『ちょっと思い出しただけ』という映画のタイトルに惹かれるものがあった。
ふとした瞬間に、過去のことが思い出されることがある。
普段は忘れているのに、
そして、何年もまったく思い出すこともないのに、
ふとした瞬間に、走馬灯のように、ある思い出が蘇る。
〈あの人は今どうしているだろう……〉
などと考えることもあるが、
思い出は再び忘却の彼方へ消えていく。
監督・脚本は、松居大悟。
ロックバンド「クリープハイプ」の尾崎世界観が、
ジム・ジャームッシュ監督作品『ナイト・オン・ザ・プラネット』に着想を得て書き上げた、
(本作の主題歌ともなっている)新曲「Night on the Planet」。
映画『ちょっと思い出しただけ』は、
その「Night on the Planet」に触発された松居大悟監督が執筆した、
自身初の完全オリジナルラブストーリー。
主演は、私が俳優として高く評価している池松壮亮と伊藤沙莉。
共演者として、私の好きな女優、河合優実や市川実和子も出演している。
2月11日の公開日には、
スピルバーグ監督作品『ウエスト・サイド・ストーリー』もあり、
どちらを鑑賞しようかと迷ったが、
私は地味な本作『ちょっと思い出しただけ』を選択。
109シネマズ佐賀のエグゼクティブシートでゆっくり鑑賞したのだった。
2021年7月26日、
この日34回目の誕生日を迎えた佐伯照生(池松壮亮)は、
朝起きていつものようにサボテンに水をあげ、
ラジオから流れる音楽に合わせて体を動かす。
ステージ照明の仕事をしている彼は、
誕生日の今日もダンサーに照明を当てている。
一方、タクシー運転手の葉(伊藤沙莉)は、
ミュージシャンの男を乗せてコロナ禍の東京の夜の街を走っていた。
目的地へ向かう途中でトイレに行きたいという男を降ろし、自身もタクシーを降りると、
どこからか聴こえてくる足音に吸い込まれるように歩いて行く葉。
すると彼女の視線の先にはステージで踊る照生の姿があった。
時は遡り、2020年7月26日。
照生は部屋でリモート会議をし、
葉は飛沫シートを付けたタクシーをマスク姿で運転している。
照生は誕生日の夜に誰もいない部屋で静かに眠りにつく。
また一年遡り(2019年7月26日)、
誕生日を迎えた照生は、昼間は散髪屋で伸びた髪を切り、
夜はライブハウスでの仕事を終えたあとに、
行きつけのバーで常連のフミオ(成田凌)と、
ダンス仲間の泉美(河合優実)と飲んでいた。
同じ頃、居酒屋で合コンをしていた葉は、
煙草を吸いに店の外に出たところで見知らぬ男から声をかけられ、
話の流れでLINEを交換することに。
葉のアイコンを見た男が、
「あれ、猫飼ってるんですか?」
と尋ねると、葉は、
「いや…今は飼ってないけど」
と返し、続けて、
「向こうが引き取ったから」
と切ない表情でポツリと呟く。
彼女がLINEのアイコンにしていた猫は、
いまも照生が飼っているモンジャだった……
時は更に1年(2018年7月26日)、
また1年と遡り(2017年7月26日)、
照生と葉の恋の始まりや、
出会いの瞬間が丁寧に描かれていく……
不器用な二人の、二度と戻らない6年間の愛しい日々を、
(照生の誕生日である)7月26日という一日を軸にして描いた、
きわめてユニークなラブストーリーであった。
とは言っても、この手の映画はなきにしもあらずで、
2年前に見た波瑠主演の映画『弥生、三月 -君を愛した30年-』(2020年)は、
2人の男女の出会いからの30年間を、「3月の出来事だけ」で紡いでいくという、
恋愛ドラマであったし、
アン・ハサウェイ主演の映画『ワン・デイ 23年のラブストーリー』(2012年)は、
「7月15日だけ」で23年間を描いていた。
これらの作品と『ちょっと思い出しただけ』の相違点は、
本作の主人公・佐伯照生の誕生日(7月26日)を軸とし、
1年ずつ同じ日をさかのぼりながら、
別れてしまった男女の“終わり”から“始まり”への6年間を描いていること。
それが分っていないで見ると、ちょっと戸惑うかもしれない。
途中から、
〈ああ、そういうことね〉
と理解し、楽しめるようになり、
その“終わり”から“始まり”へ向かう物語にドキドキさせられる。
大恋愛というのでもないし、
二人に壮絶な過去があるというのでもない。
どこにでも転がっていそうなありふれた恋愛で、
当事者自身も普段は思い出すこともないだろう。
「そんなつまらない恋愛を映画にして面白いか……」
と問われれば、
「そんなに目くじらを立てることもないじゃないか」
と答えざるを得ない。
だって、
ちょっと思い出しただけ……なのだから。
主人公の佐伯照生を演じた池松壮亮。
映画デビュー作『ラスト サムライ』(2003年)から見ているので、
池松壮亮の出演作は数えきれないほど鑑賞している。
本作『ちょっと思い出しただけ』に倣って、過去6年ほどの出演作を思い出すと、
このブログにレビューを書いているものだけでも、
『セトウツミ』(2016年)
『だれかの木琴』(2016年)
『永い言い訳』(2016年)
『続・深夜食堂』(2016年)
『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年)
『万引き家族』(2018年)
『散り椿』(2018年)
