ぐーちゃんgoo日記

ぐーちゃんgoo(倶輔丼)の独り言、つぶやき。

H23.3.30(水) インド人もびっくり!!

2011-03-30 14:50:26 | Weblog

去年の12月ころ、会社の近くにカレーショップがオープンした。本格的なカレーとナン、タンドリーチキンなどを食べさせる店だ。

しかし、立地条件が悪い。周りは、雑居ビルが並びオフィスビルというのも少ない。それに駅から89分歩き、明治通りから脇に入ったところに店はある。繁華街とは程遠い。一見客がめっぽう少ないところだ。いくら池袋でも、周りの状況をしっかりと調査し、その上で出さないと繁盛はしない。この場所、23年の間に、この店を含めて3件目だ。

オープン後、数日して一度行ってみた。きれいな店内。一時ころなのに客は数人。やっぱしな。

一昨日、知り合いと一緒にこの店のランチに行った。2組入っていた。我々が食べている間に、もう2組が入ってきた。おっ、少し軌道に乗ってきたかな? と内心思った。

帰り際、レジのインド人が気楽に声をかけてきた。

「ヤダネ、ホラ、アア、フ、フクシマ?」

「ああ、福島原発。放射能! インドに帰らないの? みんな、外国人は帰っているよ」

「ワタシ、カエラナイ。ズットコッチニイルヨ」

「ほう。勇気あるね。インド人もびっくり。日本人もビックリね!!^^」

 

そういえば。ふと思い出した。

先月、所属事務所から、36日撮影のCMのオーディション。オファーがあったらOKしますか? と連絡があった。原子力のことを話している60代後半から70代の数人を、フイルムに収めるというものだった。60代後半ですか?!^ ^;;も、もし、写真選考で僕が通ればOKですと返した。

もし、これが受かったら!! 複雑だなぁと思っていた。結局、僕は外れた。6日だったから、撮影は終了したと思う。それから5日後。

収録を終えた人たちはどう思っているだろう。当然この企画はオシャカだろうが。

 

 

 

 

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H23.3.21(祝)ブルースウイリス

2011-03-21 14:37:33 | Weblog

この由々しき惨状を放っておくわけにはいかない。沈静化させないと、日本という国がつぶれる、終わりになる、見放される。

 

こんな危機感を抱き訓練を重ねていたのだろうか。

満を持し準備を進めてきた彼らに、福島第一原発行きという東京都知事の出動命令が下された。

 

そして、任務を終えた東京消防庁の三人の会見を見て国民の多くが胸を打たれた。

一人は、妻から「あなたが救世主になって、日本を救って」と言われた。

一人は、「隊員に命令するのが辛かった」と、感極まり堪えるのに懸命になった。

一人は、「絶対に危険な事はしない、と妻に言ってきた。すると妻は信じてます」と言われ送り出してくれた、という。

彼らの家族や部下を想う気持ちが伝わり、おもわず涙腺が緩んでくる。

 

この勇気ある男たち、そしてこの勇敢な姿は、10年ほど前に上映されたアルマゲドンのラストシーンを僕に思い起こさせた。

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あの日(******2011.3.11)

2011-03-16 16:56:55 | Weblog

 

 この日二時頃僕は、日本蕎麦屋で昼食をとって帰途についていた。携帯が鳴った。前夜、1516年ぶりに一緒に飲んだ友人からだった。また飲もうぜ、という内容だった。電話を終え、EV9階の会社に戻る。2時半過ぎ。バッグにnotePCを入れ、出かける準備をする。……グラッ!! 

 ……グラッ!! グラッ、、、グラッ……と連続。これくらいの揺れは、たまにあった。

 一応、一人は入口のドアを開けに、もう一人は非常階段方向に走り出す。

が、いつもと違った。揺れ方が大きく変わる。

 ガガガッ、、ガラッ、、ガガ、ガッチャン、、ガッー!! 

 バタン、ガチャン、ギシギシ、ドタッ、ガッシャーン、あらゆる音が鳴ったのだろうが、激震の衝撃がすべての音を消した。

もう一段階大きな揺れがくると、もしかして最後になるかも? と思った。

やがて大きな揺れは一旦収まった。部屋の中の惨状は見るも無残だった。しかし、余震が続くため外に出る。眼前に避難民が溢れていた。近くの公園は満杯。営業で出ている者に連絡して、直帰を指示。今いる六人で、川越街道を下った。時計に目を落とすと1625。途中、下赤塚のバーミヤンで腹ごしらえ。30分ほどして出発。家に到着したのが21:45。一人、熊谷方面の男を車に乗せ2215ころ出発。家に戻って寝たのが翌3:30

 

 悲壮感の漂う連日のテレビ映像は、人間に厭世観を醸し出す。そして、さらなる難問が、日記を書こうとする僕の意欲を削いでいく。

 災害にあった人たちに、なんと慰めればいいのだろう。言葉がない。うすっぺらな慰めの言葉なら、何も言わないほうがいい。

 

 過去に、全世界が国家興隆の象徴として注目した日本を、今度は没落の始まりとして注目し始めた、のかもしれない。

 でも、ザッケローニが言った。必ず日本は立ち直ると。

 そうだ。そうなる。信じてがんばろう、と。

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H23.3.3(木)日吉ミミの日、よし!!

2011-03-03 13:27:18 | Weblog

今日は、どうやら耳の日らしい。

朝の新聞を見て気づいた。なぜなら、補聴器の広告がやたらに出ていたからだ。はじめ、何で今日はこればかりなんだろう? と単純に思った。33秒後に気づいた。あ、そうか、33。みみ。耳。なるほど~。兄さん、耳の日だよ!!!

今日は、朝から突風が吹き荒れている。それも、寒風だ。分厚いタイツを靴下の下に入れ、スリーピース、マフラー、そして真冬のコート。外に出ると、刃が頬に突き刺さるという表現がピタリ。そんな北風だった。

 

そういえばここ数日、日記は書いていなかった。記録もしていない。書くとすれば、記憶に頼ることになるのだが、それも怪しい。

これは困ったものだ!^ ^;;

これじゃいかんとばかりに、懸命に思い出そうとする。

意外とこれが、頭の痛い問題なのだ。なにしろ、頭から捻り出さなければならない。実に大変。しかし、こんなことまでして、する必要があるのか? 

ん? ん?

……だよな!!!!^^

で、面倒だから止めた。

そう、これ、正解。

自分が好きで書いているのだから、疲れるなら無理することは無い。

……だよな!!!!^^

 

で、久しぶりに、今、書いたのら。じゃんじゃん、、、、、、、、^^

 

 

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