精神療法家 増井武士のブログ・バリ島日本人自殺予防ヴィラオーナー(レンタル可)

心理臨床の研修会・精神療法外来の陪席・海外のワークショップやバリ島ビーチフロントヴィラの利用のご案内などを掲載します。

精神療法外来の陪席について(お知らせ)

2019-08-23 14:07:39 | 日記
 福岡恵聖病院、増井外来の陪席の日程についてお知らせします。
  9月10日(火) 26日(木)
 10月10日(木) 15日(火)
 11月 7日(木) 19日(火)
 12月 3日(火) 12日(木)  
 13:30~ です。陪席希望の方は、研修会事務局
 ship55go1@yahoo.co.jp   にメールください。
 原則、陪席は1名で、お世話になっている院長先生と事務受付の方には、
 小分けになっている簡単なお菓子でも、できればご持参ください。
 遠方の方は出費が嵩むので、無理しないで結構です。

 船旅の話は、写真など苦労して探して載せているのですが、なんのコメントもありませんので、
当分の間、掲載しないことに決めました。その点に関して、ご要望があればコメントしてください。

船旅の話4 船旅における夢と絶望

2019-08-21 21:47:28 | 日記

 出航のお見送りのテープの様子です。

 我々は旅行に行く時によくパンフレットをもらいます。そこには真っ青な綺麗な海と白い砂浜が限りなく続いていて、本当に気持が晴れる思いがします。最近はその写真の方に小さい字で目立たなく、イメージと書かれている広告もあります。
 しかし、我々はイメージとは何かを気にせず、その旅行に参加します。
 気に入ったその場面にいき、なるほど、写真の場面が広がっていますが、どうも写真の場所の横からずっと嫌な臭いがします。どうやらその場所の横にごみ山があり、嫌な匂いがするのです。その上、土産物売りが煩わしいほど付きまといます。
 このような例は喩えればキリがありません。
 私は船旅が好きでパンフレットを取り寄せます。そこには見事なレストランやラウンジやジャグジー付きの屋上のプールなど、豪華でエレガントな場面がいっぱいです。そして気もそぞろに参加して乗船します。
南に近くなるとプールに水が入りジャグジーが動く。イメージ通りだとワクワクする。しかし、プールが満水になると訳が解らない姉さん達は狭いプールでバレーじみた遊びを始める。泳ぐと誰かに衝突する。横で子どもが「かあちゃんおしっこした。」と言う。
それを聞くと、ハッと、さっき息継ぎで飲み込んだ水はなんだったんかろうか?と妙なに嫌な気分になります。これが現実です。

 私は船旅でも夜型で、時には夜中まで海や船の波切り状態を眺めて飽きないのですが、誰にも話をしないところが良いのです。
ところが、人の仕事を知っているか、私は相談をされます。
ある婦人は、ピースボートの職員に、船酔いするので船旅はできないと言ったところ、ピースボートの船はスタビライザーが有るから揺れないと言われて乗ったら、こんなに揺れる、話が全く違うと言うのです。このような笑えない話もあります。
揺れない船など、どこを探しても絶対ありません。



 船旅は多少とも必ず拘禁反応を起こします。

 拘禁反応とは、比較的長く、狭い牢屋などに閉じ込められた時に起こる特有の、うつ気分とか神経過敏状態を示します。
このような反応を本格的に研究をはじめたのは、宇宙工学です。ロケットという小さな空間に長期に閉じ込められた時に起こる固体の特有な神経、身体的な反応を調べる必要があったからです。
もっと詳しいことは省きますが、この拘禁反応を体験をしていないヨットマンはおそらく口だけのヨットマンでしょう。
10メートル近い小さな空間で何人か乗り合わせて、一週間ほど長期にクルージングすると、必ず他人の様子が気になり出しイラついたり、訳の判らない気持ちが込み上げたりして、喧嘩別れになる事ぐらいは当たり前という自覚は必要です。心は何時も、やり場とか行き場を求めています。そのやり場が無いとき意味のない他人へのイライラや情緒不安定になって当たり前という位自覚していないと拘禁反応に振り回されます。
だから私は長いクルーズは一人か妻か、とても手慣れた人間を選び、、必ず2日か3日に1夜は、別のところに泊まらせます。
私は3日以上泊まるところがない航海をするなら、一人か妻かしか選びません。
たから、訓練航海のような場合は必ず専門のカウンセラーが乗り込みます。手慣れた船乗りでさえもそうですので、遊び本位で浮かれている船客などは、私に言わせれば、船旅とは無罪なのにお金を払い有料で執行猶予なしの実刑3か月の状態とも言えます。
だから私は長い船旅の時には、普段日常よりもっと、寡黙になります。
大抵一日中妻としか話さない時が大半で、妻は私のことを、怒ったように押しだまって行き来すると言います。妻は、見知らぬ男性に「あんなご主人によく添えますね。」と気の毒そうに、時には不思議がられ言われると言っていました。
私は、時には挨拶さえもしません。私にとっては、その方が船旅を深く楽しめるからです。
しかし、それでも声かけられますが、大抵の場合は男性で、それも、船客の中でも幾人かしか居ない、良い奴なので、彼等は数少ない友人となります。
他の多い船客は他人の中の他人となります。私は割と見かける多くの客と違って、ロマンスを求めて乗船した訳ではないのですから。
 ピースボートの船旅中、やはりいろいろと問題も起こり、私は拘禁反応についての講話をすることになりました。専門的な話をなるべく分かりやすく話したのですが、妻がポロポロと涙を流している女性がいたので気になり声をかけると、「話の内容とは別に心に伝わるものがあるのか、自分でも涙の意味が分からない。けど、良かった。」ということでした。その後、妻とその女性とは大の仲良しになったとか。50メートル歩けば、一体何人の知り合いに挨拶をするのかと、私は妻に尋ね、疲れを知らないニコニコマンに私はつい、首をかしげるのです。


