「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

武士道の言葉 その39 大東亜戦争・祖国の盾「特攻」 その2

2016-04-05 11:19:10 | 【連載】武士道の言葉
「武士道の言葉」第三十九回 大東亜戦争・祖国の盾「特攻」その2(『祖国と青年』27年10月号掲載)

平和を愛するが故に戦いに参加する

平和を愛するが故に戦いの切実を知る也、戦争を憎むが故に戦争に参加せんとする   (古川正崇・『雲ながるる果てに』)

 九月十九日午前二時過ぎ、わが国の安全保障をより強固なものとする為の平和安全法制が漸く国会で議決され成立した。この間の国会審議が不毛に終始したのは、五野党がこの法案を「戦争法案」「憲法違反」と極め付け、問題の本質である安全保障問題を論議させなかったからである。「戦争」と「平和」、それは二律背反の命題では無く、相互に補完する関係にある。戦争の為に戦争を欲する者など殆ど居ない。平和を限りなく求めるが故に、現実世界に生起する戦争や紛争に対応し、克服と解決を期すのである。

 その事を、神風特別攻撃隊振天隊として沖縄で散華した古川正崇さんは「出発の朝(入隊に際して)」と題する詩に謳っている。

「二十二年の生  全て個人の力にあらず  母の恩偉大なり  しかもその母の恩の中に  また亡き父の魂魄は宿せり  我が平安の二十二年  祖国の無形の力に依る  今にして国家の危機に殉ぜざれば  我が愛する平和はくることなし  我はこのうえもなく平和を愛するなり  平和を愛するが故に  戦いの切実を知る也(や)  戦争を憎むが故に  戦争に参加せんとする  我等若き者の純真なる気持を  知る人の多きを祈る  二十二年の生  ただ感謝の一言に尽きる  全ては自然のままに動く  全ては必然なり」

 「我はこのうえもなく平和を愛するなり」の言葉が迫ってくる。大阪外国語学校に学び、その後決然として特攻隊を志願した古川さんの祖国・人生・学問の追求の上に、心の底から平和を希求するが故の、殉国の強い意志が生まれたのである。そして彼は敢然として沖縄に迫り来る米艦目がけて突入した。平和とは空理空論では実現できない。古川さんの言葉はその事を訴えている。




誇りと喜びと

今限りなく美しい祖国に、我が清き生命を捧げうることに大きな誇りと喜びを感ずる。 (市島保男・『雲ながるる果てに』)

 『雲ながるる果てに』は、戦歿学徒の遺稿集である。彼らは大学及び高専を卒業もしくは在学中に、海軍飛行専修予備学生を志願し、その多くは特攻隊として散華した若き学徒達である。戦前の日本では高等教育機関に進学した学生は同世代の一%未満であり、彼らは日本の将来を担うに足る学力を備え、かつその自覚を抱いて学業に励んでいた。第十三期は昭和十八年九月入隊、4726名、内1605名が戦歿した。第十四期は昭和十九年二月入隊(学徒出陣組)、1954名、内395名が戦歿。その多くは特攻隊将校として散華している。

 戦後『きけわだつみの声』という戦歿学徒の手記が逸早く発刊された。だが未だ占領軍による検閲制度下での刊行であり、戦友・遺族の中からは内容に疑問の声が出されていた。そこで昭和二十七年の講和独立を期し、戦友・遺族会(白鷗遺族会)が満を持して出版した本がこの遺稿集である。その後、学徒出陣組である十四期会が昭和四十一年に『あゝ同期の桜』を出版している。第十五期の海軍飛行予備学生だった私の父は『あゝ同期の桜』を生涯座右の書としていた。

 市島保男さんは、早稲田大学から学徒出陣し、神風特別攻撃隊第五昭和隊として沖縄で散華した。市島さんは「この現実を踏破してこそ生命は躍如するのだ。我は、戦に!建設の戦いに!解放の戦いに!いざさらば、母校よ、教師よ!」と記して学窓から旅立った。だが、彼はあくまでも冷静だった。「悲壮も興奮もない。若さと情熱を潜め己れの姿を視つめ古の若武者が香を焚き出陣したように心静かに行きたい。征く者の気持は皆そうである。周囲があまり騒ぎすぎる。くるべきことが当然きたまでのことであるのに。」

 戦死五日前の昭和二十年四月二十四日の手記「隣の室では酒を飲んで騒いでいるが、それもまたよし。俺は死するまで静かな気持でいたい。人間は死するまで精進しつづけるべきだ。まして大和魂を代表する我々特攻隊員である。その名に恥じない行動を最後まで堅持したい。私は自己の人生は人間が歩みうる最も美しい道の一つを歩んできたと信じている。精神も肉体も父母から受けたままで美しく生き抜けたのは、神の大いなる愛と私を囲んでいた人々の美しい愛情のお蔭であった。今限りなく美しい祖国に、我が清き生命を捧げうることに大きな誇りと喜びを感ずる。」





心卑しからず

心卑しからば外自ずから気品を損し、様相下品になりゆくものなり。 (石野正彦・『雲ながるる果てに』))

