霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

これも縁?  2

2012年05月30日 | 心霊現象
「班長」である奥さんの目的は、「これ」だったかもしれないと思いながらも、無償で受けた恩に感謝した。
そして、これをもって返したという思惑は、わたしの下世話な損得勘定から成り立ったものかもしれない。
とにもかくにも、こうして私は「創価学会」の門をくぐる事になった。
手始めには、「奥さん」の自宅にての集会に参加することであった。
皆に紹介されて、場がなじんでくると映画が始まった。
学会に関する、初心者向けの宣伝映画である。
当時の会長「池田大作氏」の公演内容と、海外活動の内容。青年部の活動状況等々。
私が思っているよりも、はるかに大きい団体であり、その活動範囲は世界のいたる所にまで及んでいた。
日本人の知らない内容が、外国の人を、これほどまでに引き付けるのだろうか?
彼らの「マスゲーム」に至っては、あの「北朝鮮」顔負けの規模と、確かさで圧倒する。

へぇっ、知らないこととはいいながら、すごいものが日本にあったんだー!

ちょろいものだ。私はすっかり前のめりになって、心からは「学会」の悪のイメージを消し去っていた。
しかし、これだけは譲らない。
死ぬとき、何をもって、死神と向かい合えるのか。「それ」が学会の教えにあるのか・・・。
青年団の組織作りもみごとであり、それなりに魅力的でもあった。
しかし、私はサークルを探しているのではない。
男女の出会いを、求めているのでもない。
たった一つでいい、「人の道」に通じるものがあれば、私は学びきりたい。

しかし結果、私は分かれを告げた。
一人の偉大な人物は、教団にとっては必要である。
それは、絶対不可欠の要因ではあろうが、その人物につながることで、終わりではない。
私には「偉大なる池田大作教」にみえた。
これをもって、あの「死神」と、あるいは「死の瞬間」に向かい合えというのなら・・・、とうてい私には
無理だ。
所詮個人、所詮人間。「その人物」を拝むものでは決してない。
それを越えた、もっと先のものがない限り、「あの死神」に対抗することは出来ない。
これは、私にしか出せない「結論」ですから・・・。
その宗教や、団体の批判をしているわけではない。
私には向かなかった、という事です。



私にとってあの時の「死神」は、常に私の後ろを押し続け、決して離れない言わば「人生の相棒」でもあるのです。今となってはね・・・。
笑っちゃいますよね。それが私の人生らしいですよ~。

「もの」には「基準」というものがありますが、私が必要とする「それ」(教え、経典、真理性)は、死神に相対した時の、充分なる内容をもつものであるという事になります。
後ろから追いかけてくる「死神」に、くるりと向きを変えて相対したとき、「何」が一番強いでしょうか?
考えてみてください。それって、「神」しかないのでは?
なんて、面白い、滑稽(こっけい)なことになったものでしょうか?
私は「死神」に追い立てられながら、「神」に向かっていたのかしら?
人生に、これほど皮肉なことは、ないとお思いになりませんか?

これぞ、「縁」。神と死神の狭間(はざま)で右往左往する生き物、人間。
これこそが、えにしから繋(つな)がってきて現在にいたる対局の縁深きもの、「神」と「死神」
とは・・・・。


まあ、人生いろいろ。いろんな事があって、あたりまえ。
それだけ色濃い、深みのある人間性が養われるというものです。
だから、苦労の意味がそのとき分からずとも、信じて積み上げてみてください。
その後はじめて、
『苦労は買ってでもすれ』という言葉が納得できるのでは、ないでしょうか?・・・。
今様でいえば、苦労は逃げるに限る、買ってでもするものではない・・と言い代わっていると聞いた事が
ありますから、今ここで念のため、申し上げました次第です。










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