「道の学問・心の学問」第三十八回(令和3年2月12日)
伊藤仁斎に学ぶ⑪
「後世有道の人有つて出でば、必ず吾が言に於て、符節を合わせたるごとくならん。是れ吾が自ら恃(たの)む所なり。」
(『童子問』下巻第四十五章)
伊藤仁斎は、宝永二年(1705)3月12日に亡くなった。享年79歳だった。仁斎は67歳の時に『童子問』の定稿を完成させたが、その後も死に至るまで、改訂の筆を加え続けた。更に元禄十六年(1703)6月5日から『童子問』を講じ始め、翌年の9月5日に終了し、その半年後に亡くなっている。『童子問』が刊行されたのは、亡くなった翌翌年の事だった。この様に見ると、仁斎が如何に精魂を傾けてこの著作を完成させたかが偲ばれて来る。仁斎は自らの生涯を掛けた学問の成果を『童子問』として、後世の人々に遺したのである。求道者として、一つ一つの言葉を慎重に選び、その全てに責任を負うていた。
それ故ここに紹介している「後の世に道を体現した人が現れて来るならば、必ず私が残した言葉と符節を合わせる様な言葉をその人も語るであろう。これは、私が自負し、信じている事なのである。」との言葉を述べる事が出来たのである。仁斎は、「門人や未熟な者の説でも、正しくて合点する点があれば、私は取り上げてそれに従って来た。門人達と商議して皆で納得した上で確定し、それを書に結実させて来た。もし真理に合わない事があったならば、それは斥けて来た。それは皆が知る所である。」と記している。仁斎は、門人達を同志として、互いに疑問を出し合い、誠実に議論し合って、皆が納得するものを「真理」として確定して書に著したのである。仁斎の独断ではなく、衆議による智慧の書ともいうべきであろうか。それ故、後世の人も必ず納得するであろうとの、自負心を抱く事が出来た。
他の箇所(下巻・第四十二章)で仁斎は、鷹を養う者の説を引用して、孔子や孟子の「聖学」を志す者の自負心を語っている。「鷹の中で最も俊敏な者は、獲物である鶴の最も大きなものを仕留める、他の凡庸な鷹は小物の鶴しか狙わない。鷹の中で最も神俊な者は「海東青(かいとうせい)」と号し、建酋(けんしゅう・満州地方)にしか生まれない。儒学の中で訓詁の学や宋学を学ぶ者は居るが、それは二流三流の学者である。我々の様に、孔孟の「正学」を志す者こそが「建酋の海東青」に他ならないのである。」と。
儒学の教えの神髄は、孔子・孟子の言に直接学び、体得する事を提唱し、実践求道し続けた伊藤仁斎。自らの成し遂げた学問を必ずや後世の求道者は嘉すると信じ、「建酋の海東青」と自称した仁斎。私もその信念に学び、死ぬまで真理を求めて学び続けたいと思う。
伊藤仁斎に学ぶ⑪
「後世有道の人有つて出でば、必ず吾が言に於て、符節を合わせたるごとくならん。是れ吾が自ら恃(たの)む所なり。」
(『童子問』下巻第四十五章)
伊藤仁斎は、宝永二年(1705)3月12日に亡くなった。享年79歳だった。仁斎は67歳の時に『童子問』の定稿を完成させたが、その後も死に至るまで、改訂の筆を加え続けた。更に元禄十六年(1703)6月5日から『童子問』を講じ始め、翌年の9月5日に終了し、その半年後に亡くなっている。『童子問』が刊行されたのは、亡くなった翌翌年の事だった。この様に見ると、仁斎が如何に精魂を傾けてこの著作を完成させたかが偲ばれて来る。仁斎は自らの生涯を掛けた学問の成果を『童子問』として、後世の人々に遺したのである。求道者として、一つ一つの言葉を慎重に選び、その全てに責任を負うていた。
