精神療法家 増井武士のブログ・バリ島日本人自殺予防ヴィラオーナー(レンタル可)

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院生時代の私の臨床実習体験(1)

2019-06-29 19:25:12 | 日記
 
 指針、どこに向かうか、どう向かうか の舵取りが大事です。

 ここで食い止めなければ。ここが最後の砦なのだ。
私が食い止めなければ誰がこれをできると言うのか?  という心境

 この頃、初心に戻ると言うか、初心者になったつもりで仕事をしようとするためか、ずいぶん前に、はじめて実習した時の事などをよく思い出します。それが今までの私の心理臨床の心がけや中軸にとても影響していると思うからです。それで、その時の体験などを示したいと思います。

 私が大学院に入って本格的な外部への実習が始まりました。修士課程1年目の初めての校外実習は、九州大学医学部の付属病院の小児科でした。週に1日だったと思います。
 はじめての時、責任者に当たる外来部長のような先生がわざわざ私一人のために説明に来られ、その説明が私のそれからの臨床上、忘れられない言葉となりました。
その先生は、
「ここに来る患者さんは、ここが最後の砦と思って来ていますから、貴方もその気持ちをを受け取って、最後の砦と思い仕事をするように」と言われました。
 決して実習などと言う、いい加減なものではありませんでした。
大学病院と言う所は、それ自体が、すべてが患者さんにとり、最高の治療的な実践を求められているのです。
 私の場合、いい加減な、居ても居なくてもいいような無責任な実習などとはかけ離れたもので、大学病院のスタッフの一員としての責任と義務付けをきちんとされたものでした。
さほど余り考えなくても判る事ですが、患者さんにとっては、実習などと言う概念は、ポリクリと言う医学部学生の見学的なもの以外は、すべてが治療的な体験なのです。大学病院の内なる誇りと権威は、
「ここで駄目なら後はない」と言う自負の念とそれに対応できる臨床能力です。患者さんにとっては、大学病院のすべてが最高の治療的な体験である事を期待していて、また、ある患者さんにとっては、いろいろな病院を巡り、最後の砦として期待している方ばかりかもしれないのです。
この言葉は、私にはとても堪えました。
だから、徹底的に、小児科に関するあらゆる心理検査を何度も練習しました。ロールシャツハに至っては、子供用として刺激図面を五枚に減らし、その採点と解釈を10枚の物と比較して、特徴をはっきり言える事やおぼろげな事など明確にしてきました。また、1枚目で終わる場合、1枚目と全体の関係など調べ上げられるだけ調べたり、あらゆる事態に備えるために、ずいぶん沢山の学生や院生の被験者としての協力願いをしました。
 プレイセラピーなどの基本的な理論はプレイセラピストの書いたものより、ロジャースの論文に頼りました。どこか素直に私の心の芯に伝わって来たからです。
また、箱庭などだけでなく、野球用のグローブやバットなども運び込み、プレイの幅をずいぶん広くて自由にしました。

今から考えると、若い医局の先生方は、皆さんが当時から集団部屋で仕事をしていました。それなのに、私がある部屋を与えられたと言う事は、別格の扱いであり、それだけ数段高い臨床能力を持ち、仕事遂行達成能力を持つのは、当然のことと言えます。

 その言葉の重さと、神田橋先生がいつも言う
「心理臨床の仕事は常に、その回で終わってもやり残しがひとつもなく、やれるだけの事をして、うてるだけの手をすべてうって置くことです。」と言う言葉が重なりました。

今、振り返ってみても、この二つの言葉が私の心理臨床の基礎の基礎を作りあげていたと、つくづく思います。

この二つの言葉と私とが重なりあい、いつしか
「私が最後の砦であり、私以上にこの患者さんと向き会える者は、誰もいない」という心の奥深いところでの思いとなって、また心理臨床の核となっております。

 これは、自負とか過信でなく、事実、
「貴方の事をこれ以上正確に理解しようと思い、また正確に理解しているのは、この私以外に誰がいますか?
また、私以外に誰が出来ますか?」という気持ちが、私はどの患者さんに対してもはっきりあるからです。
そして、誰にもその気持ちを言わない強い自分との契約であり、自分との、そうでなければならないという強い約束があるからです。

