一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

ジョー・オダネル『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』(小学館)

2008年08月09日 | 読書・音楽・美術・その他芸術
8月7日付のbambooさんのブログ(←ここをクリック)を読み、私は書棚から一冊の本を取りだした。
ジョー・オダネルの写真集『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』である。
私が所有しているものは、1995年6月発行の初版本。
発売と同時に買い求めた。
この写真集で、最も印象深いのは、やはり、死んだ弟を背負い焼き場で直立不動の姿勢で立っている少年の写真。


写真には、次のような文章が添えられている。

《焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。
 私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?》

《この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。》

無表情と思われた少年だったが、カメラマンのジョー・オダネルは、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がつく。
少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいたのだった。

長崎への原爆投下から63年目となる今日、テレビも新聞も北京オリンピック一色。
「長崎原爆の日」など忘れられたかのよう。
こんな時代だからこそ、ぜひ手にとってもらいたい一冊である。
本書は長らく絶版状態で、古書店では10倍もの値が付いていたこともあった。
今年、増刷されたようなので、手に入れやすくなった。

――私たちは、この少年のことをいつまでも記憶し、後世に語り伝えなければならない。

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2 コメント

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タクさんも (bamboo)
2008-08-12 13:50:55
増刷されたのは嬉しいことですね。古書店で10倍もの値が付いていた頃もあったとは本自身の価値と欲しい人がそれだけ要るということでしょうか?

土日と山行を計画していましたが、急遽取りやめて翌日山王神社に被爆したクスノキを見に行った私です。そこで少年のことを聞けとても嬉しかった・・・。
昨年、東京の劇団が電車車両を貸しきり、蛍茶屋から爆心地公園までの50分間広島の原爆を題材にした脚本を上演しました。
途中電車を下りた彼女らが、当時の絣もんぺ学徒動員女学生姿で「私達を忘れないで!」と、連呼しながら私達乗客(観客)を見送るのですが、つい自分がその時の電車に乗っているかのような錯覚に陥ってしまいました。上演中は白けてしまう部分があったのに・・・。
最後になりましたがこの少年の写真を私のブログにも掲載させて下さいませんか。全体の写真が見つからなかったのでしかたなく半身だけの写真を載せていました。半身写真ではジョーオダネルが伝えたかったものが半減されてしまっています。
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忘れないということ (タク)
2008-08-12 22:28:12
bambooさんへ

>増刷されたのは嬉しいことですね。古書店で10倍もの値が付いていた頃もあったとは本自身の価値と欲しい人がそれだけ要るということでしょうか?

絶版状態の時、ネットでも、この本を探すコメントを多く見ました。
古書店に本が出ても、すぐ売れるらしく、古書店でも手に入らないとのことでした。
今年、増刷されたようなので、初版より値段が少し上がっていますが、手に入れやすくなったと思います。
この写真集には、戦後間もない頃の佐世保や長崎の写真も多く掲載されているので、それも珍しくて、私は本を買いました。
これらの写真は、今では貴重な資料的価値があるのではないでしょうか?

>昨年、東京の劇団が電車車両を貸しきり、蛍茶屋から爆心地公園までの50分間広島の原爆を題材にした脚本を上演しました。
>途中電車を下りた彼女らが、当時の絣もんぺ学徒動員女学生姿で「私達を忘れないで!」と、連呼しながら私達乗客(観客)を見送るのですが、つい自分がその時の電車に乗っているかのような錯覚に陥ってしまいました。上演中は白けてしまう部分があったのに・・・。

昨年7月、bambooさんのブログで写真を見た時、ユニークな演劇だなぁ~と思いました。
私も観てみたかったです。
「私達を忘れないで!」とは象徴的な言葉ですね。
この少年のことも含めて、戦争のこと、原爆のことを忘れないこと――それが現代を生きている我々の務めではないでしょうか?
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