 神戸高等商業学校卒の石野正彦さんは、三重航空隊での訓練中に「自省録」を記した。

昭和十八年十月二十日「心卑しからば外自ずから気品を損し、様相下品になりゆくものなり。多忙にして肉体的運動激しくとも、常に教養人たるの自覚を持ちて心に余裕を存すべし。教養人なればこそ馬鹿になりうるなれ。馬鹿になれとは純真素直なれとの謂(いわれ)なり。不言実行は我が海軍の伝統精神なり。黙々として自らの本分を尽し、海軍士官たるの気品を存するが吾人の在るべき方法なり。吾今日痛感せる所感をあげ、もって常住坐臥修養に資せん。

一、黙々として己が本分を尽すべし。
二、海軍士官たるの気品を備うべし。
三、男子は六分の侠気四分の熱なかるべからず。

しかして、誠を貫くことは不動の信条なり。寡黙にしてしかも純真明快、凛然たる気風を内に秘め、富嶽の秀麗を心に描きて忘るべからず。」

 戦歿学徒の遺稿には、「死」を必然化した青年達の、凝縮した「生」に対する真剣な叫びが綴られている。

 慶応義塾大学出身で神風特別攻撃隊神雷部隊第九建武隊として戦死した中西斎季さんは「陣中日記」に次の様に記している。

「三月×日 死は決して難くはない。ただ死までの過程をどうして過すかはむずかしい。これは実に精神力の強弱で、ま白くもなれば汚れもする。死まで汚れないままでありたい。」

 これらの文章を読むと、特攻隊の青年達が如何に道を求め、特攻迄の短い日々を真剣に生き抜き、真剣勝負の日々を送っていた事が窺われる。

 同じく神風特別攻撃隊第一八幡護皇隊艦攻隊として南西諸島に散った、大正大学出身の若麻績(わかおみ)隆さんも次の様に記している。

「己だけ正しいのみならず、他をも正しくする。他を正しくせんためには、己は純一無雑の修行道を歩まねばならない。一歩行っては一度つまずき、延々とつづくその嶮路を歩まねばならない。搭乗員の生活はいかにもデカダンのように一般に思われている。(略)反対に日々の向上、日々の修養という事が大きく表われている。平和な時代に五十年、六十年をかけて円満に仕上げた人生を、僅々半年で仕上げなければならない。もちろん円満などは望むべくもなかろう。荒く、歯切れよく、美しく仕上げねばならないのだ。」






本当の日本男子

散るべき時にはにっこりと散る。だが生きねばならぬ時には石にかじりついても生きぬく、これがほんとうの日本男子だと思います。 (真鍋信次郎・『雲ながるる果てに』)

私はこの言葉を読み、幕末の志士吉田松陰を思い起こした。亡くなる年に松陰は、弟子である高杉晋作の問いに対し、「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」と答えている。真鍋さんも松陰の事を勉強していたのかもしれないが、特攻隊の青年は二十二歳で松陰の境地に達している。真鍋さんは九州専門学校から予備学生を志願し、昭和二十年五月に南西諸島で散華した。

この言葉の少し前には「およそ生をうけたものはすべて死すべき運命をもって生まれてきております。必ず死ななければならないんです。(略)だから死すべき好機を発見して死ぬことができたならば大いに意義ある人生を過ごしえたことになると思います。御国のために死ぬということは天地と共に窮りなき皇国日本と、とこしえに生きることであると思います。」と記している。

 中央大学出身で神風特別攻撃隊神雷第一爆戦隊として沖縄方面で散華した溝口幸次郎さんは、自らの人生について次の様に記している。「生まれ出でてより死ぬるまで、我等は己の一秒一刻によって創られる人生の彫刻を、悲喜善悪のしゅらぞうをきざみつつあるのです。(略)私の二十三年間の人生は、それが善であろうと、悪であろうと、悲しみであろうと、喜びであろうとも、刻み刻まれてきたのです。私は、私の全精魂をうって、最後の入魂に努力しなければならない。」

 「最後の入魂」とは素晴らしい表現である。特攻隊員の多くは、自らの人生を祖国日本に捧げる事を決意し、特攻までの残された人生の時を、最後の成功を期して猛訓練に励みつつ、自己完成を目指して精進している。『雲ながるる果てに』には、最高学府に学びかつ国家の運命を莞爾として受け止めて特攻隊を志願した当時の二十代前半の青年達の求道の記録が刻まれている。学問の道に進んだ彼らの本質は文人である。しかし彼らは、祖国防衛の為の武人たるべく立ち上がり、戦いに身を投じた。死ぬまで道を求め続けた彼らの姿の中に、文武両道を目指す日本武士道の精華を見出すのである。

 人間一人一人に与えられた人生の時間は限られている。私にも残された時間は少ない。二十数年の時間しか与えられなかった特攻隊の青年達の、真剣なる生の表白に真向かうとき、粛然として襟を正され我が身を省みさせられるのである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 武士道の言葉 その38 大... | トップ | 「武士道の言葉」その40 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

【連載】武士道の言葉」カテゴリの最新記事