精神療法家 増井武士のブログ・バリ島日本人自殺予防ヴィラオーナー(レンタル可)

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今の家や土地探しの楽しい苦労話 (1)

2019-07-13 22:37:11 | 日記

以前書いたオーデオルームの前のテラスの朝顔です。

芦屋町のこの家は全て私の設計です。だいたい自分が住む家を自分が納得するまで考えて、建てるのが当たり前と思います。設計士などにグタグタ言って高い設計料金を払うのは、基本的な意味で無責任と思うのです。
そんなポリシーと私なりに考え尽くして、最も賢い方法は設計した建築を材木の卸し問屋に依頼することでした。なぜなら、ほかの住宅会社では、木材をパネル化したりして、本格的な木材を使おうとしない所も多いのです。もし骨組みをしっかりした木材で作ろうとすると、とても予算は高くなるからです。
そこでゆっくり良く考えてみて、ふと思い付いたのが、木材を多く抱えている、できるだけ大きな材木問屋です。大工が仕入れに来るぐらいですから、良い木材が安く手に入ると考えました。だから材木問屋に、「住宅建築もするか?」と聞くとだいたい建築家と知り合いなので請け合うのです。
私の家はそのようにして建てられました。

 ● 基礎のフレームの大切さ

 私は船と車が好きです。船でも車でも一緒ですが、外見的に如何にダメでも、フレームと言う骨組みさえしっかりしていると、後の外観などの作業はやり易くて可能です。船の場合でも一緒ですが、このフレームがサビとか浸水で弱くなっていると手の着けようが難しいのです。
 家も同じです。そして私は家に使う柱や張りの木材まで検分にいきました。
皆さんは我が家の居間の真ん中が横幅1mぐらい凸んでいるのを知らないと思いますが、それは、45度勾配の屋根の重さをしっかり支える為には、並の張りでは心もとないので、赤松の太い張りを二本使うために天井の真ん中がとび出てしまうのを隠すために、デサインをかねて作ったからです。

 ● 私は「出来ない」と言うセリフや言葉はとても嫌いです。

 一度、出来ないと思ってしまうと、できることもできなくなるからです。その考え方を大切にするのは、夢は現実を支え、現実は夢に支えられている事を自分の生き方で良く知っているからです。空想でもいいから、できることと、できた場面を想い続けることが大事です。
夢など、直ぐに出来ない事だらけですが、こんな家を建てたいと思い続ける事が、そんな家を建てる最も速い近道だと思いながら生きてきました。船でもバリのヴィラもそうです。

随分前の話ですが、一緒に作業をする中で直子は、割と簡単に「それは出来ない。」と言っていました。私は徹底的に、やってみない限り、「出来ない」と言うのを禁止しました。それで結局、そこそこヨットを操れ、電動ドリルやコンクリートミキサーさえも使えるようになりました。それも意外と上手く、時には楽しそうにしています。今では、出来ないとは言いたくもないというくらいの意思を感じることもあります。軟弱な直子がここまで変わるとは、思ってもいませんでした。人は変われるものです。

 ● 家の設計に至るまで


 この家の設計に至るまでに3年以上、調査を楽しみました。いわゆるモデルハウスの展示があれば、片っ端から調査を始めるのです。
よく子供と遊ぶのをかねて一緒に連れていきました。そして、いつしかモデルハウスの見学が趣味のようになる程、見て回りました。事実、各社が意向を凝らした作りを見て、私は設計図面と照らし合わせて見ると図面だけで、だいたいの現実的な空間がイメージできるようになりました。店員さんとの話し合いも参考になり、面白かったのです。また、見学時に子ども連れだったのでいろいろな土産ものをいっぱい貰え、子どもも喜んでいました。これこそ、趣味と実益を兼ねています。
 一度ミサワホームで建てようと思いましたが、やっぱり見てくれはまあまあ良かったのですが、もっと、しっくりしっかりした、ぱっとした家がないかと思い、断わりました。
45年ほど前、日本ホームスと言う会社が、しきりに、吹き抜け形式を使ったモデルハウスがあり、その吹き抜けは参考にまりました。私の家の外観と吹き抜けの構造は写真のとおりです。家の特徴は家全体がH型のものになっている事です。その形は鉄道のレール線からヒントを得ました。多分その形は耐震性に優れていると考えたのです。
また、写真のように、家に入った時に広い空間を感じるために、玄関口すべてを吹き抜けにしました。それは注文住宅でしか出来ないことでした。それに、どの部屋も二面以上窓があって、家の全体像として、窓が同型で左右対称であることなど、私にとって閉塞感がなく、すっきりしていることがとても重要な要件でした。


建築屋さんは、H型の家で屋根の勾配が45度の家と大きな吹き抜けを持っている家は、今でも新しいスタイルと言います。
また注文住宅の場合、天井の高さを通常のゲージよりも高くできるメリットもあり、我が家の天井は普通の作りより、30センチくらい高く、結果的に空間は広くなりました。
また、長年家全体を新しい感じにする為には、メンテナンスや家の化粧直しは必ず必要です。その時、必ず2液性のエホキシの塗料を使い、塗料だけで硬化してしっかり膜を張るものを使っています。
 無論このメンテナンスの見積もりも行きつけの私なりの方法をよく理解したところに、全て含めていくらで、と言う事でやっています。

 ● 家のテーマとコンセプトをしっかり持つ事

 家は住めれば良いところと私は考えません。ちなみにバリ島のヴィラのテーマは、
「明日も生きよう」ということで、具体的には気の通りと見通しの良さと居心地良さでした。
そのイメージを具体的な設計図面にする為に何時間つぶやしたかわかりませんが、楽しくワクワクする時間でもありました。
 この家は比較的敷地が広いので、港に係留しているしっかりした船というテーマでした。
広い庭は全て海に見立てた芝生として、家やその内装はヨットのキャビンと同じように、焦げ茶色の腰板とオフホワイトの壁で全てを統一しました。
また庭の右奥のところが島に見立てて、少し土を盛り上げて、比較的大きなソテツのような高い木々を集めました。
その芝生も、よい土をダンプで運んだ以外、土慣らしから芝生選びと芝生植えはすべて私の手仕事でした。こんな風にしたいという夢は楽しい仕事になります。
直子の実家の煉瓦の家も、全部私の設計です。玄人の設計家が唸るような出来栄えです。
写真が出てきたから載せておきます。この時も、直子に家のことだと他人任せにせず、とことん、自分の頭で考え調べ、図面を書くように言いました。二人で、何度徹夜したか分かりません。


 バリ島のヴィラも私が心を注いだものです。私は元来自分の納得したものを作り出すのが性格的にか基本的に好きなのです。
小さな頃、大工道具一式を買ってもらった嬉しさが忘れられません。そして、女中さんか誰かが掃除のために部屋に入ると、沢山のビー玉が頭の上に落ちるような仕掛けを作って楽しんだりしました。井戸端で、大工道具で夜遅くまで夢中になって工作したりすることが頻繁にありました。
母さんが「夜遅いからもう止めて寝なさい」と言うと、父さんが小さな声で「好きなようにさせてやれ」とつぶやいていた事を不思議な程、今でもはっきり覚えています。


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