「続『永遠の武士道』」第六回(令和2年6月30日)
智、万人に勝れ、天下の治乱盛衰に心を用ふる者は、世に真の友は一人もあるべからず。千載の上、千載の下に、真の友はあるべきなり。
(『定本 名将言行録』「毛利元就」)
戦国の智将といえば、中国地方の覇者毛利元就の名前が先ず浮かぶ。元就は室町幕府御家人の次男として生まれ、後に周防・長門守護の大大名大内氏の配下に入る。持ち前の知略で勢力を徐々に拡大して行く。主君大内義隆が家臣の陶晴賢に滅ぼされ、自らも陶に疎まれる様になると、武略を用いて陶の大軍を厳島におびき寄せて撃破した。天文24年(1555)10月1日の厳島の戦いである。
この年の春に元就は厳島の有浦に宮ノ尾城を築いた。家臣たちは反対したが、元就は聞かなかった。しかし、完成後暫くして元就は「配下の将の意見を聞かず、厳島に城を築いた事は、我が一代の過ちだった。このままでは陶に奪われてしまう。」と後悔の念を漏らした。周りの家臣達も「殿の一代の失計」と唱えた。この事は陶の間者(スパイ)によって、日々陶方に齎され、遂に陶は厳島攻略を決断した。陶軍が二万から三万の兵力に対し、毛利軍は五千しか無い。元就は大軍を破るには狭い土地に敵をおびき寄せて動きが取れない様にして、そこを一気に攻め立てるしかないと考え、厳島での海陸双方から戦いを構想したのである。それが、見事に的中した。陶晴賢は大敗し、山中高安ケ原で自害した。
元就は、「ひとえに、ひとえに武略、計略、調略の他は、何もかもいらない」(毛利家文書・四一三)と述べていた。常に「はかりごと」に全知全能を傾けて、当時の実力者である陶を亡ぼし、更には尼子も滅ぼして中国地方の覇者となる事に成功した。
ある時、元就は酒を飲み柱に寄りかかり天を仰ぎ、慨然として次の様に嘆いた。「智慧が万人に勝れ、天下の治乱盛衰に心を用いる者は、今の世における真の友は一人も居ない。幾千年の後や前にだけ、真の友は出来るのであろう。同様の人が時を同じくして生まれたならば、彼を倒すか、彼に倒されるかの二つしかない。若し二人が志を同じくして世の中を治める事が出来るならば、万民が安堵し四海太平と呼ぶ事、決して難しい事ではないであろうに。」
現代でも「中心者の孤独」「英雄並び立たず」等の言葉がある様に、規模が大きくなればなる程、中心者の責は大きくなる。その絶対なる孤独を支えるものこそが、「千載の知己」である。千年後、千年前という「歴史の審判」がその人物を評価するのである。西郷南洲の「人を相手とせず、天を相手とせよ」も同じ意味である。真実を貫いて生きんとする者は、必ず歴史の中に「真友」を見出し、後世に「真友」を期待しているのである。
智、万人に勝れ、天下の治乱盛衰に心を用ふる者は、世に真の友は一人もあるべからず。千載の上、千載の下に、真の友はあるべきなり。
(『定本 名将言行録』「毛利元就」)
戦国の智将といえば、中国地方の覇者毛利元就の名前が先ず浮かぶ。元就は室町幕府御家人の次男として生まれ、後に周防・長門守護の大大名大内氏の配下に入る。持ち前の知略で勢力を徐々に拡大して行く。主君大内義隆が家臣の陶晴賢に滅ぼされ、自らも陶に疎まれる様になると、武略を用いて陶の大軍を厳島におびき寄せて撃破した。天文24年(1555)10月1日の厳島の戦いである。
この年の春に元就は厳島の有浦に宮ノ尾城を築いた。家臣たちは反対したが、元就は聞かなかった。しかし、完成後暫くして元就は「配下の将の意見を聞かず、厳島に城を築いた事は、我が一代の過ちだった。このままでは陶に奪われてしまう。」と後悔の念を漏らした。周りの家臣達も「殿の一代の失計」と唱えた。この事は陶の間者(スパイ)によって、日々陶方に齎され、遂に陶は厳島攻略を決断した。陶軍が二万から三万の兵力に対し、毛利軍は五千しか無い。元就は大軍を破るには狭い土地に敵をおびき寄せて動きが取れない様にして、そこを一気に攻め立てるしかないと考え、厳島での海陸双方から戦いを構想したのである。それが、見事に的中した。陶晴賢は大敗し、山中高安ケ原で自害した。
元就は、「ひとえに、ひとえに武略、計略、調略の他は、何もかもいらない」(毛利家文書・四一三)と述べていた。常に「はかりごと」に全知全能を傾けて、当時の実力者である陶を亡ぼし、更には尼子も滅ぼして中国地方の覇者となる事に成功した。
ある時、元就は酒を飲み柱に寄りかかり天を仰ぎ、慨然として次の様に嘆いた。「智慧が万人に勝れ、天下の治乱盛衰に心を用いる者は、今の世における真の友は一人も居ない。幾千年の後や前にだけ、真の友は出来るのであろう。同様の人が時を同じくして生まれたならば、彼を倒すか、彼に倒されるかの二つしかない。若し二人が志を同じくして世の中を治める事が出来るならば、万民が安堵し四海太平と呼ぶ事、決して難しい事ではないであろうに。」
現代でも「中心者の孤独」「英雄並び立たず」等の言葉がある様に、規模が大きくなればなる程、中心者の責は大きくなる。その絶対なる孤独を支えるものこそが、「千載の知己」である。千年後、千年前という「歴史の審判」がその人物を評価するのである。西郷南洲の「人を相手とせず、天を相手とせよ」も同じ意味である。真実を貫いて生きんとする者は、必ず歴史の中に「真友」を見出し、後世に「真友」を期待しているのである。
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