、同時刻に寝ることである。
しかし、それが、できていれば、本来、うつ には、ならない。
よって、強い抑うつ状態では、患者の環境が許すなら、一時的に、生活習慣を乱す世間から引き離すということを勧める。
それが、休職であり、自死願望が強い場合には、入院ということになる。
うつ は、患者自身にか感じられない病気である。身近にいる家族でさえ、辛そうにしていることはわかっても、心配はできるが、そのつらさは、理解し難い。
実は、患者自身も、うつ の つらさを理解しているかというと、怪しいところがある。
なぜなら、休職や入院の前に、長い抑うつ状態があったはずであり、その状態に、服薬も休息もなく対応して生活していたからである。
長時間労働がうつを誘発するモノとされるが、私は、長時間労働自体は、うつの直接の原因にはならないと考えている。
仕事の山谷は避けられないから、長時間労働が起きることは、民間企業の従業員としては、仕方がない。
うつを誘発するのは、長時間労働が誰のためか?という疑問を抱いたときである。好きでもない仕事にアサインされ、それも、立場や処遇に見合わない長時間労働を放置されれば、心の葛藤が起きる。
また、自身の長時間労働は、職場に貢献しているとモチベーションを持っていたとしても、上司や他部署から評価されていないと気づいたとき、自分を見失う。評価されていない仕事に、職場はリソース(人とお金)を投じないから、孤軍奮闘ということになる。つまり孤立する。本来ならば、精神的に支援して欲しい組織が、モチベーションを低下させる相手だと知ったときの失意は、その仕事が価値があると信じている場合ほど大きい。私は、これを、「背中から鉄砲で撃たれる」と表現している。クライアントから評価されても、身内から評価されていなければ、その仕事の価値は半減する。
私は、上記の両方の場合を経験している。
「賢い人」は、それを、働き過ぎないという方法により回避する方法を身に付けている。自分の全てを仕事に振り向けないのである。そんな仕事のやり方が面白いか疑問であるが、そういう人を少なからず知っている。
前置きが長くなった。
休職も12ヶ月目になるのを前に、抗うつ剤が減り、逆に、抗躁剤が処方されるようになった。
抗うつ剤と睡眠導入剤を服用するようになって、18年目である。うつと診断されたのは、確か、長野オリンピックの年だった。
その うつ が、融け始めていることを感じている。
抗うつ剤が減ったのは、その、明瞭な証である。
そして、自覚し始めたのは、歩くときの視点だ。
今の私は、未だ、睡眠障害の状態にある。早朝覚醒気味だ。主治医の処方の匙加減により、どうにか、睡眠時間を6時間程度確保できるようになった。
生活のリズムを保つために、就寝時刻を21:00に設定している。21:00に就寝するためには、その二時間前くらいから、アタマのクールダウンを必要とする。よって、夕方のTVも見ないしに、読書も18:00には切り上げる。幾ら面白い本でも、夢中になって読み進めると、アタマのクールダウンができずに、ベッドに入っても眠れなくなる。最近はベッドに入ってからSNSを見るのも止めた。取り敢えず、眠るのである。
21:00に就寝して、6時間経つと3:00である。就寝後と起床前には、それぞれアイドル時間があるから、今朝(2016/3/3)は、4:00過ぎに起床した。
朝食、簡単な掃除、洗濯、そして、散歩をする。それだけ済ませて7:00である。
これが、起床5:00であっても、3:00であっても同じことをする。それが、生活のリズムである。同じことを繰り返す。それで、アタマが起動する。コンピュータが起動するのには、それなりに手順があり、時間を要するが、それと似ている。
私の生活には、こういうものがなかった。起きて、急いで朝食を食べて、急いでオフィスに行き、誰よりも遅く帰り、寝る。そして、アタマの中には、解かなければならない課題が常にある。それも、職場で評価されるかどうか不明な課題だ。
うつ が 融けてきたここ数日、朝の散歩をして気づくのは、自分の歩く姿勢だ。視点が高くなった。猫背ではなくなったいう言い方でも良いかもしれない。
うつ と、診断されるよりもずうっと前に、職場の先輩から、「お前はいっつも下向いてるな!」と言われたことがある。つまり猫背で歩いていたのである。
考えごとをしながら歩いていると、どうしても、視点は下を向く。目から入ってくる情報を遮断して、思考に集中するためである。
そんな生活を三十年近くしてきた。うつ に なって、職位は上がらなくとも、仕事で考えることが無くなることはなかったのだから、ある意味幸せなことである。うつになって失うことばかりではない。
そんな私の散歩の時の視点が、上になった。放っておくと、猫背になってしまうから、少し意識的に背筋を伸ばすということも、当然している。
しかし、重要なことは、視点を上げようとしたことだ。そして、それに気付いて、継続しようとしでいることだ。
だから、アスファルトの道を見ながら歩いているときには気づいたかどうかわからない、よその御宅の立派な椿の木にも目が行った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/03/82f398c549dbf53870f894490c943d36.jpg)
そこは、自宅の直ぐ近くで、春から秋にかけてはジョギングして、スピードに挑戦していた。
そして、つい最近の躁状態が現れたときには、散歩と言いながら、ペースアップを狙っていた。これは、アドレナリンを分泌させる行為だ。
昨日も同じ道を歩いたが、椿に気付かなかった。気づいたとしても、写真を撮るために、歩くのも中断したかどうかはわからない。
明らかに、うつ が 融けている。それは、三十年近く前に、就職して以来、失っていたモノを思い出す試みではないかと思い始めている。
恵まれた状態の休職であることも自覚している。しかし、それを、職場や世間に対して、申し訳ないと思ってしまっては、うつ は融けないと考えている。
うつ に なる実験と再発する実験を自分自身の身体を使って行ってしまった。
今の私は、そんな自分自身で、うつ が融けるとは、どういうことかとか?という、実験をしていると考えている。
実験は、未だ、当分続く。
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