一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

ジョン・エヴァレット・ミレイ展 ……オフィーリアに逢いたくて……

2008年08月07日 | 読書・音楽・美術・その他芸術
最近、『変愛小説集』編訳・岸本佐知子(講談社)という本を読んだ。
「れんあい」ではない。
「へんあい」である。
現代英米文学の中から、木に恋する人(性別不明)や、バービー人形と付き合う少年などが出てくる、独特で風変わりな愛を描いた作品を集めたアンソロジーなのだが、これがなんとも面白かった。
妙にリアリティがあるのだ。
これらの小説を読みながら、自分にも過去にそういった変愛(へんあい)の経験があることを思い出した。
若い頃、私は絵の中の女性に恋をした。
ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」にである。
この絵を最初に見たとき(もちろん本物の絵ではなく画集であったが)、私は絵の中のオフィーリアに一目惚れしてしまった。
こんなにも美しい女性がいるのか……
画集を開いては、溜息をつくような日々を送った。
いつの日か、このオフィーリアに、逢いに行きたい!
若き日の私はそう決意した。
でも、この絵が収蔵されているのは、イギリスのテイト・ギャラリー。
逢いに行けるのは、定年後になるだろう……私は漠然とそう思っていた。
……それから数十年が経った今年の夏のある日、某図書館で本を借り、外に出ようとしたとき、あのオフィーリアが私の視界をよぎった。
私は、振り向き、そのオフィーリアに歩み寄った。
それは、壁に貼られた、一枚のポスターだった。

ジョン・エヴァレット・ミレイ展
6月7日(土)~8月17日(日)
北九州市立美術館

えっ、あのオフィーリアが、九州に来てるの?
私は仰天した。
定年後の夢が、今、向こうから私の近くにやってきたのだ。
これは逢いに行かねばなるまい。
ということで、オフィーリアに逢いに行ってきた。

北九州市立美術館は、奇妙な、というか奇抜な形の建物だった。


いよいよ逢えるのかと思うと、ドキドキした。


入場券を買って入り、順路は無視し、「オフィーリア」の前に一直線。
やっと、本物に逢えましたぁ~!
食い入るように見つめる。
もっと大きな絵だと思っていたのだが、案外小さい。
す、す、素晴らしい!
他の絵は、息がかかるほどの位置で、間近で見ることができるのだが、「オフィーリア」だけは1.5mほど距離をとってある。
それに、この絵の傍にだけは、警備員がいる。
近づけないので、身を乗り出して、凝視する。
美しい!
美しすぎる!


「オフィーリア」を私ばかりが独占しては申し訳ないので、そこを離れ、他の作品も見て回る。
実は、ジョン・エヴァレット・ミレイの作品は、「オフィーリア」だけではなく、素晴らしい作品がたくさんある。
「マリアナ」「エフィー・ラスキン」「ああ、かようにも甘く、長く楽しい夢は、無残に破られるべきもの」「きらきらした瞳」「わすれなぐさ」などなど。
ひとつひとつじっくり味わいながら鑑賞する。
画集では味わったことのない感動が身を包む。
一通り見て回り、再び「オフィーリア」の前へ。
そこでまた絵に穴が開くほど見つめる。
そして、体が震えるほどの感動を頂く。
場内を四回ほど回り、四回「オフィーリア」の前に立った。
警備員のおじさんも、さぞ「変な男だぁ~」と思ったことだろう。

