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快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

自然災害 仕組みとアプローチ -  南海トラフ地震  昭和東南海地震など戦前の地震を考える

2017-01-05 19:24:05 | 地震 津波
 新年明けましておめでとうございます。
 今年も宜しくお願いします。

 数日間ブログを書かなかったので、今日のご挨拶となりました。
 新年に入り、国内ではM4以上の地震は結構多く、M5以上のものも有り、年末と同じような状況のようです。
 海外でも1月4日のフィジー諸島南方 M7.2の地震など活発です。
 M6以上の地震が今後東南アジア、東アジアに移って来るのかどうかは未だ様子見です。

 昭和東南海地震も含めた戦前の地震についてです。
 次のようなページをネットで見ましたので引用します。

引用開始(一部抜粋)

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e9%96%a2%e6%9d%b1%e5%a4%a7%e9%9c%87%e7%81%bd%e8%bb%8d%e6%b8%af%e6%a8%aa%e9%a0%88%e8%b3%80%e3%81%ae%e8%a2%ab%e7%81%bd%e7%a9%ba%e6%92%ae%e5%86%99%e7%9c%9f-%e6%97%a7%e6%b5%b7%e8%bb%8d%e9%96%a2%e4%bf%82%e8%80%85%e4%bf%9d%e7%ae%a1/ar-BBxUehs
関東大震災:軍港横須賀の被災空撮写真 旧海軍関係者保管
毎日新聞
 1923年の関東大震災の発生直後に軍港横須賀の被災状況を空から撮影した珍しい写真が見つかった。横須賀市自然・人文博物館(神奈川県)の元主任学芸員、蟹江康光さん(75)が、旧海軍関係者の遺族から譲り受けた。軍施設が集中する「要塞(ようさい)地帯」で、撮影が法律で厳しく制限されていた横須賀中心部の震災直後の空撮写真はほとんど見つかっておらず、大震災の教訓を継承する貴重な資料と言えそうだ。【飯田和樹】

 蟹江さんは、当時の飛行記録などを頼りに写真を探し、「極秘」の印がある旧海軍の震災写真帳「第2集」を見つけたが、軍港周辺の写真を含むとみられる「第1集」は見つかっていないという。
(中略)
 戦時下の情報統制で被災に関する資料が極秘とされた東南海地震(1944年)や三河地震(45年)は「隠された地震」と言われるが、蟹江さんは「関東大震災も、軍によって被害記録の一部が隠されていた」と指摘。「将来、相模湾を震源とする首都直下地震は確実に起きる。写真集が大震災を継承する手助けになれば」と話す。

引用終了

 未だ第二次世界大戦前であり、日本がそれ程世界的に孤立していなかった頃でも、軍事機密はこのような状況ですから、1944年ともなれば戦争中でもあり地震規模の算定に組み入れられない被害状況も多かったのだろうと思います。
 軍用施設でも一般民衆の誰の目で明らかに確認できてしまうものは隠しきれないので記録に残り、それ以外は闇から闇に葬られた情報も多かった可能性が高いと言う事、これは天正地震や慶長伏見地震などの時の地震被害で記録に残っているものとそうでないものが有るはずなのと同じで、当ブログで以前にも書いた通りです。
 1944年の昭和東南海地震はMj 7.9(Mw 8.2)とされていますが、実際には更に0.3~0.5程度大きかった可能性も否定できないのではないか?と筆者は考えていますが真相はわかりません。
 最近発生した大地震でも気象庁、USGS、EMSC等の発表は必ずしも同じとは限らず、後で修正される事もあります。
 仮にこの1944年の昭和東南海地震で歪がかなり解消されているとすると次回のこのエリアの東南海地震はかなり先になるのか、或いは小さ目になるのではないか?と言う期待はあるのですが、当時の正確なマグニチュードは今となってはわからず、更にその後の歪の蓄積がどれだけのペースなのか、固着(アスペリティー)が外れてしまうまでどれだけ余裕があるかなどにもよるわけで、実際に今後どうなるのかはそうも楽観出来ないかも知れません。