精神療法家 増井武士のブログ・バリ島日本人自殺予防ヴィラオーナー(レンタル可)

心理臨床の研修会・精神療法外来の陪席・海外のワークショップやバリ島ビーチフロントヴィラの利用のご案内などを掲載します。

船旅 嫌いだった国、フランスの泥棒達

2019-10-22 21:31:34 | 日記
 私はラグビーのフアンで、昔からラグビーが大好きでした。日本が敗戦したあと、心の一部が失われたようで、ほとんど仕事になりませんでした。私が日本代表の監督なら、もっと別な戦い方があったのにと思うと、心の収まり所がなく、ブログも非常に攻撃的になり、フランス人は生理的に嫌いというテーマになりました。


(マルセイユのヨットハーバー)

 私のフランス嫌いは極めて個人的なものと思います。
話はずいぶん昔に戻りますが、娘にせがまれてフランスにいきました。
フランスのあの寒さのせいもありますが、フランス人そのもの冷たさや人格のずる賢さもあると思います。
例えば私が、ある名所までの行き道を英語で聞くと、自分は英語が解らないような対応をして、娘に聞かせに行くと、きちんと英語で教えるのです。
その頃ぐらいからフランス人へのなんとも言えない嫌気がありました。日本人のホテルマンに対してフランス人の態度は、横着で失礼だと聞いた事があります。

ちなみに、世界中のホテルマンのアンケートでは、最も好かれる国民は日本人です。そして、最も嫌われるのはフランス人です。その理由は、日本人は礼儀やルールをよく守り、クレーム等が少なくお金払いも綺麗であるのに対し、フランス人は、さぞ自分をお客様と思い込み、自己本意でクレームが多くお金払いが悪いということです。私はこの結果はよく分かります。おそらく、私が嫌いなのは、その値打ちもないくせに、必要以上に自尊心が非常に高いところです。

バリのヴィラでの、フランス人からの実害

 フランス人からの実害もあります。
あるフランス人が家族込みで、私のバリ島にあるヴィラを娘のフエイスブックから知り、娘にしつこくその住所を聞いたらしいのです。私は娘から住所を聞かれ、理由も分からず何故か細かく教えました。
その後、彼等家族全員でバリ島に行き、レンタカーを借りて私のヴィラに無断で親子6名、娘の友人と語り、約五泊ぐらいステイして、大きな大人が大量の料理を飲み食いして、黙ってレンタカーで帰っていったのです。その話を聞いた時、いわゆる詐欺的な無銭飲食で、私のフランス人嫌いはマックスになりました。

食材費も数万円かかったいるのに、メイドさん達には払わず、仕方なく丸尾さんが立て替え払いしていました。後に、私の知り合いでなく、一切知らなかったと説明すると、丸尾さんは呆れかえって、
「それじゃ、犯罪だ。」と言っていました。
私のヴィラに泊まる人は、私も含め、治安のために警察にパスポートのコピーを必ず提出することになっていて、ヴィラにもそのコピーが保管されています。ですから、フェイスブックで彼等の実名を示し、謝罪と立て替え分の請求をしようと思いながらも、面倒で嫌な事なので、まだしていません。実にフランス人らしい嫌らしさを感じています。
 ハウスキーパーのヌルルに、そのフランス人はあれこれ用件を言いつけて、口ではニコニコしてサンキュウ、サンキュウと言うだけで、渡すチップは子どもだまし以下だったそうです。それには、さすがの穏やかなヌルルもそのチップを足で踏みつけたと聞きました。相当むかついたのでしょう。ヌルルも世界中でフランス人が一番嫌いだと言っていました。
また、あの大人しく優しいアリさんも、子ども3人は親より大きく、大人5人が大食いする上、あれこれ注文され、大量に作るような忙しさで、ぐったり疲れたということでした。
私たちの知り合いではまったくなかったと知ると、
今度来た時にはポリスを呼ぶと言う怒りようでした。是非ともそうするように伝えました。

