「今橋」から船溜まりを望む。ここは昭和初期まで旧笙の川の河口だった。今橋西詰は江戸時代「茶町」と呼ばれ、茶問屋・宿・料理屋があり寛文年間(1661~1673年)に最も栄えた。明治7(1874)年、「池子町」と合わせて「川崎町」になった。

敦賀観光ホテルの前庭にある「高灯籠」を見に行く。元々は洲崎に住む船頭庄山清兵衛が屋敷内に建造したものだ。橋の袂まで戻り「大黒屋化粧品店」の斜向かいに赤壁の建物を見つけた。


洒落た窓の竹細工から一瞬「遊廓」かと思ったが、古くから営業を続ける「千鳥湯」という銭湯だった。敦賀城の御堀跡と言われる闇加川の北にかつて「池子町」、南に「十軒町」があった。

「茶町」の絶頂期、「十軒町(現在の結城町)」に娼家戯場があったと『敦賀志』に記されている。
