「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

熊澤蕃山に学ぶ③「君子の意思は内に向ふ。己ひとり知ところを慎て、人にしられんことをもとめず。天地神明とまじはる。其人がら光風霽月のごとし。」

2020-09-18 11:34:17 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第十八回(令和2年9月18日)

熊澤蕃山に学ぶ③

「君子の意思は内に向ふ。己ひとり知ところを慎て、人にしられんことをもとめず。天地神明とまじはる。其人がら光風霽月のごとし。」
                                   (『集義和書』巻第四)

 今回は「君子」八ヶ条の内の第三~第五について学んで行く。

一、知者の心、留滞なきこと流水のごとし。穴にみち、ひきゝにつきて終に四海に達す。意をおこし才覚をこのまず、万事不得已(やむをえず)して応ず。無事を行て無為なり。

 知者とは智慧の光を有する君子の事である。論語で孔子が「知者は水を楽しみ、」「知者は動き」(雍也第六)と述べた如く、知者の心は流れる水の様に留まり滞る事が無い。水は穴があれば静かに満ちて行き、低い所に流れ出て終には大海に達する。その様に、真の知者は我意を起こして無理に才覚を発揮する様な事は好まず、全ての事に従い、止むを得ずに応じている。自然の法則に従って行動し、作為の心が無い。それ故に無為という。水には様々な徳を学ぶ事が出来るが、蕃山は水の、静かに相手に応じて終には目的を達する「柔能く剛を制す」側面に着目している。真の知者とは何か、考えさせられる含蓄のある言葉である。

一、知者は物を以て物をみる。己にひとしからんことを欲せず。故に周して比せず。小人は我を以て物をみる。己にひとしからんことを欲す。故に比して周せず。

 「物を以て物をみる」とは、自分に引き付けて曲解せずに、対象をありのままに見つめ、そのままで肯定する事である。小人は「我を以て物をみる」、則ち、他人を自分と同じ様にあるべきだと強要する。自他夫々を平等に見つめ尊重するのが知者なのである。相手の本質を知覚するのである。それ故、「周して比せず」、周(あまね)く人と公平な態度で交わり、朋党を作る様な事はしない。万人を等しく見つめその本質を把握して尊重する者を蕃山は「知者」と称しているのである。

一、君子の意思は内に向ふ。己ひとり知ところを慎て、人にしられんことをもとめず。天地神明とまじはる。其人がら光風霽月のごとし。

 知者の所で見て来た様に、我意を以て他者を束縛するのは君子とは言えない。君子はあくまでもその意思=心が自らの内部に向かっている。藤樹の所でも学んで来た「自反慎独」である。自分のみが知っている所を慎み、自分の事が人に知られる事などは求めない。人と交わるのでは無く、天地神明と常に交わっている。その結果、その人柄は光風霽月(雨後に吹く爽やかな風と、雨上がりに夜空に輝く月)の様に、心にわだかまりがなく、さっぱりとしてすがすがしい。俗世を超越して天地神明と交わる生き方の中に蕃山の理想があった。

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