それ故ここに紹介している「後の世に道を体現した人が現れて来るならば、必ず私が残した言葉と符節を合わせる様な言葉をその人も語るであろう。これは、私が自負し、信じている事なのである。」との言葉を述べる事が出来たのである。仁斎は、「門人や未熟な者の説でも、正しくて合点する点があれば、私は取り上げてそれに従って来た。門人達と商議して皆で納得した上で確定し、それを書に結実させて来た。もし真理に合わない事があったならば、それは斥けて来た。それは皆が知る所である。」と記している。仁斎は、門人達を同志として、互いに疑問を出し合い、誠実に議論し合って、皆が納得するものを「真理」として確定して書に著したのである。仁斎の独断ではなく、衆議による智慧の書ともいうべきであろうか。それ故、後世の人も必ず納得するであろうとの、自負心を抱く事が出来た。
他の箇所(下巻・第四十二章)で仁斎は、鷹を養う者の説を引用して、孔子や孟子の「聖学」を志す者の自負心を語っている。「鷹の中で最も俊敏な者は、獲物である鶴の最も大きなものを仕留める、他の凡庸な鷹は小物の鶴しか狙わない。鷹の中で最も神俊な者は「海東青(かいとうせい)」と号し、建酋(けんしゅう・満州地方)にしか生まれない。儒学の中で訓詁の学や宋学を学ぶ者は居るが、それは二流三流の学者である。我々の様に、孔孟の「正学」を志す者こそが「建酋の海東青」に他ならないのである。」と。
儒学の教えの神髄は、孔子・孟子の言に直接学び、体得する事を提唱し、実践求道し続けた伊藤仁斎。自らの成し遂げた学問を必ずや後世の求道者は嘉すると信じ、「建酋の海東青」と自称した仁斎。私もその信念に学び、死ぬまで真理を求めて学び続けたいと思う。
手紙:首相官邸ホワイトハウスインターネットメディア
菅義偉殿侍史
梶山静六公のご信条は「愛郷無限」なり。
貴殿は昨年上杉鷹山公と同じ国の司となられた。
上杉鷹山公の御誓文は「民の父母」と「伝国の辞」と「参姫への手紙」なり。
「受け継ぎて国の司と成れる身の忘るまじきは民の父母」
「一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事
天明五巳年二月七日 治憲 花押
治広殿 机前」
「参姫への手紙」
hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-68af.html
梶山静六公の恩師田中角栄公の愛郷無限が「日本列島改造論」なり。
blog.goo.ne.jp/hougakumasahiko6th/e/51d7792271c0ca1705e2fb8cf211b8b9
2011年3月11日戦後人類史上未曽有の大津波大震災で母国郷土に刻まれた深い傷の癒える暇なく、
次々と大災害と大人災が続いて10年になんなんとする直前の02/13/2021、
再びの母国郷土へ深い傷を与える震度6~7の福島沖大地震である。
民の父母たる母国郷土の国の司総理大臣がなぜ直ちに地震対策本部を緊急設置し国務大臣全員緊急招集して、
不眠不休で母国の人々を救恤しないのか。
「愛郷無限」恩師梶山静六公に顔向けができるのか。
報恩を知る日本人ならば直ちに消費税を総理大臣職権で全廃して「民のかまど3年間」を緊急施行せよ。
主権者国民勤労する日本国国王が公僕総理大臣と内閣行政府公務員全員に厳命を下す。
慎んで王命を受け速やかに施行せよ。
さもなくば主権在民日本国憲法の王権を以て処罰する。
「民のかまど3年間」
hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-e4fb.html
【豊岳正彦2 秒前
@正しいとは何か 】
ハイハイ斜め上から物ゆう東大話法さんw
仰せの通り阿修羅でまとめましたからこんな風にw
コメントは一番最後の質問だけにしましたw
3. 豊岳正彦
公式】ヒバリクラブ 2021年2月14日 これほど頭が悪いとは! 実は傲慢な心が頭を鈍らせる・・・女子高生のワクチン拒否
youtube.com/watch?v=qzHzqGb6Mdc
豊岳正彦36 分前
大学出てその仕事についたやつは全員ドバカだぜw
教科書が全部嘘だからなw
だから日本学術会議法を廃止して中学校以上は全部私立学校法人にして国からの補助金はゼロにすればよい。
