「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

貝原益軒に学ぶ⑭「心術之戒・言語之戒・威儀之戒・応接之戒」

2021-06-01 12:03:01 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第五十五回(令和3年6月1日)
貝原益軒に学ぶ⑭
「心術之戒・言語之戒・威儀之戒・応接之戒」
                     (「自警編」)

 益軒は、寛文八年(1666)、三十九歳の時に、「自警編」という自らに対する戒めの言葉41語を漢文で記している。自警=自戒を記す事が出来るのは、それだけ学問と内省を重ねて自分の欠点が見えて来た事の証左である。益軒は「和漢古諺」の中で、「秘事はまつげのごとし」を紹介している。まつ毛は、人には良く見えるが自分には見えない。自分の欠点もまつ毛の様に己れには中々見えない。

 益軒は「自警」として、戒めるべき事を大きく四つの範疇に分けている。「心術(心の持ち様)」「言語(言葉)」「威儀(身なりや振舞い)」「応接(他者への対応)」である。これらの全てが自らの人間性を表現するものである。

 「心術之戒」では、題の下に「志を立てて基本を定め、敬いの心を常に抱いて心を養う」と要点を記し、その後16の戒めるべき言葉を記している。

 「廃志」…志は全ての基であり、一生持ち続けるべきである。決して志を衰えさせ(廃し)てはならない。
 「不敬」…己を修めるには敬の心持を失わない事が大切。
 「不省」…省察しなければ自分が行っている善悪を知る事が出来ない。
 「自欺」…自らの本心を欺かない為に必ず独りを慎まねばならない。
 「不仁」…惻隠の情を忘れず、世の中の弱者に救いの手を差し伸べねばならない。
 「不忍」…忍ぶ心によって物事を成し遂げる事が出来る。
 「暴怒」…七つの情の中で最も徳性を害する事。
 「雑慮」…心は常にさっぱりとして快活であるべき。
 「刻薄」…他者に厳しすぎてはならない。
 「躁擾」…心気は従容として沈静であるべき。
 「忘恩」…父母・君主・天地・聖賢・師傅の五恩を忘れてはならない。
 「憂苦」…心中に常に和らぎや楽しみがなければ、卑しさや偽りの心が生じる。
 「不摂生」…身体は父母から戴いたものであり、大切に養うべき。
 「求満(満を求む)」…欲望を縦にせず、心を満たし、楽しみを極めてはならない。
 「縦欲」…欲望に流される事。
 「矜」…神も人も奢りを憎み謙虚さを好む。

 「言語之戒」では、「言語を慎む事で徳は養われる」と記して7つの戒語を記す。

 「多言」…言葉が多いと心に締まりがなくなり、気も失われる。常に黙して道を見よ。寡言こそが心を存し、気を養い、徳を修め、威を蓄える助けとなる。
 「戯謔」…戯れない事も志の一端である。
 「多笑」…精神が放漫になり心気を損なう。
 「軽言」…軽率な言葉は後悔しても取り戻せない。
 「言語不確」…言語は正確かつ分明であるべき。
 「疾言」…心は従容としてゆっくりとし、早口や激しい言葉は良くない。
 「誹謗」…人を謗る事は忠厚の道では無い。

 「威儀の戒」では「動止不閑雅」「怠荒」「晏起昼寝」「手容不恭」の4つ。

 「応接の戒」では「作事粗略」「無決断」「作事不慎始」「作事急迫」「心累外事」「好事」「辞色暴厲」「対僕不厳」「対客不愛敬」「為客久坐」「書字不敬」「飲食不節」「看書不法」「赴約後期」の14を記している。

 心の持ち様、言葉の用い方、日常動作、人への応接の在り方、と我々の日頃の修養にも参考とすべき「戒語」が多い。私達も独自の「自警」の言葉を見出そうではないか。

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