tamagoのドイツ滞在記

ドイツ、キールに住んで、体験したことや思ったことを書きとめていくブログです。

ザルツブルク滞在中 2013年7月24日

2013年07月24日 | オーストリア





ザルツブルクは不思議な街です。

中心地には山、というより崖がそびえ、その上に建つ城塞が街を睥睨しています。
そして大自然を背景に、写真のような瀟洒な街並みが広がっているのです。

家々は砂糖菓子のような色合い。
まるで魔法の国に迷い込んだようです。


観光地を歩いているせいか、または音楽祭シーズンのためか、
街には旅行者が溢れ、そこここで音楽が漏れ聞こえ、生活の匂いが全くしません。


この夏一番の暑さのおかげで、少し歩くと朦朧としてしまうことも
現実感の希薄化に拍車をかけます。


週末には、どこかで38度になるという予報がでていましたが、
滞在先でないことを祈ります。






明日は、近郊のバート・イシュルに行ってきます。

このようなアトラクションがあるそうですよ。

1月のウィーン、イルミネーション

2013年01月05日 | オーストリア




20時頃のシュテファン寺院前。


クリスマスの雰囲気がそこかしこに残るウィーンです。
街のライトアップやイルミネーションも意匠が凝らされて素敵です







昼間はこのような感じ。

夜になると・・・





シャンデリアが煌めきます。




赤いくす玉のような装飾が華やかです。




多くの教会では、祭壇にもみの木が配されていました。


1月中頃まではクリスマスムードが続くようです

タージ・マハル

2012年10月25日 | オーストリア




夜のタージ・マハル、池に写って綺麗ですね。








冗談冗談






ウィーンのカールス教会(Karlskirche)。
ペストの鎮静を祈願して1716年に建設が開始され、1739年に完成しました。

設計は、ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エアラッハ
(Johann Bernhard Fischer von Erlach; 1656-1723)。
シェーンブルン宮殿も、当初の設計は彼によるものでした。







教会内、ドーム上部。
途中まではエレベーター、最後は階段でのぼれます。

壁画、天井画は、ヨハン・ミハイル・ロットマイヤー(Johann Michael Rottmayr; 1656-1730)。
このような視覚のイリュージョンを得意としました。


一番上は、三位一体の精霊の象徴、鳩が描かれています。
のぼったのは良いのですが、、階段が不安定で怖いです

ウィーン、ナッシュマルクトとのみの市 Naschmarkt, Flohmarkt 10月13日

2012年10月18日 | オーストリア




土曜日の午前中は、ウィーン市街地にほど近い市場散策へ。


ナッシュマルクト(Naschmarkt)は、食料品市場街で、
「ナッシュ」は「つまみ食いする」という意味なり

さらに毎週土曜には、並びでのみの市が開催されていますよー
アンティーク、雑貨、日用品等、様々なものが入り混じっています。
掘り出しものをgetしたければ早めの時間に行くのがおススメです。
(朝の6時半から開店。)


マルクトに入ると、野菜、肉、魚介類、チーズ、パン、スパイス、、
ありとあらゆる食料品が並びます。
人出も多く、気分は上野のアメ横?