実際、私が邪魔くさいと言う事で諦めると、その代わりに私以上にその患者さんと関われる替わりの治療者は誰もいないと、私は思うのです。
そして、私自身、100%までとは行かないにしても、受け持つ患者さんの9割以上は、その契約を私はきちんと履行していき、患者さんにとってそれなりの治療的な達成と満足感を得ているように思います。
 他人が聞けば、嫌な程、過信と自惚れに満ちたような心境に思われるかもしれませんが、私にはとても必要な自分との契約であり、心理臨床家の軸になっている事は確かな事実です。
 これは、無理して気張っているのでなく、ごく自然に私の内に生まれてくる心情です。事実、私以上にこの患者さんの正確な理解と理解されたという満足度を与えられる、ほかのセラピストが一人も居ないと私が思える程、患者さんのいのちのレベルからの理解は、ケースに魂といのちを吹き込むのです。
 ひょっとしてか確かなのかわかりませんが、この最後の砦と言う言葉に出来ない心の深い深いところでの強い私自身の自覚が、患者さんにとって信頼の基盤を作っているのかもしれません。
  
  つづく


「来談者のための治療的面接とは」の本を読んだ方から、感想が届いています。

2019-06-26 21:20:53 | 日記
 

 (バリのヴィラの玄関前の広場にいる子牛です。鹿ではありません。直子とは仲良しで、たまに勝手にヴィラの庭に入って来ます。)

 「来談者のための治療的面接とは」の本の感想などが届いていますので、今回は三名の方の感想を紹介します。
掲載については、承諾を得ています。感想、有り難うございます。

バイジーの女性 Aさんより

 今日もバイズありがとうございました。
あの後、先生の本を読みたくなり、近くの喫茶店に寄り、今読み終わりました。
帰って夕飯の支度をしないと、と思いながら止められず、一気に読みました。
うまく言葉にできませんが、この本を読めてよかったです。
最初から最後まで続けて本を読んだのは久しぶりでした。
私は、先生に出会えて本当によかったと思いました!!
また明日からの仕事も空回りにならないよう、楽しみです。

関東の男性 Bさんより

 恐縮ながら、純粋に面白く、そして「自己学の爆発・ルネッサンスだぁ~」というのが全体的な感想です。
あと、偶然にも…私が直接、先生にお会いする前に…書籍の中でお会いした順序が、新刊の章の順序に近く…勝手に喜んでます。
それは講談社の「迷う心の整理学」と「職場の心の処方箋」を通して、(恐縮ながら)その後、確信を持って全ての書籍を読もうという動機が芽生え…まず「自己学」次に「技法の自己促進的と自己補完的」の概念が・・・私に刺さったことが「会ってみたい・・・」という引き金でした。
つまりは、一般的な読者も・・・そういう流れだと理解・納得して、進めるのかと…(勝手ながらに)私も思いました。
その一方で、ことばだけの面接で完結しているレベルの読者兼心理士たちが、どこまで理解できるのかなぁ~という疑問とともに期待している面もあります。
それは、自分自身がことばだけの面接の壁や限界にさしかかってからの…先生や先生の書籍の出会いだったからです。何人かの知り合いにLINEで勧めると、「いい本なの?」「おすすめポイントは何ですか?」「そんなためになるの?」などとあり、私の返答が<面白い!…正直、体験の蓄積次第と返していたからでもあります。
(以下、内容についての細かい感想などが続きますので、省略させて頂きます。)

関東から集中講義を受けに来られた男性 Cさん

集中講義ですが、後述するように理論や方法に頼りがちな私にはカウンセリング指導を見られたことが、こころを聴くことへの道を少し開いてくれたように思います。PCAGIP臨床版は村山先生のPCAGIPの方法を踏襲するだけだった私にとって吟味するきっかけをくださいました。テープは聴くことが難しかったのですが、解説で理論と実践が密接に結ばれているため、何かしら私の糧になったように思います。ワーク、PCAGIP臨床版、テープにある臨床、いずれも馴染むに遠いため、馴染むように、臨床で用いれるように、今後も増井先生より学んで、盗み取っていきたいと思いました。

次に箇条書きに『来談者のための治療的面接とは』の感想を述べます。
本物の臨床家は、治療や満足度の観点から自身の面接を検討しているのだと思いました。(成瀬先生が以前私に、京大の教員は治療をする気がないのでは、と言われていたことが思い出されます。)
時給制ではなく能力給である方が好ましいと思いました。偏見ですが、日本の来談者は資格の有無で判断してしまい、口コミ・評判などに思い至るまでに来談者への被害が拡大しそうに思いました。試験問題の改変もですが、自然に淘汰される仕組みも必要に思いました。
質の低下や対応策としての提案は、私自身の実感に合い、多少なりとも行っている私へのエールのように見え、とても有難い気持ちになりました。
臨床家の成長についてはまだ詳しくわからないのですが、現時点の私としては早く行き詰まり、そこから先に(原点に戻る?)進むことを続けることのように思っています。
理論や方法で心不足を補う輩ではないかという思いがありますが、今後も修行していきたいと思います。
本当にありがとうございました。今後もどうぞ宜しくお願い致します。
                    
