ウクライナ オデッサにて
ロシア女性の魅力
そのような人間が今のようなウクライナ攻略するような姿は、どこにも感じられませんでした。
また、ヨットレースに東京から参加している友人も私の友達だったのですが、彼は非常にロシア好きで、東京からロシアのウラジオストックの近くのナホトカまで、何度もヨットで行ったそうです。その目的はあるロシアの女の人を嫁にしたいということでした。彼が言うには、世界中の女性でロシア系の女性が最も美しいというのです。ナホトカまでヨットで行った時に彼女が出来、日本で結婚しようとするけれどなかなかうまくいかない、結局彼は、なんとナホトカから彼女をヨットに乗せ、日本まで連れてきました。おそらく国際的な問題が何やらあったらしいのですが、詳しいことは聞いていません。
彼にそのロシアの彼女の写真を見せてもらいましたが、とても色が白くてそれは綺麗な女性でした。彼は、ロシアの女性を見ていると日本の女性は見られないと言い、日本の女性よりもっともっと日本的なメンタリティを持っているロシアの女の人は多いということでした。
その笑顔の奥には、やはりロシア正教会のキリスト教が深く感じられると言うのです。彼女を妻にして思うことは、今の日本女性には宗教性がほとんどないようで人格に深みがないと思うということでした 。
変な話ですが、ピースボートの船旅で友達になったある男の人が
「俺はお妾さんが中国の田舎にいるんだが、いくらお金がかかっていいから是非ともロシアの女性をお妾さんにしたい」
と、笑いながら言っていました。なぜかと訊くと、とにかく肌が蠟のように透きとおって白く美しく、スタイルもよく、その上とても優しいということでした。後は 男同士での話で詳しくは話しできませんが、彼にあるとまさしく憧れの的のようでした。
そういえば昔、私の家の店の店員にロシア系の混じった女の子がいました。色白でとてもまつ毛が長く、スタイルの良い可愛く綺麗な子でした。
5年ぐらい働いているうちに彼女は、大阪のデパートの洋服売り場のファッションガールのような仕事に引き抜かれました。
その後、時々大阪の南のデパートの近くのお好み焼き屋で、私が実家に帰るついでによく会っていました。化粧と着物で女性がこんなに変わるものかと思うほど、彼女は美しくなっていました。
好みの国の女性
少し話はおかしくなりますが、私は池見陽先生ととても仲が良く、その昔、産業医大の教官として招いた時、夕食を一緒に私の家で食べることもありました。 先生は内々には、私のことを兄貴と呼んでくれていて、よく食事のあと、ピアノでジャズを2、3曲 弾いてくれました。とてもタッチの柔らかい綺麗なジャズで、亡くなった女房は池見先生の 大ファンでした。私たちが池見先生の結婚式の仲人もしましたが、何しろ初めてのことだったので、随分恥ずかしい思いもしました。
ところで、池見君の海外の好みの女性はブラジルの女性らしいです。私はリオデジャネイロに立ち寄った時に女性を眺めてみたのですが、ただお尻が大きいだけでどこがどう良いのか、未だに分かりません。
少々恥ずかしい話ですが、私の初恋の相手は、昔、日露戦争でロシアに出かけたある将校が 美しいロシアの女性と出会い、そのまま日本に連れ帰って結婚したらしく、その血を引くロシア女性でした。彼女は、私の親の店で着物の仕立てをしていました。
色白でスタイルもよく、顔は、しいて言うなら中森明菜の目鼻立ちをくっきりさせたようで、雰囲気は中森明菜をもっと明るく優しく、後ろ姿に大らかさが漂うような人でした。服装はいたって質素で、人目を構わない人でしたが、やはり見る人にはとても綺麗に見えたらしく、何度も振り返って見られた記憶があります。
特に彼女の笑顔は、人の心を引き込むような魅力がありました。そして何よりもキリスト教に信心深く、しかし決してそれを言葉にしない人でした。
彼女は 神とは言わずに、大きな人とか、大きな花とかという表現をしていました。彼女のいう大きな人とは口で言うと消えてしまい、じっと黙っていると心の中ではっきりと感じられる人だと言っていました。
私ことを思ってくれてか、将来一緒になる予定で私が籍を入れようとすると、決して籍に入ろうともせず、結局、白血病で亡くなりました。その事を忘れるように、私はごく普通の見合い結婚をしました。しかしその妻も、結局は白血病で亡くなりました。
だから私は、二人の妻を白血病で亡くしたということになります。まさか直子も白血病で亡くなることはないでしょうが…
私は初恋の彼女と、若くても早く籍を入れ夫婦になろうと思ったのですが、彼女は子供ができないと籍には入らないと言い張りました。結局今から思うと、何かあった時、私に迷惑を掛けたくないという彼女の思いやりだったように思います。
まるで 純愛映画のような話ですが、その時はとてもお互い純粋で現実とはかけ離れて いましたが、結局、その方がお互い幸せだったような気がします。人は現実、現実と言いますが、それは勝手に自分が描いた人生像でしかないものだと思っています。
今、そのことをテーマに小説を書こうとしていますが、彼女が亡くなった時のことをどうしても思い出してしまい、もう50年近く前の話ですが、今のことのように憶えてなりません。私の引きこもりも、少しそのことが関係しているかも分かりません。それほどお互い、 深く思い合っていたのだと思います。
いずれ何かの機会にその事を詳しく書いた本が出るかもしれませんし、出ないかもしれません。
もうすぐ 桜の季節がやってきます。それまでには 少し元気になるようにと思っています。
今、ロシアの政治のトップが気が狂ったように、ウクライナに侵略をしていますが、プーチンは蒙古系の血を引き、とても好戦的で、一般のロシア国民とは全く違うメンタリティーを持っていると私は思います。