霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

あの世の倍返しとは「何」?

2013年11月30日 | 心霊現象
この世の倍返しは、TVドラマなどで充分学ばれたでしょうから、それでいいとして・・・。
これからのお話は、「あの世」における罪の償(つぐな)い方の事です。
結論から申し上げれば、それは「三つ」あると申し上げましょう。


ここで思い出していただきたい話がある。
かつてブログに書いた「尼子経久」の娘、『照姫(てるひめ)』が語るあの世からの言葉を、覚えておいでだろうか。
尼子経久って誰?、と思われる方は、是非検索されたし。
話を急ぎます。
ある夫婦の因縁解きの結果である。最近どうも二人の間がしっくりいかない。
どこに原因があるんでしょうねぇ~、ということから夫婦それぞれの守護霊降霊が試みられた。
そこで奥さんの守護霊が、尼子経久の娘『照姫』と分かったのだ。
奥さんはその時、内心「やったぁ!」と思ったそうである。
「わたしの守護霊は、お姫様かぁ」(偉いんだ~)と、反射的に解釈した。
そして次々に語られる「彼女」の霊界での立場は、実に難儀なものだった。
出雲・山陰の覇者となった「尼子一族」。さらに経久の時代は、その勢力は頂点に達した頃だった。
飛ぶ鳥を落とす勢いの一族の「姫」としての「くらしぶり」は、凡人にはとうてい分からない程のものだった。たとえれば、姫様付の「腰元(こしもと)」とでもいうのか、身の回りの世話をする人が、300人近くもいたという。
蝶よ花よと育てられた「その人物」が、霊界でも「そう」だったのか・・・?。
否、否だった。「それ」がかえって「アダ」となった。霊界において「引っかかった」のだ。
引っかかるとは、何か?・・・。
償いの対象になるということである。
それも「三倍返し」だった。
彼女は言う。
「人に仕えられた者は、それを今度は三倍にして仕えなければ、この世(霊界)では許されぬ。心が痛いのだ。だから、あなたに是非お願いする。わらわと共に、その罪の償いをやってほしい。
回りの人を見たら、心から仕えてほしい。その態度を終生尽くすことで、わらわの罪深さは、和らぐ。ゆめゆめ人から仕えてもらおうなど、思ってはならぬ。・・・」と。
親の権勢をほしいままにし、一族の盛んな「今」を身を持って味わい尽くし、人としても「頂点」にあるかのような錯覚の上での「やりたい放題」は、あの世で己が身に降りかかってきたのだ。
霊界とは、そういうところであると思召せ。

さて、彼女・照姫はその行動を、「三倍」に感じたほど辛かったのだろう。
確かに、300人に「かしずかれた」日々は、その倍返しですら気が遠くなるのに、三倍返しとは・・・。
あの世の償いの方法としては、三つあると申し上げた。
照姫のように倍、あるいは三倍あるいは「半沢直樹」のように100倍返しという方法。
罪が何倍にも加算されてくる、という形が一つある。最も大きな価値をもって代償する方法になる。
あと一つは同じ程度で償う方法である。
「モーセの十戒」の時代、人は「目には目を、歯には歯を」の法律で裁かれたのだ。
霊界でも同じである。同じ形・程度で償う道がある。
さて最後の一つは、同じ「罪」でも軽くして償う方法である。
それには「許し」がなければ、成立しない。
神の許しか、キリストの許しか、一国の許しか、一族の許しか・・・。
とにかく「許し」によって軽減された罪滅ぼしがあるのである。
これは天法の範囲であれば、地上の法で決定できるようなものではない。
その罪が「大きい」か、「深い」か、はたまた度を超えたものであるかによるだろう。
「情状酌量の余地」など、地上人が計算してはじき出せるものではないと知る。


まさかの事が、今起きている。
しかし、「あの世」からすれば「まさか」はない。当然おきて、しかるべきなのだ。
霊的に鈍った現代人が、思ってもみない時に、その事が目の前に起きて「驚愕」するだけのことなのだ。「起こるべき種」を植えたことを、忘れているだけの話である。
事が「偶然」に起こったとしか見れない人には、日々が驚愕の連続だろう。
明日は我が身と思って、気を付けるしか「すべ」を知らない。
そのダンから日常をみれば、全てが「恐怖」以外のなにものでもない。
「あー、今日も無事で家族そろって終わることができる~」と。しかし、明日もそうだという保証はどこにもない。
必然がもしあるとしたら・・・、私達は早くそこに目を向けるべきである。
「あの世」からの倍返しが、どんな形で地上に降りてくるのか・・・?。



最近まれに見る天体ショーだと、こぞって楽しみにしていた「彗星たち」は、夜明けの空にその尾を引こうと、あっと驚く消え方をしょうといいではないか。
今の私達にとっては、見え隠れするが間違いなく現実にいずれ訪れる「霊界からの倍返し」や、あの世へいって味わう「三倍返し」をこそ、気にしてしかるべきである。
とにかくも、人が自分に腰を低くし、仕える風をみせたら~、おっとどっこい、そうは問屋が卸しゃあしませんぞ!とばかりに、「わたし」はもっと腰を低くして相対していこうではありませんか。
『実れば実るほど、頭を垂れる稲穂かな』とか、『能ある鷹は爪を隠す』なーんていいますけど、今の世には、そぐわなくなった様な気がしていました。が、あながちそうでもないみたいですよ~。


今日のこの内容もまた、「七つの封印の巻物」の一つでもあり、是非にお知らせいたしたく書いた次第でございます。

♪ あなたの過去など 知りたくないの~、という歌が流行りましたね。
私から言わせれば、「あなたの過去こそ、知りたいの~」という事になります。
何と夢も希望もない!とおっしゃいますな。
これが現実、いや「真理」なのですよ・・・。





1 コメント

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Unknown (mira1965)
2014-04-17 19:19:57
数日前に、今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」を惰性でぼんやりとみていましたら、
「尼子氏」という言葉が登場しました。そのとき、少々興味そそられ
再びあなた様のブログの
バックナンバーを読みました。尼子氏は、出雲を治め篤い信仰心で大社とも
むすばれていたといいます。霊界において日本人には、
「出雲系」と「伊勢系」が厳然とあるのでしょうか。またそれが存在するが故に、
有事の際に何か支障が起こるのでしょうか?
ご教授いただければ幸いです。過去に、伊勢神宮と出雲大社を詣でて、
不思議な経験をいたしました。
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