私達の歓迎セレモニーとは知りませんでした
朝昼兼ねた食事をとり、ぶらぶらしていると当たり前ですが、夕方になります。この当たり前のぶらぶらが、日本でのぶらぶらとまったく違うのです。
心の成り行くままのぶらぶらなので、そこには、ある種の充足感があります。それでそのぶらぶらがひどく短く感じられるのです。無論、その当時新しいヴィラで気持ちがうわついてウキウキしていたからではありません。今でも、他の方々もぶらぶらしていたら、あっという間に時間が過ぎたとよく言うのです。
バリではぶらぶらすることを「ジャランジャラン」とも言います。散歩散歩ぐらいの意味です。しかし、バリの人のジャランジャランは、散歩する時間を楽しみ、笑い話で笑いこけるイメージどおりに聞こえるのです。
ぶらぶらはバリではとても贅沢な遊びになるように、バリのぶらぶらは何となく満たされた時間の経過になっているようです。
そうしている間に、車でカディさんが迎えに来てくれました。5分足らずで丸尾さんのヴィラに行くと、バリの伝統的な楽団がすでに準備万端でした。ジュゴクという、別名、格闘技の音楽とも言われていて、直径が30センチぐらいで長さが180センチぐらいの大きな竹から小さな竹がずらりと巨大な木琴のように地上1.5メールぐらいの高さに並び、その竹の上を飛び交うように演奏する様子は、あたかも格闘技のように竹を叩いているようでした。それの一列が4人のパートに分かれ、たくさんの男性が汗をだらだら流しながら演奏していました。それも前かがみの中腰で、長時間叩き続ける体力に感嘆至極でした。直子が後ろに回って演奏者を直に見にいくと、彼らはにっこりほほ笑んでくたらしいです。
一番前で演奏しているバリの典型的な音楽のガムランとセッションのような音のやりとりはひどく昔風で懐かしく、まるでタイムスリップしたような気分になりました。
このジュゴクはヌガラ発祥のものであると聞きました。その音楽に乗ってバリダンスが始まりましたが、最初は古典的な子供たちの簡単な踊りから始まり、徐々に本格的な踊りに移り変わり、最後に参加している一人ずつを招いて踊るのです。一般的にバリでは祭事をセレモニーと言います。バリではセレモニーでも最後は参加者の誰かを誘って踊ります。
私が途中で飽きてきて丸尾さんに、もう帰るといった時、それは困る、これは先生の新築の祝いのセレモニーだからと言われ、やっと歓迎の意味を込めてセレモニーをしてくれていることが初めてわかりました。
丸尾さんがセレモニーの途中で、踊るのが巧い台湾の女性やら紹介してくれたのですが、吉本バナナさんも詳しく紹介してくれました。丸尾さんが以前勤めていたところが吉本興業らしいので、吉本バナナさんと知り合いで、よくヌガラに遊びにくると聞きました。次回来る時、必ず私のヴィラにきてくださいとのお誘いはしておきました。気さくな柔らかい方でした。
私も誘われて下手なダンスを踊りました。ずるいのは直子でどうせひっぱり出されると思って異常に恥ずかしがり、ジュゴクの楽器の影に隠れていたらしいのです。
デンパサールやウブドなどの都市部では、このようなセレモニーの見学が有料化され、元来の祭事の意味が薄れ営業化されています。
丸尾さんはこのような伝統芸術を残すために、音楽や舞踏の学校を作り、いくつかの楽団をかかえているということでした。その技術は高くたもつために、自分の会社の社員にさえしているようでした。
このようにしてバリの、まずは、手探りでも本格的な4ヶ月の生活が始まりました。本当に描き尽くせないほどいろいろあった生活でした。そこで住んで見なければ分からない事ばかりだとさえ言えます。これから少しずつ触れて行きたいと思います。
最初は庭の手入れや家のメインテナンスや力仕事をやってくれる男性のハウスキーパー3名と家事一般や細々と身の回りの世話をしてくれるメイドさん3名でヴィラの生活が始まりました。ハウスキーパーの責任者っぽい人はヌルルさん、メイドさんのそれに当たる人はアリさんです。この二人は今でも変わりません。