船旅の話3 キューバの馬車

2019-08-20 19:15:35 | 日記

 キューバの馬車です。

 船がキューバの港に着いたあと、私達はいつものように、グループで行く観光バスを見送り、ぶらぶらと町中を歩き始めました。歩くと、なにかが必ず待っているからです。
 すると、私達がいつも自由行動しているのをどこか船中で聞いたのか、2グループ程知らん顔して少しあとから着いて来るのです。
 少し町中を歩いていると観光客専用かと思われる馬車を見つけました。それをチャアターして、いろんな所を見て周って幾らぐらいか聞くと25ドルぐらいと言うのです。おそらく当時のレートで四千円ぐらいだったので、20ドルにサービスしてもらいました。無論、後をつけて来た人達も別の馬車に乗りました。老婆心なのか、20ドルぐらいで良いと伝えてあげようと思いましたが、辞めました。
 いずれにしてもこれで、一人8千円も取る観光バスツアーのバスの中での詰まらない解説や、決まったコースを旗印につられて歩く旅からも解放されました。
 公用語か外国語か知りませんが、馬車の業者は英語が通じたのであれこれ教えて貰いながら、私達はおもしろそうなところや店に止まって貰い、買い物や見学を楽しみました。
 日本は第二次世界対戦でパナマ運河のこともあって相当な規模を射程に入れていたようで、キューバにも日本軍の残した高射砲や戦車の残骸があり、驚きました。


 キューバで多いアメリカの古いオープンカーをレストアしたものです。

 私の好きな古いアメリカのオープンカーがいたるところにあり、時々止まって念入りに見て回ったり、時間は瞬く間に過ぎました。
 帰りにふっと想いついてブエノビスタ・ソシアルクラブという私の好きな南米音楽バンドを知っているかと、馬車の業者に聞くと、なんと知っていると言うのです。その上、今日そのバンドのライヴがあるというので再び驚き、どこであるのか?と聞くと、近くでというのでまたまた驚きました。そのライヴ会場は、なんと船が着岸しているごく近くの喫茶店のような小さなところでした。
 そんな近くで彼等のセッションが聞ければ最高と思い、とにかく現地のお金の残りを全て出し、アイスコーヒーとサンドウィッチを食べれるか?と聞くと、笑いながら小銭のお釣りを出し、今日ブエナビスタのライヴあるか?と聞くと、あるというのでチケットの値段を聞くと、約500円ぐらいでした。
 慌ててそのチケットをドルで買おうとすると「、OK、今夜7時からね!」というのです。何と、今夜7時は船の出航時間で、余りに遅れると荷物ごと全てを港にほおり出されて、置いて行かれる最も怖い事態になります。
 私は泣く泣くライヴを諦めました。

 キューバでは馬車やいろんな人がチップを要求しないところが、約20年前に来た時と全く異なっていました。
それは、教育のせいかと思います。
 ゲバラは理想と理念の中で生き、カストロは政治と政策に生き続けている実態が、そのようなことでもよくわかります。
私はもともとキューバのフアンなのです。キューバのような小さい国が、独立を目指して、アメリカやソビエト、中国などと対等に渡り合っているからです。カストロの演説では自然資源だけに頼らず、人材資源を育て、医者も人材輸出しているとのことでした。20年ほどの間に、非常に人も国も成長発達したと思いました。


