一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『64‐ロクヨン‐』  ……前編はまずまず、でも後編は息切れ&腰砕け……

2016年06月15日 | 映画
映画『64‐ロクヨン‐』の、
前編が5月7日に、
後編が6月11日に公開された。
映画『ちはやふる』に続き、
またしても前編・後編の2部作である。

映画『ちはやふる』のレビューを書いたとき、
私は、次のように記している。

最近のTV放送には、
「3時間スペシャル」、「4時間スペシャル」といった番組が多い。
1時間の番組を4本制作するより、
1番組を4時間にする方が、
制作費をはるかに削減できるからだ。
同じ現象が、日本映画界にも起きている。
ひとつの作品を2部作として公開する映画が多くなったのだ。

『デスノート』(前編2006年6月17日、後編2006年11月3日公開)
『のだめカンタービレ 最終楽章』(前編2009年12月19日、後編2010年4月17日公開)
『SP』(野望編2010年10月30日、革命編2011年3月12日公開)
『僕等がいた』(前編2012年3月17日、後編4月21日公開)
『劇場版 SPEC〜結〜』(前編『漸ノ篇』2013年11月1日、後編『爻ノ篇』11月29日公開)
『るろうに剣心』(前編『京都大火編』2014年8月1日、後編『伝説の最期編』2014年9月13日公開)
『寄生獣』(前編2014年11月29日、後編2015年4月25日公開)
『ソロモンの偽証』(前編2015年3月7日、後編2015年4月11日公開)
『進撃の巨人』(前編2015年8月1日、後編2015年9月19日公開)

思いつくままに挙げただけでも、これだけある。
このように、2部作にするのは、制作側の商業的な都合による部分が大きい。
まったく別な2本の映画を制作するよりも、
同じ映画で2本の作品を制作する方が、
制作費がはるかに少なくて済むからだ。
「一粒で二度美味しい」的うま味を享受したいと考える業界人が多いのだ。
中には、やはり二つに分けなければならないほど内容の濃いものもあるが、
大抵は、内容の薄いものを無理矢理長く引っ張った締まりのない作品が多い。
それでも興行的に成功しているのか、
この傾向がずっと続いている。
今回紹介する映画『ちはやふる』(前編2016年3月19日、後編2016年4月29日公開)もそうだし、
今日(5月7日)から公開される映画『64‐ロクヨン』(前編2016年5月7日、後編2016年6月11日公開)もそうだ。


さらに続けて、

映画を見る側の人間からすれば、
ひとつの映画を2本分の料金で見なければならず、
しかも内容が薄ければ、“踏んだり蹴ったり”である。
それに、前編の公開日と、後編の公開日が、1ヶ月以上離れているので、
前編を見てから後編を見るまでに忘れている部分も多く、
見る側にはメリットがほとんどない。
私など、2部作と聞くだけで、ウンザリする。
〈見なくてもいいかな……〉
と思ったりもする。


と、書いている。
1番組を何時間にも水増しして放送しているTV界と同様、
大河小説を映画化したわけでもないのに、
ミステリー映画が前編と後編の2部作に分れ、
しかも公開日が1ヶ月以上離れている。
ひとつの映画なのに、2本分の料金で見なければならない。
本当にウンザリなのである。
そんなセコイ映画は本当は見たくないのだが、
見ないとレビューは書けない。
で、仕方なく、映画『ちはやふる』のときにもそうしたように、
前編と後編を同じ日に見ることにした。
2部作の場合、後編が公開されても、しばらくは前編も公開している。
その同時公開している期間を狙って鑑賞することにしたのだった。

昭和64年(1989年)1月5日。
関東近辺で、誘拐事件が発生した。
誘拐されたのは、漬物工場を営む雨宮芳男(永瀬正敏)の娘・翔子。
通報を受け、三上義信(佐藤浩市)ら県警刑事部が捜査にあたり始めた。