朝昼兼ねた食事をとり、ぶらぶらしていると当たり前ですが、夕方になります。この当たり前のぶらぶらが、日本でのぶらぶらとまったく違うのです。
心の成り行くままのぶらぶらなので、そこには、ある種の充足感があります。それでそのぶらぶらがひどく短く感じられるのです。無論、その当時新しいヴィラで気持ちがうわついてウキウキしていたからではありません。今でも、他の方々もぶらぶらしていたら、あっという間に時間が過ぎたとよく言うのです。
バリではぶらぶらすることを「ジャランジャラン」とも言います。散歩散歩ぐらいの意味です。しかし、バリの人のジャランジャランは、散歩する時間を楽しみ、笑い話で笑いこけるイメージどおりに聞こえるのです。
ぶらぶらはバリではとても贅沢な遊びになるように、バリのぶらぶらは何となく満たされた時間の経過になっているようです。
そうしている間に、車でカディさんが迎えに来てくれました。5分足らずで丸尾さんのヴィラに行くと、バリの伝統的な楽団がすでに準備万端でした。ジュゴクという、別名、格闘技の音楽とも言われていて、直径が30センチぐらいで長さが180センチぐらいの大きな竹から小さな竹がずらりと巨大な木琴のように地上1.5メールぐらいの高さに並び、その竹の上を飛び交うように演奏する様子は、あたかも格闘技のように竹を叩いているようでした。それの一列が4人のパートに分かれ、たくさんの男性が汗をだらだら流しながら演奏していました。それも前かがみの中腰で、長時間叩き続ける体力に感嘆至極でした。直子が後ろに回って演奏者を直に見にいくと、彼らはにっこりほほ笑んでくたらしいです。
一番前で演奏しているバリの典型的な音楽のガムランとセッションのような音のやりとりはひどく昔風で懐かしく、まるでタイムスリップしたような気分になりました。
このジュゴクはヌガラ発祥のものであると聞きました。その音楽に乗ってバリダンスが始まりましたが、最初は古典的な子供たちの簡単な踊りから始まり、徐々に本格的な踊りに移り変わり、最後に参加している一人ずつを招いて踊るのです。一般的にバリでは祭事をセレモニーと言います。バリではセレモニーでも最後は参加者の誰かを誘って踊ります。
私が途中で飽きてきて丸尾さんに、もう帰るといった時、それは困る、これは先生の新築の祝いのセレモニーだからと言われ、やっと歓迎の意味を込めてセレモニーをしてくれていることが初めてわかりました。
丸尾さんがセレモニーの途中で、踊るのが巧い台湾の女性やら紹介してくれたのですが、吉本バナナさんも詳しく紹介してくれました。丸尾さんが以前勤めていたところが吉本興業らしいので、吉本バナナさんと知り合いで、よくヌガラに遊びにくると聞きました。次回来る時、必ず私のヴィラにきてくださいとのお誘いはしておきました。気さくな柔らかい方でした。
私も誘われて下手なダンスを踊りました。ずるいのは直子でどうせひっぱり出されると思って異常に恥ずかしがり、ジュゴクの楽器の影に隠れていたらしいのです。
デンパサールやウブドなどの都市部では、このようなセレモニーの見学が有料化され、元来の祭事の意味が薄れ営業化されています。
丸尾さんはこのような伝統芸術を残すために、音楽や舞踏の学校を作り、いくつかの楽団をかかえているということでした。その技術は高くたもつために、自分の会社の社員にさえしているようでした。
このようにしてバリの、まずは、手探りでも本格的な4ヶ月の生活が始まりました。本当に描き尽くせないほどいろいろあった生活でした。そこで住んで見なければ分からない事ばかりだとさえ言えます。これから少しずつ触れて行きたいと思います。
最初は庭の手入れや家のメインテナンスや力仕事をやってくれる男性のハウスキーパー3名と家事一般や細々と身の回りの世話をしてくれるメイドさん3名でヴィラの生活が始まりました。ハウスキーパーの責任者っぽい人はヌルルさん、メイドさんのそれに当たる人はアリさんです。この二人は今でも変わりません。