一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

第40回日本アカデミー賞 ……各賞のノミネート作品を見て思ったこと……

2017年03月05日 | 映画


一昨日、TVで、
第40回日本アカデミー賞の発表が行われていたが、
各賞のノミネート作品を見て、面白いことを発見した。

優秀作品賞
『シン・ゴジラ』
『怒り』
『家族はつらいよ』
『湯を沸かすほどの熱い愛』
『64-ロクヨン-前編』

優秀監督賞
庵野秀明(総監督)/樋口真嗣(監督)『シン・ゴジラ』
新海誠『君の名は。』
瀬々敬久『64-ロクヨン-前編』
中野量太『湯を沸かすほどの熱い愛』
李相日『怒り』

優秀主演男優賞
佐藤浩市『64-ロクヨン-前編』
綾野剛『日本で一番悪い奴ら』
岡田准一『海賊とよばれた男』
長谷川博己『シン・ゴジラ』
松山ケンイチ『聖の青春』


優秀主演女優賞
宮沢りえ『湯を沸かすほどの熱い愛』
大竹しのぶ『後妻業の女』
黒木華『リップヴァンウィンクルの花嫁』
広瀬すず『ちはやふる-上の句-』
宮崎あおい『怒り』


『64-ロクヨン』のノミネートが「前編」だけで、
『ちはやふる』のノミネートが「上の句」だけなのだ。
これって、おかしくないですか?
「前編」「後編」で一作品だし、
「上の句」「下の句」で一作品なのだから。


私はこのブログ「一日の王」に、
『64-ロクヨン』『ちはやふる』のレビューを書いている。
(タイトルをクリックするとレビューの全文が読めます)

『64-ロクヨン』のレビュー
……だが、後編になると、ミステリーの要素が強くなり、
前編と雰囲気がガラリと変わる。
そして、ラストに、原作にはないストーリーを創作し、
ビックリ仰天の展開となる。
ちょっとネタバレになるが、
主人公の佐藤浩市が、広報室広報官として、あるまじき行動をするのだ。
TVドラマへの対抗心からそうしたのか、
2部作にはしたものの時間が余ってしまったのか、
主役が佐藤浩市だったのでもっと活躍させたかったのか、
原作における「犯人を突き止める方法(手段)」が弱いと感じたためにそうしたのか、
理由はいろいろあるだろうが、
まったく理解不能のラストに唖然としてしまった。
原作者の横山秀夫は、こんな脚本で、よくOKを出したなと思う。
あんなラストをくっつけるくらいなら、やはり後編など作らない方がよかった。
前編をもっとコンパクトにし、
後編の冒頭の「前編の紹介」と、ラストの「原作にないオチ」を除外して、
2時間半くらいのひとつの作品として完成させていれば、
傑作になりえていたかもしれないのだ。
前編が健闘していただけに、
後編の「ありえない展開」が本当に惜しまれる。


『ちはやふる』のレビュー
【上の句】はとてもメリハリのきいたとても面白い作品で、
5点満点でいえば4点くらいの出来栄え。
ところが、【下の句】の方は、全体的に締まりがなく、
5点満点で3点ほどの評価しかできなかった。
【上の句】の方は、
ひとつの作品として完成していて、
起承転結もきちんとなされており、
見ていてカタルシスも味わうことができた。
しかし、【下の句】の方は、
【上の句】の続編ということで、
最初のシーンからテンションが低く、
構成的にも甘さがあり、
ひとつの作品としての完成度も低かった。
しかも、【下の句】以降の続編も示唆したようなラストで、
〈おいおい、まだ続くのかよ〉
と、少し呆れてしまった。


このように、
『64-ロクヨン』の「後編」と、
『ちはやふる』の「下の句」の出来が悪いと指摘し、
ひとつの作品をふたつに分けて制作する手法を批判したのだが、
まさか、日本アカデミー賞で、片方だけをノミネートさせるとは……
暗に、
『64-ロクヨン』の「後編」と、
『ちはやふる』の「下の句」は不出来でしたと公表しているようなものではないか……
面白いというより、
ちょっと呆れてしまった。

作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞だけではなく、
その他の賞も、「前編」のみのノミネートなのだ。

優秀脚本賞
久松真一、瀬々敬久『64-ロクヨン- 前編』
優秀撮影賞
斉藤幸一『64-ロクヨン- 前編』
優秀照明賞
豊見山明長『64-ロクヨン- 前編』
優秀音楽賞
村松崇継『64-ロクヨン- 前編』
優秀美術賞
磯見俊裕『64-ロクヨン- 前編』
優秀録音賞
高田伸也『64-ロクヨン- 前編』
優秀編集賞
早野亮『64-ロクヨン- 前編』

