一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『夏の終り』 ……満島ひかりと同時代に生きているという幸運……

2013年11月17日 | 映画


今年(2013年)7月~9月のTVドラマで、
最も視聴率が良かったのは『半沢直樹』であったが、
私が最も良いと思ったドラマは、
坂元裕二脚本、満島ひかり主演の『Woman』であった。


シングルマザーの現実をシリアスに描いた脚本に加えて、
あまりにも満島ひかりの演技の迫力がすさまじいため、
いいドラマだけど……と前置きしながらも、
「重すぎる」「息が詰まる」
との評が多かった『Woman』。
私も観ていて正直「息苦しく」感じるときがあった。
ドラマと言うよりドキュメンタリーを観ているような緊迫感と切迫感があったからだ。
それだけ満島ひかりの演技が凄かったということだろう。
まさに鬼気迫る演技の連続であった。
ある放送作家が、
「TVドラマではもったいないほどの素晴らしい演技」
と言っていたが、(笑)
映画でも、これほどの演技にはなかなかお目にかかれない。
茶の間で無料で観ることができるレベルの演技ではなかったのだ。

このブログで、もう何度も言っている気がするが、(笑)
私は、満島ひかりが好きだ。
満島ひかりは、才能の塊だと思う。
存在そのものが、才能なのだ。
当然のことながら、本人の努力なくして才能は発揮できないが、
満島ひかりの才能は、
持って生まれた部分が他の人より大きいような気がする。
彼女の才能は、ほとんど本能のように感じるのだ。
こんな風に感じさせてくれる女優は、
満島ひかり以外にはいない。

満島ひかりの場合、最初から女優を目指していたワケではない。
沖縄アクターズスクールで学び、
その後、7人組ユニット「Folder」(後に5人組ユニット「Folder5」へ改組)に「HIKARI」名義で参加。
1997年にシングル「パラシューター」でデビューし、10万枚以上のヒットを記録。
同時期に映画『モスラ2 海底の大決戦』にも子役で出演し、
この経験が俳優を志す契機になった。
Folder5の活動休止後、「満島ひかり」名義で芸能活動を再開。
司会・グラビア・タレント活動を経て現在の女優業に転向した。
しかし、長らく芽が出ず、苦労を経験。
転機となったのは園子温監督の映画『愛のむきだし』。
当時全くの無名ながら、
「もはや狂気とも呼べる領域に達した満島の芝居に全てが圧倒された」
と園監督に言わしめた演技が高く評価され、作品の話題性と相まって知名度が急上昇。
同作品で報知映画賞、ヨコハマ映画祭、毎日映画コンクールなど、
その他多くの映画新人賞を受賞。
その後も、
『川の底からこんにちは』(2010年5月1日公開)
『悪人』(2010年9月11日公開)
『一命』(2011年10月15日公開)
『スマグラー -おまえの未来を運べ-』(2011年10月22日公開)
『北のカナリアたち』(2012年11月3日公開)
などに出演し、演技派女優として確固たる地位を築く。

このように、
様々な体験の後に(挫折の後にと言い換えてもいいかもしれない)、
満島ひかりは女優になったのだ。
これだけ短い間に、演技派女優に駆け上がった人も稀なのではないだろうか?

先ほど、私は、満島ひかりの存在そのものが「才能」と言ったが、
どんな媒体で彼女を見かけても、そこに才能を感じてしまう。
満島ひかりが出ているTVCMは、
他の俳優が出ているTVCMとは、あきらかに何かが違う。
たとえば、「ルナルナ」のCM


たとえば、「カロリーメイト」のCM


とにかく、満島ひかりが出ていれば、
そこは特別な空間となるのだ。
他では決して見ることのできないものを目撃することになる。
それは、特異なことであるし、
見る者にとっては、とても幸せなことだ。

で、(前置きが長くなったが)満島ひかりが主演する映画『夏の終り』を見に行った。
今年(2013年)8 月31日に公開された作品であるが、
公開当時は佐賀での上映館がなく、
<福岡まで見に行こうか……>と思ったが、
シアターシエマのHPで11月に上映されることを知り、
『さよなら渓谷』と同様、首を長くして待っていたのだ。

原作である瀬戸内寂聴(発表当時は、瀬戸内晴美)の『夏の終り』は、
かなり昔に読んではいたが、
細かいところは忘れてしまっていたので、
映画は新鮮な気分で見ることができた。

