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ぐーちゃんgoo日記

ぐーちゃんgoo(倶輔丼)の独り言、つぶやき。

R7.6.11(水)花月

2025-06-11 12:05:09 | Weblog

小学生だった次男坊が、学校帰りに拾ってきた一本の小さな植物。

それを鉢に植えて育て始めた。

その後、それが「金のなる木」とわかった。更に別名「花月」ということもわかった。

それほど手をかけなくても、植物は元気に育ってくれた。

細かった枝は少しずつ太くなり、20年近く経った頃には、直径10センチほどに成長。葉も見事に茂った。

 

しかし、それから数年過ぎた頃、葉がポロポロと落ちるようになった。

それでも、落ちた葉を土に植えてみると、その葉はまた元気を取り戻していった。

まだ大丈夫だと、そう思った。

 

手入れが行き届かなかったのか、水をやり過ぎたからなのか、鉢の中にはシダがはびこり、「金のなる木」は見る影もなくほとんど葉も落ちてなくなり残骸となってしまった。

やはり寿命だったのだろう。

 

その後、枯れてしまった「金のなる木」の幹だけを残し、シダや他の雑草もきれいに刈り取った。

 

すると、それから数カ月経った頃、ふと幹のそばの土の中から小さな葉が現れているのを見つけた。

 

おどろいた。こんなことがあるのだろうか。

金のなる木の寿命は20年ほどと聞いていた。それでも、20年以上生きしてくれた。

ということは、これはその子孫なのだろうか?

またこれから20年成長してくれるのだろう?

 

だけども、僕自身、あと20年というわけにはいかないけれど、、。

 


R7.6.9(月)そろそろ潮時か、、、

2025-06-09 10:31:50 | Weblog

このgooブログが今年の秋で終了するという。少しショックだ……。

過去を遡っていくと、2007年からこのgooブログを始めたことになっている。

約18年。それ以前は、mixiを利用していた。

18年前というと何歳だっただろう? ふと振り返る。

このgooブログを始めた理由は、この響きに馴染みがあったからだ。

18歳の頃、アルバイト先のノッポの山口チーフに、「goo」とあだ名をつけられた。それ以来バンドをしている頃もそう呼ばれていた。

そんな思い出深い「gooブログ」が終わるのは、やはり寂しい。

秋というと、あと数ヶ月、、、。

その後の引越先としていくつかの候補があるが、歳も歳なので、そろそろ潮時か、という声も聞こえてくる。


R7,4,15(火)晩酌と医者と検査

2025-04-15 15:06:32 | Weblog

最近、ほんのひと口の酒を傾けるのが週末の習慣になっている。

ほんのひと口とは御猪口一杯、あるいはウイスキーならシングル七分目の水割り。

それをチビリチビリ、時間をかけて愉しむ。それでも、顔がほんのり朱に染まり、気持ちもふわりとやわらかくなる。そんなひとときの心地よさ。

酒好きには、とても考えられないだろう。

 

寄る年波には勝てない。抗ってもしかたがない。過去に、狭心症、大腸憩室炎、一過性脳虚血発作を起こした。

そうしたこともあり、近年、医者に通う機会も増えている。

昨日は不整脈のため、循環器科を訪れた。血液検査、心電図、胸のレントゲンを行ない、更に後日、四つの項目について追加検査を受けることになった。


令和7年4月4日(金)Free Wifi

2025-04-04 14:41:36 | Weblog

スマホを開け、設定、そしてインターネットをクリック。出てきた表示からWiFi Tully's Coffeeを選択した。

次に現れたのは、性別と年齢と表示された画面。これに答えないとつながらないということなのか。……今まで、こんなしちめんどくさいことはなかった。

ならば、男・女の選択から男、次に年齢。これは西暦の選択だった。画面を指ですべらせスクロールしていく。2025→2000→1980→目まぐるしく動いた結果、終着点は1945。

………1945? いわゆる西暦1945年。さすがに、ここで終わりだ。西暦1945年というのは終戦の年。今は、2025年。ということは80歳より前に生まれた人は、Tully's Coffeeではインターネットにつなげられないということ、と解釈した。世知辛い世の中だ。

ふと、大先輩の爺さんの顔が浮かんだ。戦中派の彼は、チト難しい。

しかし、彼の住む街は田園風景の広がる世田谷区老若男女町。この閑静な街には三軒のcaféがある。ユニークなカフェらしい。

友達発見喫茶「湧き愛愛」、禍メイドカフェ「亀戸」、そして冥土カフェ「萌え」。この地域はポケットベル指定地区だが、なかなか快適で都会に出る必要がない。

そんな話を聞いたことがあるようなないような……


R7.2.5(水)月末のことだった

2025-02-05 15:02:07 | Weblog

つい先日のこと、

改札口を出ると「今日は愛妻の日」といった表示が目に入った。

この目新しい表現にほんの少し興味を覚えた。まして、こんな記念日ホントにあるのか、という半信半疑の思いも手伝った。

 