フランスでは泥棒だらけでした。

 船旅でフランスのマルセイユに入港した時、私はヨットハーバーに行って、好きな船をあちこち見回っていました。少し空腹だったので近くのカフェでサンドイッチを頼んでいた時、黒い悪意に満ちたものを背中でふっと感じました。
私は仕事柄、この種の悪気や殺気などを、直接その人と関わらなくても私は感じる場合が多いのです。それは顔を見なくても背中に気配を感じることもあります。私たちはその店のテラスのどの辺りで食べようかと気を取られている間に、直子のお気に入りのバッグが盗まれていました。
幸いパスポートなどは別々に持っていたので、実害は大事なバッグだけでしたが、フランス人の嫌らしさは変わりません。
後で船中で皆に聞くとスリだの、集団でたくさん盗まれたなど、さんざんな様子でした。
集団で狙われると、その巧妙さは避けようがないようでした。
ほかの国では、ひったくりなど、陽性であっけらかんとしていますが、フランス人は、陰性でいやらしいのが特徴です。
だから、フランス人と聞くだけでむかついて来るのです。



バリで元気をもらう会(2020.1.8~)について

2019-10-12 22:28:01 | 日記
来年の1月8日(水)~23日(木)私達はバリ島に行き、24日に帰ってくる予定です。
1月8日 福岡15:15発 マニラ経由 23:59 デンパサール着(フイリピン航空)です。
私達と一緒に行かれるか、私達の滞在中に来られるか、期間は5泊6日で、
参加希望の方は下記のメールアドレスにご連絡ください。
  ship55go1@yahoo.co.jp  研修会事務局

バリで元気をもらう会はだいたい夏休みと冬休み頃に行ってきました。
詳細については、参加された方の感想も含め、以前ブログで紹介していますので、ご覧になってください。

最近、いろいろとコメント、有り難うございます。
個人的なメールよりも、皆さんと共有できるので、有り難いです。
質問も是非、コメントでお願いします。

余談ですが、きのうバイジーから「先生も気を遣うことがあるのですか?」とクスッと笑いながらきかれました。
私は「人が気を遣わないように、気を遣っている。」と言ったら、バイジーはハッハッハと笑いだしました。それを聞いた直子はもっと笑いました。どうも私は真意を理解されていないようです。
もちろん一番、そのように気を遣っているのは、患者さんです。

新たな出版物と公認心理師問題について

2019-10-09 19:58:12 | 日記
私の臨床論や方法のまとめについて


 私の心理臨床論や臨床方法をまとめて、それを単独で書かず、池見先生と、対談形式にした本の原稿がやっと活字の校正にはいっています。
これは、2~3年ぐらい前にすでに出版される予定だったのですが、いろいろな事情により、随分遅れてしまったものです。

私は今まで、自分の心理臨床を敢えて××論とか××学とかネーミングしなかったのは、我々が軽率に勝手に患者さんをラベリングをしないでありのままに理解しようと言いながら、自分の方法を××方とか××論とかと勝手にラベリングをしていると言う自己矛盾を、あまりにも無自覚に犯しているからでした。
私はそのような矛盾を起さないために、敢えて、自分の臨床方法とか理論を××法とかラベリングをする事を、ずっと避けてきました。
しかし、この社会では、簡単に名前をつけたがります。その方が整理と区別に便利だからです。その極端な場合がマイナンバー制度です。
ですから、いろいろな大学や研究者からアンケート依頼があり、真っ先に記入するのが、「貴方の治療的立場を示して下さい。」があります。
そこでは、来談者中心とか行動療法とかユング療法とか折衷的とかがあります。そして、一番最後にその他があります。
私は何時もその他のひとまとめにされたところにマークして、自分なりの方法、とかっこの中に書かなければなりませんでした。
土台、このように、カテゴリー分けする事自体が非人間的立場にたっているとは考えていないのです。治療者は、どんどん当初の××論から離れて、自分なりの方法に変わっていくようです。
社会は全体的には、ややこしくて複雑な物を嫌います。安易に、単純に考える方が楽だからでしょう。
私の心の整理学の臨床的研究を長年にわたって行って論文報告にまとめ、学会賞を与えられた徳田完二先生は、私の方法に名前がないので論文の中では「増井法」と表記されたぐらいです。
私がその時に、自分の方法に広い意味を持たせた名前があってもいいと思いかけました。その名前は方法を束縛するようなものでなく、かえって名前をつけることで、より広く深い理解を与えることも可能ではないかと考えました。