妻子ある年上の作家・慎吾(小林薫)と、
長年一緒に暮らしている知子(満島ひかり)。


慎吾は妻と知子との間を行き来していたが、知子自身はその生活に満足していた。
しかし、そんなある日、
かつて知子が夫や子どもを捨てて駆け落ちした青年・涼太(綾野剛)が姿を現したことから、
知子の生活は微妙に狂い始める。


知子は慎吾との生活を続けながらも、
再び涼太と関係をもってしまい……


と書くと、
男女の絡みのシーンの多い、ドロドロした映画を想像しがちだが、
実はまったく違う。
俗に濡れ場というようなシーンはほとんどなく、
まるで純愛のように物語は進んでいく。
それでいて、男女のどうしようもない心の絡みを、
余すところなく描き出している。
重厚で静寂な中に、
あふれるような情熱を感じさせてくれる。
そういう作品になったのは、たぶん、
監督が、熊切和嘉であったからだろう。
熊切和嘉監督といえば、『海炭市叙景』(2010年)が思い出されるが、
あの傑作を創った監督ならばこその『夏の終り』であった気がする。
場面、場面を丁寧に描き、
各シーンが、短編小説のように完結している。
その分、全体としての盛り上がりに欠けるが、
細部にこだわった映像は、見る者の記憶に長く残る。


熊切和嘉監督作品は、暗い。
内容も暗いが、映像も暗い。
しかも、暗転を多用するので、益々暗い。
某インタビューで、
「ここまで照明を落として暗闇を出して陰影をつけた映画は、最近なかなかないと思います。DVDで見ると波が出て見づらいです(笑い)。ぜひ、映画館のスクリーンで楽しんでください」
と監督自身が答えているほど、暗い。(爆)
その所為か、一般受けする映画とは言い難い作品になってしまっている。
観客を選ぶ作品になっている。
私は大いに楽しめたが、
そうでない人も少なからずいることは、想像するに難くない。


まずは、満島ひかり。
ドラマ『Woman』では、
「子育て経験のない彼女に、はたしてシングルマザーが演じられるのか?」
と意見が一部にあったが、
「それはまったくの杞憂であった」と言い切れるほどに、
完璧に演じ切っていて驚かされた。
今回も、
「『夏の終り』の主人公を演じるには若すぎるのではないか?」
との声があったが、
女の業に苦悩する知子という難役を、
満島ひかりは見事に演じ切っている。

ふたりの男の間で揺れ動く、ひとりの女の愛の迷いは半世紀を経ても色あせない。
度々映画やドラマにされたが、今回の映画は原作にもっとも近く、
作者としては生々しさに圧倒され肌に粟を生じて見た。


と原作者である瀬戸内寂聴に言わしめているのは、
たぶんに満島ひかりの演技力に依るところ大である。


小林薫。
熊切和嘉監督『海炭市叙景』にも重要な役で出ていたし、
ドラマ『Woman』でも満島ひかりと共演していたので、
映画『夏の終り』には出るべくして出た感が強い。
寛容さと狡さを併せ持つ男の役で、
小林薫という役者の特性がうまく活かされた配役であったような気がする。


網野剛。
どんなに虐げられても一途に知子を求める年下の男の役で、
キャスティングの理由を、熊切和嘉監督が、
「今どきのイケメンにはない、不健康な雰囲気を出せるのではないかと思いました」
と語っているように、
嫉妬と孤独に苦しむ男を実に巧く演じていた。


『夏の終り』は、
季節としての夏の終焉を描くとともに、
人生の夏の終焉をも描いている。
五行思想では、
「春」に「青」を、
「夏」に「赤」を、
「秋」に「白」を、
「冬」に「玄(黒)」を当て、
それぞれ「青春(せいしゅん)」、「朱夏(しゅか)」、「白秋(はくしゅう)」、「玄冬(げんとう)」という。
女性の場合、「青春」の後の「朱夏」の時代が、男性より短いような気がする。
そんな短い人生の夏を描いた傑作として、
映画『夏の終り』は長く私の記憶に残ることであろう。


それにしても、
いまさらながら、
私は、満島ひかりと同時代に生きている幸運を感じている。
「満島ひかりと同時代に生きている」というだけで、
私は、すごく得をした気分になる。
これから、彼女がどんな作品に出て、
どんな演技を見せてくれるのか、
ワクワクしながら待ちたいと思う。


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