『斬、』(2018年)
『町田くんの世界』(2019年)
『よこがお』(2019年)
『宮本から君へ』(2019年)
などがある。
傑作、秀作揃いで、
彼の選択眼がいかに優れているかが判る。
本作『ちょっと思い出しただけ』も、
〈池松壮亮が主演する作品なら間違いはないだろう……〉
と思ったことが、鑑賞理由のひとつになっている。
決定的に戻れないあの頃、コロナ以前からの 6 年間を描いたラブストーリーです。あの頃を成仏する映画や、あの頃を慈しむ映画は時代の変わり目には沢山作られるものですが、今と過去を同時にすくいとろうというこの作品の心意気にとても共感しました。
思い出せないことと、忘れられないこととが、人生そのものをかたどっているように思います。過去にしがみつくではなく、過去を無かったことにするではなく、全ての地続きに今があると信じています。あらゆる人の人生の過去が、その人の人生にあったことを感謝出来ますように。過去と今が、無かったことになりませんように。昔の気持ちを思い出して、色々あったけど今はもう大丈夫。でも、ちょっと思い出しただけ。そんな私たち自身についての映画になってくれることを願っています。
とは、池松壮亮の弁。
「あらゆる人の人生の過去が、その人の人生にあったことを感謝出来ますように。過去と今が、無かったことになりませんように」
という言葉が心に響くし、
そんな彼の言葉通りの映画になっていたように思った。
もう一人の主人公・野原葉を演じた伊藤沙莉。
『もらとりあむタマ子』(2013年)
『幕が上がる』(2015年)
『ナラタージュ』(2017年)
などの出演作でも彼女を見ているが、
伊藤沙莉という女優を強く認識したのは、
濱口竜介監督作品『寝ても覚めても』(2018年)であった。
そのレビューで、
朝子の友人・島春代を演じた伊藤沙莉。
現在放送中のTBSの日曜劇場「この世界の片隅に」(2018年7月15日~)で、
刈谷幸子役として出演しており、
ここでも素晴らしい演技をしているが、
本作においても、ちょっとクセのある個性的な女性を実に巧く演じていた。
と書いているし、
映画『劇場』(2020年)のレビューでは、
劇団「おろか」の元団員で、
永田と仲たがいするものの、友人として彼を心配し続ける青山を演じた伊藤沙莉。
『寝ても覚めても』(2018年)のレビューを書いたときに彼女を褒めたが、
その後、伊藤沙莉という女優が、これほど存在感のある女優になるとは思わなかった。
永田から顔のことを揶揄されるシーンがあるが、
冷静沈着で、自分のことを良く知っており、
何事も客観視できる魅力ある女性を伊藤沙莉は好演していた。
本作『劇場』は、山﨑賢人と松岡茉優との二人芝居のような作品だが、
伊藤沙莉という女優がいるお蔭で、深みのある作品になっている。
永田と劇団を立ち上げた野原を演じた寛一郎も重要な役ではあるが、
寛一郎よりも伊藤沙莉の方が、存在感が数倍もあったように感じた。
と褒め、
映画『ステップ』(2020年)のレビューでは、
健一(山田孝之)の2歳半になる娘・美紀(中野翠咲)が通う保育園の保育士・ケロ先生を演じた伊藤沙莉。
彼女のことを、常々、「存在感のある好い女優」と言い続けてきたが、
本作でのケロ先生の役は殊の外良く、
存在感だけではなく、演技の方でも魅せられた。
出演シーンは前半の短い時間だけなのだが、
その短い時間に自分(伊藤沙莉)のすべてを見せるかのような演技をする。
これほど濃密で強く印象に残る演技をする女優には、久しぶりに逢ったような気がする。
彼女の演技を見るだけでも、本作を見る価値はあると言える。
第7回 「一日の王」映画賞・日本映画(2020年公開作品)ベストテンにおける、
最優秀助演女優賞の有力候補に浮上してきたと言えるだろう。
と絶賛した。
その後も、
主演作『タイトル、拒絶』(2020年)で体当たりの演技をし、
黒木瞳監督作品『十二単衣を着た悪魔』(2020年)や、
武正晴監督作品『ホテルローヤル』(2020年)などで存在感を示している。
かように高く評価している伊藤沙莉であるが、
ラブストーリーのヒロイン役というのは、これまであまりなかったように思う。
本作『ちょっと思い出しただけ』の見どころをひとつ挙げるとすれば、
それは、ヒロインを、有村架純でもなく、浜辺美波でもなく、広瀬すずでもなく、
伊藤沙莉が演じていることにあると思う。
この役を、伊藤沙莉は、少し戸惑いつつ、
楽しく朗らかに演じている。
故に、結末を知っている観客には、静かな哀しみがジワジワと押し寄せてくる。
ラストで、現在の葉を演じる伊藤沙莉は秀逸で、
見る者にもいろんな感情が襲ってきて、困った。
照生(池松壮亮)のダンス仲間・泉美を演じた河合優実。
『喜劇 愛妻物語』(2020年)で、
高速でうどんを打つ女子高生を演じていたのが強烈に印象に残り、
『サマーフィルムにのって』(2021年)の美少女ぶりと、
『由宇子の天秤(2021年)の素晴らしい演技で、
第8回「一日の王」映画賞の新人賞を受賞。(コチラを参照)
本作『ちょっと思い出しただけ』では、
照生(池松壮亮)に密かに憧れている役で、
誕生日のプレゼントをしたりして、照生にモーションをかけているのだが、
照生にはその気がないのか、(もったいない!)
