バリのビィラに着いたのが、もう何か月も前のような気がします。
時間がゆつくり過ぎると 年月もゆつくり過ぎ、長く感じられるのでしよう。あさって空港までタクシーに乗り、だんだん繁華街を過ぎる辺りから、心は少しずつ閉じていき、人や情報が多い「文化」への心の準備がされていくのが、よく分かります。
心の笑顔が、どんどん無機質化されていき、誰がどうしているかが無関心になり、どうでもいいことになっていくのです。そして、空港に着いた頃には、自分にとって無意味な人だらけとなり、やがて、物の固まりとなっていくのです。
文化とは、人を無意味化するという犠牲を伴っているのでしよう。
テレビがあり、スマホがあり、ジムがあったとしても、そこには私にとっての貴方が何処にも居りません。あれ程、私にとって貴方だらけのバリのビィラの生活からみると、何と味気ないことでしよう。
幸い、私の場合、友がいて、バイジーがいて、私の面接を待っていてくれている患者さんがいてくれて、その方々が、私と貴方の世界を生きる伴侶となることができるのが、救いのように思えます。
静かな波音が聞こえる夏の夜も、後二日となりました。
直子よりの便り
ヴィラの門を出ると、早朝、青紫の花にたくさんの蝶が来ていました。じっと動かずに見ていると、蝶も警戒しなくなって、私の50㎝ぐらい前まで飛んで来るようになりました。
「ああ、こんなふうにして、蜜を吸っているのね。何だかおいしそう。」と心の中で話しました。
鳥は近づけても5~7メールが限界です。牛は向こうから寄って来ることもあります。ヤモリの大型、トケはベットの裏側まで寄ってきたことがありました。夜には小型のコウモリが2~3メートル近くを飛んだりします。
先日、私の願いが叶って、海側の庭の端からピアワ(コモドドラゴンの小型)の子どもが入って来ました。私達はゲストルームからこっそり見ていたら、メイドのアリさんが「ママ、ママ、どこ?お腹すいたって。」と言いました。20メートル離れた所をウロウロしていなくなりました。
人が当たり前のように住んでいて、動物も当たり前に住んでいて、自然なのにと、ふと思いました。
ところで、私は日本に帰る気があまりしていません。身体がバリに馴染んで元気になっている感じがするせいでしょうか。
どこにいても良いことばかりではありません。実は、アリさんがボニという半分果物みたいなものを持ってきてくたので、少し食べただけなのにお腹を壊し、悪夢のような目に遭いました。1キロ痩せ、回復するのに3日かかりました。けれど、お腹のいろいろな部分が元気に動いていく感覚がよく分かりました。バリにいると、身体の感覚が少しは原始的になるというか、鈍感になってしまった感覚が戻るみたいです。
治療のために足の裏のツボを押してもらいましたが、時間をかけると、どこに響くかが分かってきました。身体の中の回路みたいなものが面白く感じられました。けれど日本に帰ったら、もうこの感覚は薄れると思います。だからこそ、この感覚を忘れないでと、身体が言っているようです。