霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「老いぼれ、万歳」と言いたいが・・・

2012年12月14日 | 心霊現象
若い時には、絶対というほど考えない「老い」。
ましてや今の家族の在り様が、「老人」を除いた「核家族」であればなおのことである。
昔はね、と言えば、そらまた始まったと思われるだろうが、家のお爺さん、お婆さんを見ながら
育っていくのだから、いやがおうでも「老いる」ということを目にして生きていくことになる。
これからは、元気な年寄がもっと世にはばかる(?)ことになる。
元気なうちはまだいい。お金もしこたま持って、健康にまかせて遊びたい放題もいい。
が、人生の本当の終わり(最期)の時は、どんなふうにして「その時」を迎えたいか・・・。

この先、国が安定しないかもしれない、一人っきりになるかもしれない。
寝たきりになるかもしれない。意識さえ無くして、横たわるだけかもしれない。
今ほど、「先を考えたくない」時代はない。
考えれば考えるほど、「準備」がされていない事に気が付く。そして愕然とするのだ。
死者の持ち物を整理する「整理屋」が存在する、そのことが何の違和感もなく受けいれられている
現状、この社会に「人間の病み」を見る。

再びを願うわけではないが、泣く泣く年取った父や母を背におぶい、一食分の「にぎりめし」を
持たせて、裏山まで捨てに行く。
そんな「姥捨て山」は、見た目は残酷の極みである。が、その心を覗けばまだ感情あふれる慟哭の極みといえる。
今は、その感情がどこへ行った・・・?。


『彼と父親は、小さな面会室で二人だけになった。
 この面会室にも死の臭いが漂っている。だからどうだと言うのだ。
 <養老院とは、はっきり言ってそういう場所ではないか>
 彼は、死を考えながらそう思った。お役御免で邪魔になった父親、母親たちが死を待つ所だ。
 みな、愛する家族たちによって、住み慣れた我が家から追い立てられてきた人たちだ。
 奥の小さな寝室から追い出されてきた者や、ダイニングルームやパーラーに出入りされては来客の
 目ざわりになると言われて、我が子や甥や姪の手で養老院に入れられた老人たちで、この古ぼけた
 館はいっぱいである。
 同じような話、同じような会話が、米国中のそこここの家庭で聞かれる。
 「信じてくれよ、これは父さんのためなんだよ」
 「母さんのためなんだよ」
 「叔父さんのためなんだよ」
 「叔母さんのためなんだよ」
 「同じ世代のいい人たちがいっぱいいるから、友達ができて楽しいよ」
 「分かってくれよ、おれも辛いんだ」
 この家族たちの言葉を言い替えれば、
 「役に立たなくなった老人と一緒に、あそこで死んでちょうだい」
 「テーブルによだれをたらしながら、同じ話を何度も何度も聞かされて、もう飽き飽きしたよ」
 「子供たちも嫌がってるよ、ベッドに小便なんか漏らしてさ」
 この点では、エスキモーの方が正直かもしれない。彼らには、役に立たなくなった老人を酷寒の
 氷の上に置き去りにする風習がある。
 「来てくれてありがとう」
 と彼の父親が言った。ゆっくりしたしゃべり方である。
 「おまえと話したかったよ。いい知らせがあるんだ。隣の部屋の老人が、昨日死んだんだよ」
 彼は驚いて父親を見た。
 「なんでそれがいい知らせなの、父さん?」
 「それはだな、おまえ、彼の部屋が空いたから、わたしがそこへ移れるわけなんだ」
 父親が説明した。
 「一人用の個室だからね、あそこは」
 これが、この養老院の中の現実なのだ。老人たちは、居心地のよさを求めて、わずかに残った
 エネルギーをサバイバル競争に燃やす。死んだ方がずっと幸せだろうと思えるような人たちを、
 彼はこの養老院で何人も見てきた。しかし、そのような人たちこそ、生きることに執着している。
 <ハッピー・バースデー。今日は九十五歳の誕生日ですよ、嬉しいですか?>
 <そりゃ嬉しいよ。墓場に入ってたら、お祝いもできないもんね>
 生きるとは、それほど価値のあることなのだろうか・・・。彼は自分の胸に手をあてて考えたが、
 答えは出ない。
 やがて、父親に別れを言わなければならない時間になった。
 「また、すぐ会いに来るからね」
 彼は父親に約束した。それから、用意した現金を父に渡し、看護婦や従業員たちにたくさんのチッ プをはずんだ。
 「親父の世話をお願いしますよ。彼が元気でいてくれると、わたしも張が出ますから」
 彼は養老院をあとにした。一歩ドアから出て、外の空気を吸うと、父親のことも老人たちのことも
 すべてを忘れた。』