誘いには乗ってこない様子。
それでも健気に想い続けている……というような、
これまでの3作にはない、
女性としての魅力あふれる女の子の役で、
出演シーンはそれほど多くないものの、
河合優実という女優にすっかり魅了されてしまった。
〈河合優実を見るためだけに、もう一度映画を見たい!〉
と思うほどに魅せられてしまった。
その他、
照生が働くステージ照明の仕事の先輩・牧田を演じた市川実和子、
バー「とまり木」のマスター・中井戸を演じた國村隼、
公園で妻を待ち続けている男・ジュンを演じた永瀬正敏などが、
凡庸な作品に陥らないようにすべく、
非凡な演技で若者たちを盛り上げていた。
鑑賞後、
〈なんとなく『花束みたいな恋をした』に似た映画だったな~〉
と思っていたら、
松居大悟監督のコメントに、
きっと花束みたいとか色々言われるんだろうな。言われるよもう。言われる前に言うよ。でも当たってるしなぁ。そんな迷いにこの先何度も包まれる気がするけど、それ以上に、かけがえのない優しい想いに包まれる人に届いたらいいなと思います。
愛がすべてなんかじゃないけど、愛がすべてで。愛ってなんだよ。愛がなんだだよ。また別の映画のタイトルを言ってしまった。『ちょっと思い出しただけ』です、俺はまだ本気出してないだけ、みたいとか言うなよ。俺は本気出したよ。マスクの向こうでニコニコさせられますように。
楽しみにしてくれたら嬉しいです。
と、あり、思わず笑ってしまった。
菅田将暉と有村架純が主演の『花束みたいな恋をした』が、
花屋で作られたお洒落な花束だとしたら、
池松壮亮と伊藤沙莉が主演の『ちょっと思い出しただけ』は、
路地裏に咲く名も知らぬ草の花で作られたつつましくて小さな花束のような気がした。
『ちょっと思い出しただけ』という映画を見た鑑賞者は、
きっと、自分の過去の一瞬を「ちょっと思い出す」ことになるだろうし、
その一瞬が、その日一日を、
ひいては、その人の人生そのものも豊かにしてくれるような気がした。
なので、
私にとっては、『ちょっと思い出しただけ』という映画を見ている時間も、
かけがえのない素晴らしく豊かな時間であった。
※河合優実関連・ブログ「一日の王」掲載記事
映画『サマーフィルムにのって』……本作の欠点を葬り去るほどの伊藤万理華の魅力……
映画『由宇子の天秤』 ……代表作を次々と更新していく瀧内公美の新たな代表作……
第8回「一日の王」映画賞・日本映画(2021年公開作品)ベストテン(新人賞選出)
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映画『PLAN 75』 ……河合優実を見に行ったら、とんでもない傑作に出逢った……
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最近、驚いたこと⑭ ……山下達郎「LOVE'S ON FIRE」のMVに河合優実が……
映画『冬薔薇』 ……河合優実、和田光沙、余貴美子に逢いたくて……
最近、驚いたこと⑮ ……私の好きな女優・河合優実の映画初主演作が公開決定……
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人生の一日(2023年1月13日)「批判する頭のよさより……」
第9回「一日の王」映画賞・日本映画(2022年公開作品)ベストテン(最優秀助演女優賞)
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最近、驚いたこと⑳ ……河合優実を知らな過ぎるにもほどがある!……
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