 感想は以上です。
                
感想は、葉書きや手紙など他にもいろいろあるので、ぼちぼち紹介していきたいと思います。

 




やっと一息つきそうな近況報告です。

2019-06-19 16:49:40 | 日記
◎やっと1段落着きそうです。

 皆さんお元気ですか。私は仕事の付けが来たのか、また寒気がしたりで、時々点滴を受けたりしていますが、身体のダルサはなく、ボチボチです。
 東亜大学院の集中講義がありますか、これは、プレイセラピーのつもりで、かえって楽しみにしています。

 今回発刊した「来談者のための治療的面接とは」の出版物ですが、神田橋先生が「あの本を多くの人に読んで貰うのは社会的使命です」ともメールを下さいました。

 確かに、書きたいと言うより、誰かが書かなくては…と言う思いが強くて、それも、骨身を削る思いとなったようです。
 だから、あちこちに本を送り、あちこちにメールして、私のわりにはよく働きました。

◎やはり、素顔の私の遊び好きが出て来ています。

 私の持論ですが、良く働いたら良く遊ぶ、と言う自然な流れです。
 仕事と遊びの間の壁が薄くなるのは怖いものです。仕事をするためには、その基礎の健康が大切なように、また健康を害する仕事をしないようにあたかも、神様が与えてくれた一つの知恵と私は考えています。
 仕事を大事にするように、私は遊びを大事にします。そして、働いたお金をどんどん使います。

 私の遊びは知ってのとおり、クルージングヨットでした。それはブログで写真や文章に書いたようにです。クルーズヨットはもう体力的にキツイので売り払いました。
 しかし、最近、モータークルーザーなら、エンジンだけで動くから体力的に良いかなと思い、以前から船のクルー(手伝い)をしてくれてる友達と相談していました。
 グランドバンクスと言う有名なクルーズボートが欲しくて、買いにかかったのです。しかし、肝心の船の係船場所がなくて、悔しい想いをしています。


(グランドバンクスの外見です。)

 そのボートは有名なクルーズボートで、、パソコンで調べても載ってると思いますが、割合高いのです。遊びにかかるお金には、もともと無頓着な人間が言うのだから、相当なのです。
 ブログでバリ島のヴィラにリース可能と言う見出だしの意味が解るでしょう?

 私の今の夢は、そのボートのキャビンの中で、夜遅く家出して、良いコンポと良い4スピーカーをつけて、好きな音楽を静かな海の上で聴く事です。そして、バリ島から持ち帰ったルアックコーヒーを飲みながら、研ぎ澄ましたような安らいだ時間を持つ事です。


 (グランドバンクスのキャビンの前方の一部です。後部に階段があり、大きなベッドルームがあり、中央の両サイドにもソフア兼ベッドがあり、4~5人は泊まれます。)

 ルアックコーヒーって知ってますか?。それはとっても高いコーヒーで、日本では、1杯3~5千円で飲めます。バリ島の名産品で、バリに行った時に、原価は割合安いので沢山買ってきます。そして、私の家にバイズにくる人で、とても成長している人にご褒美に時々出してるのを知らないでしょう?
 今度から、わざわざルアックですよ、と伝えましようか?

◎家のオーディオルームでゆっくりしています。

 ちなみに、私の家に来た人は、大きなサンルームの近くに別の部屋があるのを知っていると思います。あそこは、お客さんの接待部屋で宿泊室をかねた私の書斎とオーディオルームです。
 暖かくなると、今までは、どうしても船の中で音楽を聴きたくなり船に行ってました。しかし、前に書いたように、今はクルーズヨットを売って、船はなくて、その代わりのように安げるような部屋にしています。

◎今度興味ある方は好きなCDを持ってきてください。

 その部屋のオーディオプレーヤーやスピーカーは、自分で言うのもおかしいですが、立派なものです。私の趣味の一つの音楽を聴く為のものです。
 随分昔、大枚をはたいて買った5スピーカーのものです。それを物入れから持ち出して、セットアップしたら、もとに近く復元した物です。その音は、やはり、今のオーディオシステムでは聞けないようなすごく良い音を出しています。ケンウッドのものです。
 低音のベースとなるひどく重いスピーカーは、ボリュームをあげると部屋がどんどんと揺れるようです。
 家に来た人は知っていると思いますが、家の庭が広くて周りは山だから、夜中にボリュームをあげてトランペットなどを聴くと、空まで音が届くようで、気持ちがとても伸びやかになります。
 ちなみに、船村徹と言う、昔、有名な演歌の作曲家自身が自分の書いた曲を歌っているCDを買う事が出来て、それをボリュームをあげて聴いていると、中々味があります。
私の好きな音楽は、演歌からクラシック、マンボ、タンゴ、南米音楽まで多様で、世界一周の船旅で、いろいろな国のCDを買ってきました。中でもルーマニアの教会で聞いた讃美歌のCDなどは絶品です。
 また、バッハの全集を持っているぐらいですかr、バロックは良いです。
その上、私の寝室には5、1サウンドのパイオニアの6個スピーカーがあるものです。今ベートーベンの第9を聞きながら、ブログを書いています。
 直子は文句ひとつ言わず、すやすや寝入っています。良く出来た奴とつくづく思います。

