精神療法家 増井武士のブログ・バリ島日本人自殺予防ヴィラオーナー(レンタル可)

心理臨床の研修会・精神療法外来の陪席・海外のワークショップやバリ島ビーチフロントヴィラの利用のご案内などを掲載します。

バリからの便り ー おおみそか -

2018-12-31 21:20:12 | 日記

 年越しの
 そばに代わりて
 ミーゴレン

 日本では、今頃、年越しそばや紅白歌合戦やらで、バタバタしていることと思います。
こちらは、近所の人が亡くなって、法要をしている横で、個人がパンパンと、しょぼい花火をあげています。
前にも書きましたが、バリでは、お葬式の日は悲しむのでなく、皆が集まってワイワイ、ニコニコしています。
何しろ、お葬式に楽団がつくぐらいですから。
 やっと、苦しいこの世から、何の悩みもないあの世への旅立ちを祝っているかのようです。墓など立てずに燃やしてしまって、そのままです。この世は仮の世で、仮の身体だから、自然に戻してしまうのでしょう。横から見ていると、何だかあっけらかんとして、日本でいう葬式とは、えらい違いなのです。ただ、子どもが亡くなった場合は、「命をまっとうできずにかわいそうだから、火葬はせずに土葬をして、小さな木みたいものを植え、暑いから日傘を立てる。」と、メイドのアリさんが言っていました。
 先ほども、花火の音がポンポンするので、庭に出たら、止まってしまいました。年末などで、年の終わりにお葬式の話となってしまいました。

子どものお墓です。





バリの朝食です。

 
 
 マンゴスティン、ドラゴンフルーツ、パパイヤ、マンゴ、梨、バナナ  ジュースはマンゴとライムのあっさりしたものです。

 直子の便り
 
 きょうの昼間、おとなしいメイドのアリさんが庭の方を見ていて、急に悲鳴をあげました。
 私が「なに、なに。」と叫ぶと、海の方を指さし、「クロコダイル、クロコダイル」と叫んでいました。よく見ると、海側から1メートルぐらいのクロコダイルがこちら側に向かって、ごそごそ来ていました。私がアリさんより大きな悲鳴をあげました。次の瞬間、怖くても写真を撮らなくちゃと思って、そろりそろりと近づいて行くと、プールの機械室の横にいたハウスキーパーのダンデイさんが「オオ。」と叫んだら、アッと言う間にクロコダイルは逃げていきました。私が残念がっていたら、アリさんが手招きしてくれて、隣の空き地の草むらにいるのを見つけてくれました。私が喜んで写真を撮ろうとしたら、クロコダイルは突然、身体を伏せ、動かなくなりました。アリさんがクスッと笑って、「昼寝、昼寝、おやすみなさい。」と言ったので、私も諦めて、二人で「ダダ(バイバイ)」と言って帰りました。そして、アリさんが「キラキラ、ママ。(おそらく、お母さんよ。)」と言ったので、私は「アリさん、分かる?すごいね。」と言ったら、「サヤ、ルパ(私、忘れてた。)」と言い、おととい、15センチぐらいのクロコダイルの赤ちゃんがプールに水を飲みに来ていたらしいのです。何故、私に教えてくれなかったのと言うと、また、笑って、「サヤ、ルパ」と、また言っていました。それで、今度は私が「キラキラ、パパいるよ。」と言ったら、アリさんが少し考えて、「そうそう。」と言って、「後で、後で、クロコダイルがいっぱい増えて、どんどん大きくなって、直子を食べるよ。」と、ケラケラ笑いだしました。「直子、ダメ。先生のポッチャリお腹だけ、マカン(食べる)OK。」と私がいうと、皆が大笑いしました。
 ヌルルさんが「正確には、クロコダイルではなく、コモドドラゴンで、バリでは、ピアワと言って、そんなに大きくならずに沼に住み、魚や鳥を食べ、人間は食べない。」と教えてくれました。
 アリさんも生れて初めて、ピアワを見たそうです。おとぎ話のような毎日です。

バリからの便りーブールについて

2018-12-30 20:44:32 | 日記



バリに来て私は太りましたので日本にいる時のように1キロ泳ぐことにしました。
ところがビィラのブールは15メーターぐらいしかないのです。ですから4~50回往復しないといけません。
泳ぎながらも回数を覚えようとすると、回が重なると忘れてしまいます。ですから小石を拾い、その数を数えるようにしましたが、今度は、その小石を1つずつ横に置くことを忘れて泳ぎに専念してしまいます。
だから細かなところはもういいと思い、だいたいの数の石を横に置くのです。
また、久しぶりのブールですから、バキュームを入れて、ブールの下に溜った、ぬめりを綺麗に取りました。
明日からは、少しずつでも運動して体重を下げることにしました。


