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出航のお見送りのテープの様子です。
我々は旅行に行く時によくパンフレットをもらいます。そこには真っ青な綺麗な海と白い砂浜が限りなく続いていて、本当に気持が晴れる思いがします。最近はその写真の方に小さい字で目立たなく、イメージと書かれている広告もあります。
しかし、我々はイメージとは何かを気にせず、その旅行に参加します。
気に入ったその場面にいき、なるほど、写真の場面が広がっていますが、どうも写真の場所の横からずっと嫌な臭いがします。どうやらその場所の横にごみ山があり、嫌な匂いがするのです。その上、土産物売りが煩わしいほど付きまといます。
このような例は喩えればキリがありません。
私は船旅が好きでパンフレットを取り寄せます。そこには見事なレストランやラウンジやジャグジー付きの屋上のプールなど、豪華でエレガントな場面がいっぱいです。そして気もそぞろに参加して乗船します。
南に近くなるとプールに水が入りジャグジーが動く。イメージ通りだとワクワクする。しかし、プールが満水になると訳が解らない姉さん達は狭いプールでバレーじみた遊びを始める。泳ぐと誰かに衝突する。横で子どもが「かあちゃんおしっこした。」と言う。
それを聞くと、ハッと、さっき息継ぎで飲み込んだ水はなんだったんかろうか?と妙なに嫌な気分になります。これが現実です。
私は船旅でも夜型で、時には夜中まで海や船の波切り状態を眺めて飽きないのですが、誰にも話をしないところが良いのです。
ところが、人の仕事を知っているか、私は相談をされます。
ある婦人は、ピースボートの職員に、船酔いするので船旅はできないと言ったところ、ピースボートの船はスタビライザーが有るから揺れないと言われて乗ったら、こんなに揺れる、話が全く違うと言うのです。このような笑えない話もあります。
揺れない船など、どこを探しても絶対ありません。
船旅は多少とも必ず拘禁反応を起こします。
拘禁反応とは、比較的長く、狭い牢屋などに閉じ込められた時に起こる特有の、うつ気分とか神経過敏状態を示します。
このような反応を本格的に研究をはじめたのは、宇宙工学です。ロケットという小さな空間に長期に閉じ込められた時に起こる固体の特有な神経、身体的な反応を調べる必要があったからです。
もっと詳しいことは省きますが、この拘禁反応を体験をしていないヨットマンはおそらく口だけのヨットマンでしょう。
10メートル近い小さな空間で何人か乗り合わせて、一週間ほど長期にクルージングすると、必ず他人の様子が気になり出しイラついたり、訳の判らない気持ちが込み上げたりして、喧嘩別れになる事ぐらいは当たり前という自覚は必要です。心は何時も、やり場とか行き場を求めています。そのやり場が無いとき意味のない他人へのイライラや情緒不安定になって当たり前という位自覚していないと拘禁反応に振り回されます。
だから私は長いクルーズは一人か妻か、とても手慣れた人間を選び、、必ず2日か3日に1夜は、別のところに泊まらせます。
私は3日以上泊まるところがない航海をするなら、一人か妻かしか選びません。
たから、訓練航海のような場合は必ず専門のカウンセラーが乗り込みます。手慣れた船乗りでさえもそうですので、遊び本位で浮かれている船客などは、私に言わせれば、船旅とは無罪なのにお金を払い有料で執行猶予なしの実刑3か月の状態とも言えます。
だから私は長い船旅の時には、普段日常よりもっと、寡黙になります。
大抵一日中妻としか話さない時が大半で、妻は私のことを、怒ったように押しだまって行き来すると言います。妻は、見知らぬ男性に「あんなご主人によく添えますね。」と気の毒そうに、時には不思議がられ言われると言っていました。
私は、時には挨拶さえもしません。私にとっては、その方が船旅を深く楽しめるからです。
しかし、それでも声かけられますが、大抵の場合は男性で、それも、船客の中でも幾人かしか居ない、良い奴なので、彼等は数少ない友人となります。
他の多い船客は他人の中の他人となります。私は割と見かける多くの客と違って、ロマンスを求めて乗船した訳ではないのですから。
ピースボートの船旅中、やはりいろいろと問題も起こり、私は拘禁反応についての講話をすることになりました。専門的な話をなるべく分かりやすく話したのですが、妻がポロポロと涙を流している女性がいたので気になり声をかけると、「話の内容とは別に心に伝わるものがあるのか、自分でも涙の意味が分からない。けど、良かった。」ということでした。その後、妻とその女性とは大の仲良しになったとか。50メートル歩けば、一体何人の知り合いに挨拶をするのかと、私は妻に尋ね、疲れを知らないニコニコマンに私はつい、首をかしげるのです。