万一、ここを訪れた方に多大な心配をお掛けてしてもいけないので、もう少し経緯などをお伝えしておく。
電車に乗っている時から、何となくいつもと違った感覚があった。
僕は吊革に掴まっていた。
電車の揺れに対しては両足の踏ん張りで対応できるはずなのに、体が異様な傾きをしていく。……? でも何とか、腕の力で維持できていた。
池袋駅に着いた。降りる客、まだ残る客そして入れ替えで乗ってくる客、それぞれ交差する瞬間だ。僕は前にいる降車客のあとに続いた。…………。ん? どうもぎこちない。自分の動きが変だった。普通ならスイスイあとに付いていくのに。自分の考えと体の動きが違うのだ。左足は普通に出ている。しかし右足が違う動きをする。左を出すそして右足を出……。えっ!……が出ない。
焦った。なになに? どうした! 変だ。明らかが異変が僕を襲っている。反射的に、階段を降りていく行動をとった。すでに降車客はいなくなっていた。言うことを聞かなくなった右足を引きずりながらゆっくり降りていく。すると新たに到着した電車から、降車客の足音が聞こえてきた。それでも、自分のペースで降りて行った。
改札口を出る。…………。この行動が、……。思考回路もおかしくなっていた。
結局改札口から出られなかった。近くに駅員さんを見つけたので、どうしたら出れるか尋ねようと思った瞬間、その言葉が出てこないことに気づいた。もう一度気を取り直し、やっと絞り出すようにして出した言葉を自分の耳で聞いたとき愕然とした。駅員さんに、事の成り行きを伝えようと思っているのに、呂律が回っていない。
少しの時間、近くの壁に寄りかかっていた。少しずつ元に戻っていく。なんなんだこれは。パーキンソン? アルツハイマー? 脳梗塞? これら病は、こうして突然現れるものなのか。とにかく、経験したことがないから、よくわからない。
会社に戻った。呂律もだいぶ良くなっていった。PCで調べると、脳梗塞の症状にそっくりだった。翌日、病院に行った。その日、即刻入院となった。
MRI、CT、エコー、24時間心電図などなど。MRI画像に白い点がくっきり見えていた。
結局今回は、一過性脳虚血発症という脳梗塞の前段階というもので後遺症はゼロ。
大変だったですね。
こうやって日記を書いてるようだから、大事に至らなかった?
後遺症ゼロだったんでしょう?
それを信じるならホントに良かった。
もしかして、完全復帰ですか?
これからは、十分気を付けて生活してくださいね。
これからも日記楽しみにしてますね。
大丈夫ですか。
心配してます。
早く良くなってくださいね。
こういう日記になってしまったけど、
何ともなかったからこうして書けている。
ありがたいことです^^
そうですね。
今後は十分気を付けながら生活をしていきます。
大事に至らなくて良かったです。
この際しっかり検査して貰って下さいね。
お大事に。
平成最後の日、鬼怒川温泉の旅館の温泉に浸かり豪華な食事舌鼓を打っている予定だった^^。、、、、。
ということで、連休は病院のベッドに臥していたわけざんした。
そして、ついについに僕も血をサラサラにする薬と降圧剤を常時飲むようになった。
そういう年頃になったということよ^^
ありがとうね。^^
norinori兵衛はすでに厄介になってるってか?(笑い)
そういう冗談はよくない。
具合が悪くなったら、まずボクに「ボクちゃんおなかが痛いの」と言って連絡することだ。
ボクはすぐにオロナイン軟膏の錠剤を持っていく。
キミは即座に蘇生する。
こんなにめでたいことはないのだ。
それにしてもだいぶ老化が進んでいるようだ。
気をつけなさい。
痛いの痛いのドンダケ~~
まいったぱん、なのだ。
それよりか、みんな元気か?
そうかそれはなにより、、、、ふむふむ^^