             (シドニィ・シェルダン 作 「私は別人」(上)から
              文面「彼」は、主人公「トビー」をそう私が記した)


今読んでいる本で、つい見かけたものですから書いてみました。

「どぎつい」とおっしゃるなかれ。
これが本音なのだと思う。ただ、口に出さないだけであり、言葉にオブラートをかけて、やさしく聞こえる体裁をとっているだけなのだ。今の私達の日常は・・・。
メモをどこかに置き忘れたので、具体的な名前は書けないが、横浜のクリニックの先生(医師)の
話だ。
最近はお年寄りで、こう言う人が多くなった、と。
「病院で死ぬより、自宅で死にたい」と。
しかし現実は70パーセント以上の人は、病院で亡くなる。希望通り「自宅」で亡くなる人は20パーセント前後だとか。
しかし考えようによっては、死ぬまで病院に入院するよりも、自宅療養が可能な人は、是非自宅で、とその医師は言う。
高齢者にかかる医療の経費は、病院においては計り知れないほど高額になる。
それを自宅による治療に替えれば、あきらかに削減できるという。
「だからわたしは、自宅療養を勧めています。ただ家族の理解や協力等、可能性の問題も出てくるので、負担がかかるその度合いをみながら、おすすめしています」と。
「国家予算が底をつく」などという、国民を不安にするニュースが耳にはいる昨今。
国はもう「わたし」(年寄)の面倒を、みてはくれないのか・・・。

「人権」を考えれば、氷の上におきざりにしたり、山へ捨ててくるのは言語道断である。
が、これから想像を絶するほどの「高齢者社会」が、すぐそこまで来ていることを考えると、
高齢者といえども、年金の高額にかまけて遊びほうけるのは、いかがなものかと思われてならない。
まだまだ、場所によっては人手が足りないところもある。
生活に何不自由ない、健康な年寄は、世の為人の為、無償の愛に明け暮れてみては、どうか。
つまり、『ボランティア』である。
一週間に一日でいい、労働奉仕にいそしんではいかがでしょうか?
若い今の子に、昔の話をするのも、悪くはないか、と。


私の姉は、週に一回だけ大病院のフロアー係りをしている。
もちろん「ボランティア」である。
手続きで手間取ったり、行先が分からなくてウロウロしたり、字が読めなかったり、いろいろある
その外来のお客さんをサポートしている。
あとの五日間は自由三昧である。「ハワイアン・ダンス」「シャコール・ダンス」「観劇」「コーラス」と、まあまあ盛りだくさんの日々を、楽しみながらこなしている。
旦那さんは、別の勉強で毎日大忙し。「ピアノ」「園芸」「革細工」「手話」などなど。
体を動かし、適度に運動をして、という本音は「ぼけ防止」である。
100パーセント健康体ではない。年齢なりの「さびつき」はあって当然、とばかりに「病」と仲良くしながら、夫婦の空き時間を利用しては「学習の成果」に花が咲く。
ハワイアンが聞こえる脇で、一人は踊り、一人は手話で話す。


その脇で私は、「その次の準備は、いつやるの?」と内心あせりながら見つめている。
御年70歳の二人と、私67歳の高齢者である。
あの世からは、まだまだ迎えがこないとでも?・・・。


高齢者は一日一日が勝負だ、と前に申し上げたことがある。
朝目覚めたとき、あなたは瞬間何と思うだろうか・・・。
「あーあ、また今日がきた。生きていかなければならないのかぁ~(ためいき)」の人は、長寿で
はないそうです。(早死にするんですと・・・)
反対に「よぉー、朝だぁー。よーしがんばるぞぉ~」と心に思った人は長生き出来るそうです。

まあ、年齢に限らず、新しい朝を与えてもらえれば、それだけで感謝!かもしれませんが・・・。

「老いる」ということをしみじみ感じるのは、同年代の芸能人をTVで見る時です。
えっ、「舟木一夫」?。あの学生服の姿はどこへいった。中年のおじさんの顔になった彼をみて、
心のどこかでホットしている自分を発見する。
みんなこうして(苦労して)、人間らしくなったのよねーと。
そういえば、私も鏡で自分の顔をしげしげ見なくなった事に気が付く。
自分では気づかない(ふりをして)老いを、きっと人にばら撒きながら、今を生きているんでしょう
ね・・・。

とめどもなく書いて、迷惑をかえりみない老いた私の悪いくせ。
ごめんあそばせ。今日はこれくらいにして・・・。




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