その表示はコンコース内の店舗にあった。そこは特設店で、週ごとに販売店が代わり販売品の内容も変化する。

ちょっと寄ってみるか、、、。4〜5人のオッさんたちがショーケースの前に集まり、品定めしている様子だった。僕も近づいて中身の品物をのぞいた。有り体のモンブランだった。

 

しかしモンブランは大好きだ。ま、しょうがない、とりあえず相方の分も購入。

とりあえずの訳は、相方は甘いのが嫌い。もし、食べなければ僕が二つ食べればよい。

 

階段を一つ一つ降りつつ、先ほどの表示のことを考えた。

「愛妻の日」なんて今まで聞いたことない。

45段ある階段をちょうど降りきったときだ。

あ…………。

なるほど、、、。そういうことか。

その日は、1月31日の月末だった。

英語の初歩が始まった子供ならすぐに解決?

いや「愛妻」という言葉を知っていればの話か……。

 


R6.12.10(火)タコかマグロか

2024-12-10 15:31:34 | Weblog

夕飯時、漫然とテレビを見ていた。突然、タコがマグロよりも高いという内容に変わった。一瞬箸を止め耳を傾けた。

日本の漁獲量は年々落ちていて、今はほとんど輸入に頼っている。その原因は天候異変であり、各産地の取れ高に影響を与えている。

 

次の日、都内での仕事を終え、自宅近くの改札口を出ると、築地銀だこの前に長い行列ができていた。

以前も同じような光景を見たことがある。

近づいていくと、看板に390円の表示が見えた。なるほど、、、。それにしても、それだけのことで、ここまでするか? 普通の日なら並んでいるのが1人かせいぜい2人。他の日に買えばいいのに。というのが僕の思いだった。

 

店内に五人。三人が汗まみれになって手際よく裏返しにしている。そして一人が注文受付と包装、もう一人は横で小麦粉を懸命にといでいる。

しかし、たこ焼きは一から完成まで結構時間が掛かる。出来上がっているたこ焼きが一つも見あたらなかった。

そんな中、三十数人が寒い中を並んでいる。中にいる店員は懸命になって作っている。

もし、この三十数人の最後の人が買うまでどれくらい待つだろう。冬のさなかに待つ根気は僕にはない。

ならば620円出して空いてる日に買う。根性なしだから、、、。

しかし390の力はすごい。

確かに230円の差があるしな。恐れ入谷の鬼子母神、、、、。

 

ところで、気になるのは、たこ焼きの中身。タコか?それとも?ホタテ?いや……?

 

 


R6.11.4(祝)「ボロ〜ンと………」

2024-11-04 10:44:29 | Weblog

船を漕ぎ始めそうになった。

はっとして時計に目を移した。

さて、そろそろ寝支度を始めるか、と、奥の部屋に行った。

物置代わりになった二つの部屋の一つ。主のいないベッドに乗り、出窓のカーテンを閉めカギをかけた。

その降り際、隅っこが定位置になったオブジェに目がいった。それは、ずっとスルーしていたギターだった。

ふと懐かしく想い、その一つ、アコースティックギターの弦に親指を、一弦から六弦へとすべらせた。

♫ぼろ〜ん♪

透き通った音を奏でる、はずだった。

音は出た、確かに。

しかし、どこか錆びついた、くすんだ音だった。

そりゃそうだ。何年も使わず放置されていたギター。明瞭で澄んだ音を期待する方がおかしいか、と自虐的に心の中で苦笑した。

 


R6.9.23(祝)「京都」no.2

2024-09-23 15:59:11 | Weblog

翌日の9/8、妻一人を部屋に残し(許可済)^^、ぶらぶら散歩に出かけることにした。ホテルを出た。10時半を回ったばかりだというのに、夏の名残りの太陽が降り注いでいた。それは帽子に容赦なく襲いかかる。

スマホの地図を立ち上げた。どうも近くには目ぼしい場所がなさそうだった。それでも少し足を伸ばすと建仁寺という、聞いたことのありそうな名前を見つけた。でも、ちょっと距離がありすぎる感じがする。散歩はせいぜい往復一時間以内が限度。肝心の法要をうっかり忘れてしまいそうになる。

京都特有の風情を肌にひしひし感じながら、狭い路地をのんびり歩いた。傍にあった住居表示を見ると清水五条となっていた。

初めて歩く道は、どこか新しい発見が期待出来て、心もわくわくする。

その時、ふらふらする気配を感じた。今までも時たま起こっている、あれだ。嫌な予感がよぎった。大丈夫だと念じ、歩を進めていく。左手に平屋建ての家屋が見えた。東山警察署松原交番という表示があった。その建物の正面玄関の上には瓦のひさしがあって、京都ならではの風情を感じた。またちょっと進んで行くと、今度は右手に「不思議茶屋バラライカ」という風変わりな名前の看板があった。遠目からみると、そこは路地になっていてその奥にあるらしい。茶屋というからにはお茶屋さんだろう。興味が湧いたものの、その一方で路地の奥にあるというのが僕を後ろ向きにした。とりあえず深入りすることはやめた。