バリからの便り - 蝉しぐれ -

2018-12-29 21:40:34 | 日記
 



日本では年末の賑わいのただ中でしょう。バリは夏の真ん中です。

 蝉しぐれ
 黄昏 7時の
 神の国

 バリのこのシーズン、夏の午後、ちょうど7時になると決まったように、庭の大きな木々から蝉が鳴きだします。時計の針を狙いすましたかのように、毎日、ちょうど7時です。たった数分の違いしかありません。きょうは機嫌がいいのか、たくさんの蝉が、競い合うように鳴いていました。
 日本の蝉のように心に染み入るように鳴くのではなく、バリの蝉の鳴き方は、もっと雑で、7時だから仕方がないから鳴いてやろう、というどこか、ガラガラ声でやけっぱちな鳴き方です。
愛想がない鳴き方で、聞いている方もやけになる頃合いを見計らってか、ぴったり鳴きやみます。
 ところで、台所の洗い場の外側に、鳥の巣とひな鳥を二羽見つけました。見ていると、心の産毛がふさふさするような光景です。
また、他日、報告しようと、思います。家に鳥の巣ができたら、幸福を招くという言い伝えは、バリも日本も同じようです。


 

ガルンガンの日です。

2018-12-27 20:46:51 | 日記


たまたまバリに着いた日の翌日は、ガルンガンという、日本で言えばお盆のような祭日でした。祖先の霊がこの世に戻ってくる日で、10日後のあの世にかえる日はクニンガンという祭事が行われます。このヴィラにも石仏が二つあり、メイドのアリさん一家が手作りのお菓子やお供え物を持って来てくれました。
この日はどの店も休みで、子どもから大人まで正装でバイクに乗り、次から次へとお寺に向かって行きます。その姿を一目見ようと自転車で出かけた直子に、たくさんの人達が親しい友人に会うように「ハロー!」「こんにちは。」「お元気ですか?」と声をかけてくれたそうです。底知れぬあの笑顔は、いったい、何処からくるの?と、直子は言っていました。
バリの人びとは、信仰とともに生きているようです。

直子からのバリの便りです。







 ガルンガンのお供え物は、もち米を蒸して四角にかたどった餅のようなものや、薄茶色のこうさく菓子、黒米で作った甘酒をバナナの皮に包んだものなど、手作りの品に加え、いつものお花を入れたチャナン、聖水、お香です。皆の幸福と健康などの願いを込め、短い念仏を唱えます。それぞれの家に、高い竹の棒にヤシの葉や花で飾り付けをしたペンジョールを建て、それらが風に揺れ、霊を招いているかのようです。船や車、バイクにも、その日は特別なチャナンが飾られます。このヴィラの少し内側に流れる大きな川には、たくさんの立派な船が係留しています。普段からカラフルに彩られた船が、すべて一層、美しく飾られていたので驚きました。
ふと、七夕やお正月飾りが少しずつ減ってきている日本のことを思い出しました。昔から何も変わらない共通の平和な信仰は、平穏さと幸福な心を育んでいるように思いました。私の場合も含め、合理性や経済で、信仰や宗教のしきたりを考えるすきが出てきたら、もう既に信仰ではなくなっているのかもしれないと思いました。
 正装では、額と首元の真ん中に、聖水を浸したお米を数粒つけ、耳に花をはさみます。男女問わず、みんながそうします。お米によって生かられている感謝の思いがあるからだそうです。お供えが終わった花を耳に飾るのは、美しい花のおすそ分けみたいです。一つ一つの有り様に、心が洗われていきます。




バリからの便り

2018-12-26 17:47:42 | 日記
 



ささやかな夕食も終え、夕凪から夜のそよ風に変わっています。
ライトアップされた木々と広い芝生の庭の向こうの海の波風しか聞こえません。屋根付きの広い濡れ縁はリビングのつながりになっていて、それに沿うようにプールがあり、そこの長椅子に横たわりながら、一昨日までの喧騒はどこの世界なのかと思い、ブログを書いています。
 昨日、昼過ぎに日本を出て、正確には、きょうの真夜中、飛行機のスタッフから「メリークリスマス」と声かけられたデンパサール空港の人の大波はすごいものでした。空港の入国手続き場を10か所ほどフル稼働させても、人の洪水がきりの穴から流れるような様子でした。
 今、バカンスシーズンの真っ盛りということで、さすがの忍耐強い迎えのドライバーも待ちくたびれが顔ににじみ出ていました。
 きょうの明け方にヴィラに着き、ひと眠りして、くたびれのために、いつものバリマッサージ師に来てもらい、丁寧なマッサージを受けました。
 こうもりが飛び交う夕凪を経て、静かな波音が聞こえる夕食を終えると、もう、あの喧騒が何日か前のことのように思われました。
 年の瀬の
 せわしさ嫌い
 神の国
 日本のテレビや車は、もうどこに行ったのか?という一日でした。
 途中から参加される方も事情で参加されず、私は、明日からプールや海に出ようと思います。
 バリは今、夏の盛りです。

 12月25日 20時の報告です。