この「オフィーリア」の絵のモデルは、エリザベス・シダルという女性である。
よって、この「オフィーリア」の美しさは、エリザベス・シダルの美しさと言えるかもしれない。
このエリザベス・シダルについて、以前ちょっと調べてみたことがある。
当時、帽子屋の店員をしていた彼女は、ラファエル前派の画家達に愛されたモデルであった。
シダルは、ミレイよりも、同じラファエル前派のロセッティとの方が繋がりが深い。
か弱く神秘的なシダルは、ロセッティにとって理想の女性であった。
彼はシダルと婚約し一緒に暮らし始める。
うっとりと夢見るような眼差しと透けるような肌を持ったシダル。
彼女は、ロセッティにとって、絵の女神そのものだった。
だが、ロセッティは、もう一人の運命の女と出逢う。
ジェイン・バーデンである。
ロセッティの心はシダルを離れ、ジェインばかりをモデルに描く。
ジェインが画商のモリスと結婚したことで、ジェインを諦め、シダルと正式に結婚するが、ロセッティは結婚後も他の女性たちと派手に関係を持つ。
病弱だったシダルは、心労を重ねた末に流産してしまう。
そして、常用していた阿片を大量に服用し、1862年、32歳でその生涯を終えている。
まさにオフィーリアのような最期だったといえる。
罪悪感と後悔に打ちのめされたロセッティは、ひとつの作品に取り掛かる。
それが、シダルをモデルにした「ベアタ・ベアトリクス」である。
詩人ダンテの作品『新生』のベアトリーチェの死の場面に重ね合わせて描いた作品で、この中のシダルも、神々しいまでに美しい。


私が恋していたのは、「オフィーリア」というより、エリザベス・シダルその人であったと言えるだろう。

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4 コメント

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Unknown (リー)
2008-08-08 22:34:07
「ハムレット」は高校時代に読みました。内容はあまり覚えてませんが、オフィーリアが死ぬ場面だけは妙によく覚えています。ミレイの「オフィーリア」写真で見ただけですが美しいですね。絵の中の女性に恋する気持ち、わたしにも少しわかるような気がします。『変愛小説集』もぜひ読んでみたいです。できればミレイ展にも行きたいけど、ちょっと遠いかな!?
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「一日の王」になれますよ! (タク)
2008-08-09 04:21:59
リーさんへ

『変愛小説集』、なかなか面白いですよ。
生身の「人」以外のものに恋をする……誰でも経験があると思います。
山が好きな人が、特定の山に恋するように――
植物が好きな人が、特定の植物に恋するように――
将来は、ロボットやサイボーグに恋する人が多くなるかも?
実際、そんなドラマや映画が、最近増えてきてるよね。

ミレイ展にも、行けたら、ぜひ行ってみて下さい。
素晴らしい絵ばかり……感動をお約束します!
必ず「一日の王」になれますよ!
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美しい (そよかぜ)
2008-08-09 18:36:54
この絵はとっても印象深いですね。
ハムレットの物語より、この絵のオフィーリアの様子が神秘的でいつまでも心に残りました。
悲しい場面なのに、何故か美しい、穏やかな表情です。
オフィーリアは幸せだったのだろうか・・・
そういう精神状態になったことが幸せだったのか。

ミレイ展は残念ながら行けそうにもありませんが、一目見て見たいですね。
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それぞれのオフィーリア (タク)
2008-08-09 22:04:42
そよかぜさんへ

私は10年前の1998年に蜷川幸雄演出の『ハムレット』を福岡で観ました。
オフィーリアは松たか子。
まだ若かった松たか子でしたが、見事な演技でした。
同じ頃、ケネス・ブラナーが監督・主演した映画『ハムレット』も観ました。
このときのオフィーリア役は ケイト・ウィンスレット。(あの『タイタニック』の…)
4時間近い映画でしたが、 ケイト・ウィンスレットも好演してました。
私も『ハムレット』で印象に残るのは、やはりオフィーリアですね。
オフィーリアを演じた誰もが、独自の解釈で、それぞれ違ったオフィーリアを見せてくれます。
ミレイのオフィーリアも、そういう意味で、ミレイの素晴らしい解釈によって、誰よりも美しいオフィーリアを創造していますね。

ミレイ展は、北九州市立美術館を終えると、東京に移ります。
8月30日(土)~10月26日(日)
Bunkamuraザ・ミュージアム
東京に行く機会があったら、ぜひ……。
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