六波羅密寺という寺の傍に、自動販売機があった。そうだ、喉がカラカラだったのだ。ちょうど日陰になった場所で水分補給。折角だからちょっと寄って、お賽銭を入れお参りをした。少しの間、そこで時間をつぶしたあと、時計に目を落とした。そろそろ帰途に就くほうがいい。

そこは車一台通れるかどうかの小路だった。その薄暗い路地の先に、明るい五条通りが見えた。道の両側は風情ある格子窓の家が軒を連ねていた。懐かしい家並みの中に、柔かい筆致で町家「ながら」と書かれた白木の表札があった。束の間、立ちどまった。古い歴史ある建物なのに、化粧を施したようにきれいに整っていた。その隣りの家も町家となっている。いぶかしく思いながらも歩を進めると、五条通の広い道路に出た。

法事は滞りなく終えて新幹線の中で町家のことを調べた。……ふむふむ。

それで、思い違いが解消された。芸者や舞妓さんらがいる家(置屋)と勘違いしていた……。


R6.9.16(祝)「京都」

2024-09-16 16:46:37 | Weblog

一度と言わず何度でも行きたいと思うのが京都。

京都は、僕の生まれ故郷でもある。とはいえ、自由にいつでも行けるというものでもない。特別な用件がないと……。

一ヶ月ほど前のことだった。ポストに一枚のはがきが入っていた。差出人を見ると、京都の叔母さんからだった。中に書いてあったのは、9/8(日)叔父さんの23回忌法要を智積院で行うという内容だった。

一も二もなく行くことに決めた。京都あたりなら日帰りで帰って来れないこともないが、敢えて前日から行くことにした。

そうと決まったら、はやる気持ちを抑えつつも、予定を立てるのはとても楽しい。

古式床しい京の街並みを想像してみる。きっと満喫できるだろう。そう思うだけで心が躍った。

スマホで「えきねっと」を立ち上げ切符をとり、更に宿泊先を検索し予約を入れた。

9/7(土)、10時過ぎの新幹線に乗った。昼過ぎに京都駅に着いて、駅ビル内のラーメン屋で昼食をとった。駅前はインバンドの外国人でごったがえしていた。とりあえず、タクシー乗り場に向かった。数十人の客が列をなしていたが、タクシーの数も多く、十分もせずに乗ることができた。

ホテルは五条大橋のすぐ近くだった。四時過ぎ、そろそろ陽も傾き始めるころだろうと、近くを散策することにした。鴨川沿いに、古めかしい昭和初期の趣をそのまま残したような建物を見つけた。料理旅館鶴清と書いてあった。興味をそそられ、電話を掛けた。

五時半、先ほどの鶴清に行った。川床で京料理が楽しめるのが売りだったが、妻の体調がイマイチで部屋の中で食事をとることにした。何気なく部屋の隅々を見回した。床の間の掛け軸には、一見見返り美人のようななで肩の和服女性が描かれており、歴史と時の流れを感じさせる空間だった。

翌日9/8(日)は次回……。


R6.8.18(日)ひとりごと

2024-08-18 16:49:36 | Weblog

久しぶりに、ひとりごと。

七月の初めに書いた中華料理のランチが最後だった。

あの店、八月初めに行こうとしたら、店がなかった。

キツネにつままれたような変わり身の早さ、、、、。

中国の人のやることって、なんとなく、あ~こういうことか?

なんて思ってしまう。

話は変わる。

8月11日から13日。

その初日、6時間の旅路を経て家族8人が辿り着いた先は、山梨と長野の県境に佇む「八ヶ岳ホテル風か」。車中の長い時間は疲労を伴ったが、そこに待っていたのは至福のひとときだった。ホテルはフレンチ料理が自慢らしく、その味わいはまさに絶品。夜には、ドラム、ベース、ピアノ、そして女性ボーカルのカルテットによるジャズライブが、心地よいひと時を届けてくれた。バーではお酒が飲み放題で、心ゆくまで楽しむことができた。

少し休憩を挟んで外に出てみると、夜空には無数の星が煌めき、まるで宝石を散りばめたかのような美しさが広がっていた。

2日目は、甲府の近くにある石和温泉「くつろぎの邸国立」に泊る。

3日目は、近くに有名な観光地の昇仙峡があるが、きっと高速道路は帰省の帰りのラッシュに巻き込まれるだろうと、そこを観光せず近くにあったワイナリーを見学しただけで、ここを出発した。結局渋滞を避けることができた。だが、もう少し観光を楽しむ余裕があっても良かったのではないかと、あとで少しだけ思った。