だが、新人俳優賞だけは違うのだ。

新人俳優賞
杉咲花『湯を沸かすほどの熱い愛』
高畑充希『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』
橋本環奈『セーラー服と機関銃-卒業-』
岩田剛典『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』
坂口健太郎『64-ロクヨン-前編』『64-ロクヨン-後編』
佐久本宝『怒り』
千葉雄大『殿、利息でござる!』
真剣佑『ちはやふる-上の句-』『ちはやふる-下の句-』


佐藤浩市は、『64-ロクヨン-前編』だけでノミネートされているのに、
坂口健太郎は、『64-ロクヨン-前編』『64-ロクヨン-後編』で、
広瀬すずは、『ちはやふる-上の句-』だけでノミネートされているのに、
真剣佑は、『ちはやふる-上の句-』『ちはやふる-下の句-』で受賞しているのだ。
もうめちゃくちゃである。(笑)

昨年だけでなく、映画を2部作にする傾向は、邦画界にずっと続いており、
過去には、
『デスノート』(前編2006年6月17日、後編2006年11月3日公開)
『のだめカンタービレ 最終楽章』(前編2009年12月19日、後編2010年4月17日公開)
『SP』(野望編2010年10月30日、革命編2011年3月12日公開)
『僕等がいた』(前編2012年3月17日、後編4月21日公開)
『劇場版 SPEC〜結〜』(前編『漸ノ篇』2013年11月1日、後編『爻ノ篇』11月29日公開)
『るろうに剣心』(前編『京都大火編』2014年8月1日、後編『伝説の最期編』2014年9月13日公開)
『寄生獣』(前編2014年11月29日、後編2015年4月25日公開)
『ソロモンの偽証』(前編2015年3月7日、後編2015年4月11日公開)
『進撃の巨人』(前編2015年8月1日、後編2015年9月19日公開)
などがあり、今年(2017年)も、
『3月のライオン』(前編2017年3月18日、後編2017年4月22日公開)や、
『サクラダリセット』(前編2017年3月25日、後編2017年5月13日公開)などで、
2部作としての公開がすでに決まっている。

このように、2部作にするのは、
制作側の商業的な都合による部分が大きい。
まったく別な2本の映画を制作するよりも、
同じ映画で2本の作品を制作する方が、
制作費がはるかに少なくて済むからだ。
「一粒で二度美味しい」的うま味を享受したいと考える業界人が多いのだ。
中には、やはり二つに分けなければならないほど内容の濃いものもあるが、
大抵は、内容の薄いものを無理矢理長く引っ張った締まりのない作品が多い。
それでも興行的に成功しているのか、
この傾向がずっと続いている。
この現象、どうにかならないものか……


ビートたけしこと北野武監督が、かつて、こんな発言をしたことがある。


「日本アカデミー賞最優秀賞は松竹、東宝、東映、たまに日活の持ち回り。それ以外が獲ったことはほとんどない。(賞を選定する)アカデミー賞の会員なんてどこにいるんだ。汚いことばっかやってる」

映画業界において大手映画会社とは、
大きな配給・興行(劇場)網を持つ東宝・松竹・東映のことを指す。
この3社とKADOKAWA(大映と日本ヘラルドを吸収)が、
日本映画製作者連盟(映連)という業界団体を組織している。
日本アカデミー賞もこの映連が中心となっていて、
日活は映連のメンバーではない。

では、この大手3社は、日本アカデミー賞でどれほど作品賞を受賞しているのか?
1977年から始まった日本アカデミー賞は、
今回行われた授賞式が40回目となるが、
過去40回において最優秀作品賞受賞作を配給した映画会社は、
以下のような内訳となる。

・東宝……16回(アスミック・エースと共同配給した『雨あがる』を含む)
・松竹……13回
・東映……6回
・他……5回

40回のうち35回は大手3社の作品が受賞しているので、87.5%の割合。
約9割が大手3社の受賞なので、やはりこれはオカシイ。
(ただし、日活の受賞は一度もないので、これだけは北野武の勘違い)

第40回日本アカデミー賞では、
『シン・ゴジラ』『怒り』『64-ロクヨン-前編』が東宝で、
『家族はつらいよ』だけが松竹。
松竹は、昨年は良い作品がなく、
仕方なく『家族はつらいよ』をノミネートさせたということか……
昨年(2016年)は、
『ディストラクション・ベイビーズ』
『淵に立つ』
『葛城事件』
『ヒメアノ~ル』
『海よりもまだ深く』
『セトウツミ』
などの評価の高い作品も公開されているが、
大手3社の作品でなかった為か、ノミネートすらされていない。
大手3社の映画というだけで、
「前編」だけのノミネートや、受賞もさせてしまう日本アカデミー賞。

やはり、ちょっと、おかしくないですか?


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