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仕組みとアプローチ -   織田信忠によるクーデターであった可能性もゼロではない本能寺の変

2020-11-15 11:28:17 | 明智光秀
 前回記事の中で書いた通りに、仮に織田信長と嫡男・信忠の間に意見対立が有ったとしたら、の話になりますが、本能寺の変が実は織田信忠による信長襲撃が発端で有った可能性と言うのもゼロでは無くなってくるわけでこのあたりについて論理展開してみたいと思います。
 三河物語には、本能寺にいたの信長が異変に気付いて最初に発した言葉が「上之助がべつしんか(つまり信忠による謀反か)」と言う旨の事が記されています。
 ただしこの三河物語は江戸時代になってからの書物であり、かつ筆者が江戸幕府方の大久保忠教であるわけで、内容が後世から書かれていて、しかも徳川幕府に有利な事しか書いていない可能性は高い、と言う面は有るものの、しかしその一方では徳川幕府に不利な事でなければ真相かそれに近い事が記されている可能性も有る、と考えています。
 実際に本能寺の変の前日に開かれた茶会には織田信忠は主席しておらず、しかも朝廷に要請すれば簡単だったはずなのに征夷大将軍に任命されてもいませんでした。
 この史料や史実から想定できてしまうのは、明智勢が本能寺に向かったのはこれまでの通説に多い「信長を討つため」、「家康を討つ為」、「家康を討つように配下の将兵らには思わせて信長を討つため」だけでなく、実はクーデターを起こして本能寺にいる「信忠を討つため」、或いは「明智勢が事前の約束(或いは毛利討伐の総大将である信忠の命令)通りに信忠に呼応して信長襲撃に加勢した」と言う可能性も出て来るわけです。
 信長が本能寺で異変に気付いた後、最初に「明智勢でなく信忠の部隊が襲撃したように思った」、と言うのが仮に事実であったならば、ですが、全ての通説は覆って来る事にもなって来ます。
 そして本能寺で信長の首が見当たらなかった事から、明智光秀は「信忠による信長襲撃が実は信長・信忠親子による自作自演のインチキクーデターだったのか」と陥れられたと思い込んで、信忠を襲撃するに及んだ、と言う事象も考えられて来る事になります。
 真相はともかく、いずれにしても言える事は「例え明智勢以外の誰であっても織田勢を弱体化させたいグループが織田信孝の軍勢や明智勢に成りすまして信長を襲撃していまえばそれなりの成果を得る事ができた」と言う事なのではないでしょうか。

2020.11.15 17:02
一部誤植が有りましたので訂正。
4行目 「本能寺にいたの信長が」は「本能寺にいた信長が」に訂正。
24行目 「織田信孝の軍勢や明智勢に成りすまして信長を襲撃していまえば」は、
    「織田信忠の軍勢や明智勢に成りすまして信長を襲撃してしまえば」に訂正です。


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