東大と慶応大はすべて廃止。
国が補助金で全学部経営を全額補助するのは防衛大学だけでよい。
豊岳正彦7 分前(編集済み)
西洋医学やってるやつをお医者さんと呼んではいけないよ、
全員精神科が妄想ででっちあげたニセの保険病名付けて医療保険金介護保険金60兆円保険金詐欺師のニセ治療人殺し専門だからな。
だから医者はみな頭がおかしいのさw
これを治すには世界中の医学と医療から精神科を完全除去すればよい。
精神科が完全に殺人科であるからねw
その証拠にどこの国でもジェノサイドを実行しているのは精神科の手先の「医者」だろ。
麻薬は精神科の発明だし、手術麻酔はすべて精神科の薬物だし、臓器摘出は精神科のロボトミー手術からそもそも始まったのだ。
精神科の教科書を読んでご覧。
こどもでも大嘘八百が書いてあることをすぐに見抜くからw
豊岳正彦1 分前
武田先生こんな猫でもわかる真実をどうして学者先生がわからないのかねえw
それは田中正造翁が明治のうちにみんなに教えてくれたはずだけどねw
「世の中は学士博士が破るもの 作るは下男織るは織姫」
本当の学問は温故知新である。この世に新発見などないのさw
先生と呼ばれるほどのバカでなし。というご先祖様の言葉をご存じでしょw
豊岳正彦1 秒前
武田先生は科学者だからこの現象をわかりやすく説明してもらえませんか。
「NHKの地震映像・青い閃光多数。311も食らった宮城職員の怒りが伝わる映像である。」
asyura2.com/21/cult30/msg/759.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2021 年 2 月 14 日
自然地震などではなく、地上と人工衛星から悪さをした人工地震そのものである。
【津波てんでんこ】
hougakumasahiko.hatenablog.com/entry/2021/02/15/190623
二月一三日福島沖で大地震が発生し震度6強の
揺れが日本列島の大地を振るわせました。
十年前の東北大震災とことなり津波はありませ
んでしたが福島県いわき市にお住まいの知人の
お話では同じように大きな揺れが今回は横揺れ
だったそうです。
日本列島は火山脈の上に形成されているので
文字の記録が無い遥か悠久の昔から常に間断
無く地震と津波が起こってきました。
津波の巨大なエネルギーは人知や人力では
どうにも防ぐことが出来ません。
如何に多くの人びとが知恵と力を合わせて
津波を押し止めようとしてもひとたまりも無く
飲み込まれてしまいます。
海沿いで大地震が起こればすぐに大津波が押し
寄せることを先祖代々の言い伝えで知っていた
日本人のご先祖様が、津波の時命を守るには
一人一人が出来るだけ早く高台に駆け上って
津波を足下でやり過ごすしか方法が無い事を
短い日本語で表した言葉が【津波てんでんこ】で、
互いに大声で叫び交わしながら親子でも手を
離しててんでんばらばらに親から貰った自分の
四本の手足を全て使い一刻でも早く山へ駆け
上れ、命あっての物種だからという教えです。
如何に一生涯人に親切にしてあげたくとも
自分が死ねばどんな親切も親孝行も出來なく
なってしまう。
生きて親切にするために津波の時は銘々が
独りの力で自分のかけがえのない命を守り
なさいと、すべての人に教える親心の言葉が
津波てんでんこなのです。
ですから現在のようにコロナパンデミックで
家に閉じこもっていても、
地震があって津浪が来ると察知したら、
一刻も早く家を出て、
銘々が親から貰った自分の四つ足を使いきって、
間近の高台に駆け登って生き延びて下さい。
それが皆さんを生んで育てた親御さんの
心からの願いなのです。
山口新聞東流西流
二月十八日掲載予定推敲前原稿
hougakumasahiko.muragon.com/entry/128.html