船旅の話2 キューバのカストロ

2019-08-19 14:46:06 | 日記

 ガードマンに支えられたカストロ

 船ががキューバに着いた時、丁度、国際平和フォーラムのような会議があり、カストロ首相の演説が聞けると言うので慌てて参加しました。今では考えられないような気軽さで、なんのボディチェックさえもなく、まるで誰かの公演を聞きに行く感じでした。
これはキューバでは当たり前の事で、我々がおかしいのかもしれません。
もう、彼はかなりの高齢で、歩行はガードマンの支えが必要でしたが、論述は市民生活から国際経済に至るまで、極めて実質的な話ばかりでした。
そこにはなんの形式的で体裁をなすものなど一切なく、実質的な指導者の知識の広さにまず、おどろきました。とにかく、頭がさえわたっていました。
カストロはなんら権威的でもなく極めて人間的で庶民的な人柄のように見えましたが、その偉大さを隠す事はできない様子でした。私は、一時、話の内容よりも彼の声や心の言葉を聴こうと、イヤホンを外して聴き入りました。
すると、自然に、彼のとてつもなく幅広く奥行の深い内面の吸引力のようなものを感じました。人を自然に引き寄せ、吸いとってしまうようなものでした。
無論、革命の途上で、殺戮は毎日のようで、信頼や不信感で揺れ動き、攻撃も敬愛も毎日のように交差する日々だったでしょう。しかし、それらを全て飲み込むような彼の人間力はとてつもなく大きなものであるということを、直に私は感じました。
たとえば、彼が「こういう事態なので、一つ命をくれないか?」と言われたら、結構、誇りを持って、わかりました、と私はうなずくように思えました。
そして、それは、彼を取り巻く周りの人間が、その深さを物語っているようでした。
司会をしている女性の彼を見つめる視線の限りない優しさや、壇上の後ろで彼の安全を確認している屈強なガードマンの視線は、あたかも慈父を見つめる深い心を物語っていました。
彼の公演を終えたあとに残る、周りの限りない優しさのような言葉を越えた実感はとても爽やかもので、日本人の政治家の有り様の恥ずかしさに触れるような気持ちでした。


 ゲバラの記念館

 カストロ以上にキューバ人に慕われているゲバラに至っては、どのように好意的に愛されていたのか、今はさまざまなエピソードでしか想定できません。
たとえば、ゲバラが立腹して、大きな声で怒鳴ると、周りの秘書達は顔を赤らめて恥ずかしそうに喜んでいるような仕草をしたと聞きました。ゲバラのそばにいて声が聞けるだけで幸福ということです。
カストロは弁護士でゲバラは医者だった事は皆知っていると思います。キューバ革命の後の国の政策でゲバラはもっと理念的ないわば共産的な内政を解き、カストロは政治的な外交の政策で意見が異なり、結局ゲバラはアルゼンチンだったかと思いますが、他の国からこわれての革命の指導者として、そこで命を落とします。
私はカストロに直に会うまで、非常に政治性の強いイメージを彼に持っていましたが、やはり、革命家は本質的に革命家である事を再確認しました。
しかし、キューバ国内のゲバラの人気は圧倒的であり、私は彼の理念がまだキューバの心となって行くことを願っています。
ゲバラは非常に男ぶりが良かったのは、あちこちのポスターやネオンサインが物語っています。





船旅の話1 キューバのサルサ

2019-08-17 20:31:16 | 日記


 カストロの演説の様子です。

 足の傷も癒えましたが、やはり傷が深くて神経が少し切れたようで痺れが後遺症としてややあります。
しかし、今日プールの許可がおりたので、一月ぶりに約1キロ泳ぎました。
とても気持良く泳げました。

夕食の後で、久しぶりにオーディオルームに気持ちが向きました。
何となく軽いアルゼンチンタンゴなどを聞いていると、気分が乗って、なぜか、キューバの夜ふけまで、サルサ大会に行った場面を思い出しました。
キューバの夜半、大きな広場でサルサ大会があると言うのです。地元の方と触れ会う機会でもあるし興味もあり、見に行きました。
しかし、キューバでは、サルサは見るものでなく、踊るものとしか考えてない様子で、すぐに踊りの中に引き込まれました。
ふと近くにエグザイルのウサさんがおり、彼の個人的楽しみを邪魔しているような、後ろめたい気持にもなりました。ウサさんは自然と向こうの方でステップを楽しんでいるようでした。
 私の前には小さな可愛い女の子が一緒に踊ろうとステップを踏み、しきりに目で合図するのです。
私は簡単なステップを彼女に併せて踏み出すと、彼女は目で、そうそう、と頷き、楽しそうでした。
私がステップの確認の為に足元を見ると、しきりに彼女は首を振り、ダメダメと言い、目を指差し目を見ながら踊れと合図しました。そして、目を見ながらステップを踏めというのです。そして、目を見ながら足の感覚を楽しむと、自然と相手とステップが合い、サルサそれ自体を楽しめるようになるのです。
彼女は一時の間、私と一緒に踊り、また別の相手と楽しんでいました。写真の一枚でも撮っておいたら良かったと思うような可愛い女の子でした。
一人でいると必ず誰かがやって来て、また誰かが来ると言うふうでした。
結構楽しみ、踊り疲れて汗をかき、飲み物を探していたら、直子が買い物袋を下げたおじさんと一緒に楽しげに踊っていました。



そのうちに、奥さんらしき人がやって来てその買い物袋を持ってやり、彼はより軽快で本格的に踊り出し、踊りで対話するように直子がサルサを楽しんでいました。

昼間、運良く、カストロ前首相の出席する国際平和会議に参加でき、カストロの演説を聞けましたが、後で話をしましょう。