犯人は、2000万円の身代金を要求。
翌日、金をスーツケースに入れ、雨宮に車で運ぶことを指示した。
捜査陣をもてあそぶかのように喫茶店や美容室などを転々とさせる犯人。
その店の電話で次の受け取り場所を指令して各所を移動させていく。


やがて、深夜、
指示に従い身代金の入ったスーツケースが郊外の橋から川に投げ落とされる。
だが、回収されたスーツケースから金は紛失していた。
後日、誘拐された少女も死体となって発見される。


平成14年(2002年)、
三上は広報室広報官となっている。


広報室はある交通事故の加害者を匿名で発表したため、
県警察記者クラブと対立していた。
記者側の急先鋒は東洋新聞のキャップ秋川(瑛太)。


三上や、諏訪(綾野剛)、美雲(榮倉奈々)ら広報室スタッフは、
事態を穏便に収めようとする。


一方、警察庁長官が、
時効まで1年となった「64(ロクヨン)」の担当捜査官を激励するため、
視察に訪れることになる。
長官は被害者である雨宮宅をも訪問する予定だという。
三上は、その交渉のために雨宮と再会。
三上は、雨宮の頑なな態度を和らげる手がかりをつかむために、
捜査一課長の松岡勝俊(三浦友和)、
刑事部長の荒木田(奥田瑛二)、
元ロクヨン自宅班の幸田一樹(吉岡秀隆)らを訪ねて回る。
それを機に、
隠されていた「あの7日間」の真実、
事件関係者の複雑な感情や背景が浮き彫りになっていく……



原作は、
2013年の「このミステリーがすごい!」などで第1位に輝いた、
横山秀夫の同名小説。
 


すでに、TVドラマ化されており、
ピエール瀧を主演として、
2015年4月18日より、NHK「土曜ドラマ」にて全5回で放送されている。


私は、小説刊行時に原作は読んでおり、
NHKでドラマ化された『64‐ロクヨン‐』も全5回すべて観ている。
その上で、
映画『64‐ロクヨン‐』の前編・後編を続けて鑑賞した。
鑑賞後の、正直な感想はというと……
前編は、まずまずの完成度で、
5点満点で4点くらいの出来。
だが、後編は、予想通りというか、息切れ、腰砕けしており、
5点満点で3点(いや、2.5点か)くらいの出来であった。
そして、思った。
やはり、前編と後編の2部作にする必要のない作品であったと……


出演陣は、豪華で、
佐藤浩市、綾野剛、奥田瑛二、仲村トオル、吉岡秀隆、瑛太、永瀬正敏、三浦友和、椎名桔平、榮倉奈々、夏川結衣、鶴田真由など、
脇役にいたるまで主役級の俳優が並ぶ。


警察の広報室広報官が主人公という地味な題材なので、
せめて出演者くらいは派手にという企みでそうしたのか分らないが、
それは必ずしも成功していない。
主演の佐藤浩市をはじめ、
豪華俳優陣は熱演しているし、悪くはないのだが、
誰もが役者然としており、
不自然さがつきまとう。
主人公は広報室広報官であるし、
どちらかというと裏方の仕事であるので、
TVドラマの方は、ピエール瀧を配して成功しているが、
映画の方は、佐藤浩市ということで、
上司である警務部長や警務部秘書課長などよりも立派で目立ち過ぎており、
やはり違和感がある。


雨宮漬物の経営者・雨宮芳男を演じた永瀬正敏も、
映画賞の最優秀助演男優賞を獲ってもおかしくないほどの演技であるのだが、


やはり役者役者しており、
TVドラマで同じ役を演じた段田安則の方に、よりリアルさを感じてしまった。
だから、いくら俳優陣を豪華にしても、
映画として成功するとは限らないのだ。


この『64‐ロクヨン』という作品は、ミステリーであるが、
県警広報 対 新聞記者、
刑事部 対 警務部、
地方記者 対 中央記者、
父 対 娘などの、
対立や確執を描いた人間ドラマでもある。