 そのような経緯で、私が仮に自分の臨床方法とか理論をネーミングすると、人間学的精神力動論と言えると思います。それは人の心が生き延びる様を精神力動的に人間学として理解を深めようとする立場とその方法と言えます。

ですから、本のタイトルは、
人間学的精神力動療法を巡って~体験過程論からの視点を交えて~
というものになるかもしれません。私はそのタイトルでいいと思っています。
出版社の話では、スムーズに行けば年内に出るかもしれません。

※ 徳田完二先生の出版物 収納イメージ法 -心におさめる心理療法ー 創元社 2009年. を興味のある人は参考にしてください。私の序文も入っています。
  

・公認心理師問題について

 公認心理師問題について、とりあえず、私なりの考えをまとめて出版して、その後の様子で自分なりのやり方を考えていこうとしました。
それまでの間、ブログでは、気が向いている世界一周の旅について連載していましたが、やはり、心の深い部分では公認心理師問題での私の提案がどれほど理解されているか?と言う懸念が、いつもどこかに息づいています。

 神田橋先生の提案どおり、出来るだけ多くの方に「来談者のための治療的面接とは」の本を贈呈するようにしました。
その本は、現代を含めて将来、「この面接を受けて良かった」と思う患者さんが一人でも多くなるためには、どうすればいいか?と言う問いかけと私なりの提案をまとめたものです。

 しかし、贈呈した方には、この本の基本的な大事なテーマをきちんとわかってくださっている方は意外と少なく、そのことに私は驚きました。
亡くなられる前の成瀬先生からのお返事には、「公認心理審査についてもっと話し合いたいですね。」というようなご返事などは珍しくまっとうでした。しかし、多くの方は、「私も馬鹿らしい試験を受けました。また、いっしょに遊びに行きましょう」など的外れもいいところの返信も多く、自分の事を一応かっこにくくり、とりあえず来談者のために何が出来るのか?と言う問いかけ自体が難しいのか、とんちんかんな意見も多々ありました。
治療家を育てる立場で有りながら、意外と来談者の事を手元の問題として考えていない様子に驚きました。
出版社から、本は順調に売れていて、もうすぐ再販する準備をするようにとの連絡がありました。
私の印象ですが、人は多くの場合、××長とかの社会的認知を高めた者は、来談者の立場に立って物事を感じ考えられなくなっていくかもしれません。仮にそうなら、とても哀しい事態です。
私の提案に、とても良く理解されているのは、まだ、若くて心理臨床のただ中にいる方がとても多いような気がします。

 中には、贈呈を受け取ったと言う連絡さえも来ない方もありました。
最初から何となく、想定していましたが、やはり、連絡ぐらいするのが常識とは思っていました。
よほど真意を受け止める心の余裕がないとしか思えません。
私は、彼らについての批判めいた事はしているかもしれませんが、それは、より良き改善の提案の為のものである事は、読めば分かる事で、恐らく目次だけで中身を詳しく読んでないと思います。

 このような人間を無視して、例えば学会で報告するなどして、私の出来る範囲で方法を考えながら、私の提案を進化させたいと思っています。
もしも私の提案に同意されているなら、その思いを大事にして下さい。
多分私の提案が当たり前の提案になるためには、時間が必要だと思っています。
事の大小に関わらず、何事も、改革の歴史を観てみれば、時の賢さを待つ必要があると思っています。