◎この夏も7月にバリ島にいきます。

 また、今年も日本の夏の蒸し暑いのを避けて、バリ島は冬にあたり過ごしやすいので7月 20日位から、1ヶ月近く、昔からセンスが良かったバイジーの方と一緒にバリ島にいきます。今からでも行きたい方は連絡ください。

 ボチボチ遊ぶ素顔の自分がかえって来たようなのでお伝えします。

◎神田橋全集の昔の書き物を読んでます。

 神田橋先生の「治療のこころ」という本の昔の3巻を読んでいると、まるで私が書いているような錯覚が起こる程、考えが似ていて、少しビックリしたりです。しかし、これは良く考えると当たり前の事で、そのように教わり、私なりのものに吸収したからでしょう。
 ボチボチ、遊び好きの素顔が大切だという感覚が出て来てるのを感じます。
 大事にしたい感覚と思います。
 この文章を最後まで読んでくれた方は、精神的に健康な方だと思います。

 つらつら必要な無駄を綴りました。

近況報告です。

2019-06-14 21:32:30 | 日記
最近は体調不良なく前の状態は一体なんだった?
と言う具合です。それほど自分の書いたあの出版物で気を揉んでいたようです。本が出来た時点から、あれまで寒気やダルサで毎日のように点滴受けていたな事態は嘘のように、きょうもサウナとプールで1キロ位泳ぎました。
これまで風呂さえも入ると、その後寒気がやって来て、やはり年かと諦めた気持ちでした。本当に今回発刊した本は、文字どおり、骨身を削る思いをしながらでした。
神田橋先生から
「あの本を読んで貰うのは、社会的使命です」と言われ、また、真面目に考え、やはり、日本の心理臨床のこれからを考えると、私なりにしなければならない事が次々に浮かんできます。
また、今日、先生から本の誤字脱字を示し校正してくれたものさえ届けて貰い、本当に有り難く、ついつい昔を思い出しました。
まだスーパーバイズ中の昔、論文の原稿を持って相談に行くと、次の週には、いっぱい赤字で書き入れてくれた事を、また思い出しました。
皆さんも良い出会いに巡られたら、と思いますが、それには自分が良いと思う人に、自分から手紙を書くなりして、自分が動く癖をつけてください。
先週50冊あった本は、もう無くなりました。
出版社に本を送ってくださいというメールを入れましたが、まだ返事は来てません。
いずれ、どこかの学会で報告しようと思っています。
最近の報告までです。

陪席でのお知らせと集中講義のオブザーバー参加許可の方に

2019-06-13 20:47:46 | 日記
最近陪席を希望される方が徐々に増えましたので、新たな陪席の決まり事をお知らせします。
1、陪席は無論お客様ではありませんので、これから陪席される方は、カルテ記入に協力してください。逐語的ではなくだいたいの要旨だけで結構です。
5~6行だけでも結構です。保険の請求の為に協力お願いします。

2、白衣をお持ちの方は持参してください。お持ちでない方はお貸しします。
私は私服でやりますが、陪席の方は専門家の方が患者さんは比較的安心するようです。
ちなみに神田橋先生の陪席もそうしているようです。

3私は病院から御礼をいただいているので、陪席は無論無料ですが、お世話になっている院長と事務室の方に余り高価なものでなく、適当なお菓子なりを御礼として、ご持参ください。特に事務室の方は、アラレとか皆で分けられる物がいいと思います。関東、関西から来られる方は、お土産までは無理なようでしたら結構です。
以上よろしくお願いします。

追伸
 遠方や初めての方で集中講義のオブザーバー参加OKと連絡したの方は、集中講義の一つのテーマに今回発刊された

「来談者のための治療的面接とは ー心理臨床の「質」と公認資格を考えるー」
遠見書房(東京)増井武士
をひとつのテーマとして取り上げたいと思います。集中講義までに、読んで置くようにしてください。集中講義の中でその時間を取るのは、少し時間がもったいない気がしますので、連絡しておきます。