むしろ、人間ドラマが主で、
ミステリー要素の少ない作品と言ってもいいのではなかと思う。
そういう意味で、前編の方は、対立の構図を描き、成功していると言える。


だが、後編になると、ミステリーの要素が強くなり、
前編と雰囲気がガラリと変わる。
そして、ラストに、原作にはないストーリーを創作し、
ビックリ仰天の展開となる。
ちょっとネタバレになるが、
主人公の佐藤浩市が、広報室広報官として、あるまじき行動をするのだ。
TVドラマへの対抗心からそうしたのか、
2部作にはしたものの時間が余ってしまったのか、
主役が佐藤浩市だったのでもっと活躍させたかったのか、
原作における「犯人を突き止める方法(手段)」が弱いと感じたためにそうしたのか、
理由はいろいろあるだろうが、
まったく理解不能のラストに唖然としてしまった。
原作者の横山秀夫は、こんな脚本で、よくOKを出したなと思う。
あんなラストをくっつけるくらいなら、やはり後編など作らない方がよかった。
前編をもっとコンパクトにし、
後編の冒頭の「前編の紹介」と、ラストの「原作にないオチ」を除外して、
2時間半くらいのひとつの作品として完成させていれば、
傑作になりえていたかもしれないのだ。
前編が健闘していただけに、
後編の「ありえない展開」が本当に惜しまれる。


私は、以上のように感じたが、
この映画『64‐ロクヨン‐前編・後編』は、おそらく、
来年(2017年)3月3日に行われる第40回日本アカデミー賞には、
作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞などで、ノミネートされることだろう。
これだけの豪華俳優陣を配した作品をノミネートさせないわけにはいかないだろうし、
日本アカデミー賞の華やかさを維持するには欠かせない作品だからだ。
そういう意味では、見ておいた方がいい作品ではある。

第40回日本アカデミー賞 ……各賞のノミネート作品を見て思ったこと……(←クリック)

と同時に、できるならば、NHKのTVドラマ版の方も観てもらいたい。


こちらは、かなりの秀作(傑作と呼んでもいい)だからだ。
映画に比べれば、出演陣に派手さはないが、
ピエール瀧、木村佳乃、新井浩文、永山絢斗、段田安則、柴田恭兵、萩原聖人、村上淳、平岳大、高橋和也など、良い俳優を揃えている。







私の好きな山本美月、斉藤とも子、安藤玉恵、中村優子が出演しているのも嬉しい。








美雲志織役は、映画では榮倉奈々であったが、


TVドラマでは、山本美月であった。
どちらも好きな女優であるが、
初々しさでは、山本美月の方が良かった。
私は毎回、この山本美月見たさにドラマを観ていたような気がする。


TVドラマ版が優れているのは、それだけではない。
脚本(大森寿美男)が良く、登場人物の一人ひとりをじっくり描き出しているのだ。
映画の方は、TVドラマに近い上映時間にもかかわらず、それができていなかった。
映画の主役級の俳優たちは、誰もが「俺が主役だ」と言わんばかりに、
目をむき、大声でわめき、叫んでいた。
TVドラマと映画を見比べて、
やはり脇役俳優が大事なのだということを再認識させられた。


TVドラマ版の方は、映像も優れていた。
連なる鉄塔や、非常階段のむき出しの配管など、
無機的な風景描写が秀逸であった。
上から俯瞰したり、
下から舐めるように撮ったり、
カメラワークも優れていた。
特筆すべきは音楽(大友良英)。
大友良英は、
NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』(2013年)の音楽担当で知られているが、
ノイズミュージック、実験音楽、フリージャズを得意とするミュージシャンで、
斬新な映像に、ジャジーな音楽をうまく合致させていた。
出演者、脚本、映像、音楽などで優れているTVドラマ版。
レンタルDVD(3枚組)も出ているので、ぜひぜひ。


最後は、TVドラマ版を薦める結果となってしまったが、
これは、あくまでも、私の個人的感想だ。
映画の方を評価している人も少なくない。
それを確かめるためにも、
映画館にも、ぜひぜひ。

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