色とりどりのドライフルーツ。




様々な香辛料。




肉屋の店先。






甘~いお菓子たち。




オリーブの種類もこんなにたくさん。


ついつい買い物(つまみ食い)したくなってしまいます。。
奥がBioマルクトになっていますので、お好きな方はどんどん進んでください。





のみの市の区画へ。
カゴも可愛いですね。




アラブ系のお店もあり、エキゾチックな布がはためいています。






場所柄、クリスタルガラスや東欧雑貨などが多く見られます。

下の写真のお店で、リキュールグラスを購入。
繊細なカッティングがほどこされていて、3つで5ユーロとお値打ちでした。


ナッシュマルクトには、カフェやレストラン、屋台等、
食事をとれる場所がたくさんあるので、朝食や昼食時にここに来ても良さそうです。

今回は、ホテルの朝食をいただいた後だったので断念。。

ウィーン夜想

2012年10月18日 | オーストリア




ウィンナーワルツ、クリムトの黄金、ハプスブルクの栄光、
在りし日の芸術と享楽の都に思いを馳せて。


日が落ちると街が一変して見えます。





ウォッカのせいじゃありません。





劇場(Burgtheater)や、




市庁舎(Rathaus)が、幻想的に輝きます。







国会議事堂(Parlament)にて、
アテナ神が今も睥睨するものやいかに。


ウィーン旅行 Wien 10月12~16日

2012年10月16日 | オーストリア




ウィーン、シュテファン寺院(Stephansdom)。
12世紀半ばから建てられ、14~16世紀頃に今のゴシック様式に改築されました。

門前には馬車が列をなしています。



********************************************

古代ローマ時代、ウィーンは帝国領の北の辺境で、
ウィンドボナ(Vindobona)と呼ばれる宿営地がおかれ、
これがウィーンの地名の起源となっているそうです。

中世には、ドナウ河沿いの交易地として発展しましたが、
1155年にオーストリアを治めていたバーベンベルク家が
都をウィーンに移したことで、より都市としての重要性を増していきます。
1221年には、ウィーンは都市特権を獲得しました。

1278年からは、オーストリア公となったハプスブルク家の支配下におかれ、
14世紀には、建設公と称されたルドルフ4世のもとで、ウィーンは大きな発展を遂げました。

この時代にシュテファン寺院(シュテファン大聖堂)、ウィーン大学等が建てられています。
ハプスブルク家はボヘミアやハンガリーを初めとする多くの領土を吸収し、
ドイツの神聖ローマ帝国の帝位を独占していきます。

1529年にはオスマン帝国による第一次ウィーン包囲(1529年)など、
危機的状況に直面しましたが、
ハプスブルク家のもとで帝都ウィーンでは華やかな貴族文化が栄えました。
17世紀末からは旧市街の王宮に加え、離宮シェーンブルン宮殿が郊外に造営されています。


19世紀、産業革命後のウィーンはロンドン、パリ、ベルリンと並ぶ大都市となりました。
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は大規模な都市改造を行い、
市壁を撤去し環状の道路(リング)と置き換え、路面電車を導入し、
歴史主義的建造物やモニュメントを街路に面して配しました。
この改造後を経て、ウィーンは現在の姿となっています。

オーストリア=ハンガリー帝国は多民族国家であり、
帝国各地からあらゆる民族出身の才能が集まり、ウィーン文化は爛熟の時を迎えました。

************************************************



シュテファン寺院や旧市街をふくむ歴史地区は、
「ウィーン歴史地区」の名称で2001年にユネスコの世界遺産に登録されています。

ここには旧王宮(ホーフブルク、現在は大統領官邸や国立図書館などとして使用)、
ウィーン国立歌劇場、ブルク劇場、自然史博物館・美術史博物館、
ベルヴェデーレ宮殿等が含まれています。





ウィーン空港にて、預入荷物のピックアップレーンに薔薇の花が。。




空港は近代的でキレイですね




「ドイツ語」の表示に、ドイツの国旗ではなく、
オーストリアの国旗が出てきます。
(赤と白のもの。)



ここからウィーン歴史地区散歩






旧王宮(Hofburg)の一角。




ウィーンの街かど。




路面電車(Ring)。




国立歌劇場(Staatsoper)。
1896年のこけら落としでは、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』が催されました。




学友協会(Musikverein)。
世界に名だたるウィーン・フィルの本拠地でございます。




ベルヴェデーレ宮殿(Belvedere)。
トルコ軍を破ったプリンツ・オイゲン公(1663-1736)の
夏の離宮として造られたもので、「美しい眺め」を意味します。






シュテファン寺院(Stephansdom)、外観と内部。
南塔は高さ137メートルで、ドイツのウルム、ケルンに次いで
世界で3番目の高さを誇ります。




美術史博物館(Kunsthistorisches Museum)。
自然史博物館と一緒の造りです。




両博物館に挟まれている庭園。
木の間からちょこっと見えているのは、修復中のマリア・テレジア像です。


この植木の刈り込み、
面白い形をしています。

どこかで見たような。。




これこれ
コーヒーマシンのカプセルとおんなじ。


今回の写真はとても枚数が多いです。
フォトチャンネルにまとめましたので、お楽しみくださいませ!