霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

年の瀬に思うこと

2013年12月30日 | 心霊現象
毎月通う「クリニック」も、今日の午前中で今年最後になる。
さすがに人は少ない。わずか数人でありそれも老人ばかりである。
二週間分の薬が今度から三週間分も「あり」で、しこたまもらって帰ってきた。
しかし、私はこれで終わりになる。いや「終わりにしょう・・・」。勝手だが、もう薬はいらない。
体にいいと思いながらも、その反面「毒」をためていることにもなるそうだ。
最近読んだ、いや読まされた本『医者に殺されない47の心得』(近藤 誠著)の影響でもある。
弟の勧めた本だ。どうりで彼は、医者や病院に距離を置き、今までは自力で治してきたらしい。
ま、人それぞれ。あわやの時は、きっと人が救急車に乗せてくれるだろう・・・。
それで間に合わなければ、それも運命。寿命がそれまでだったということで納得すればいい。と、まあこういう人生観である。
いいか、悪いかよりも、「わたし」はこうしたい、という命に対しての覚悟のようなものだ。
それにクリニックの医者も、最近私をみて「こう」言うようになった。
ここだけの話だけどね。と前置きをし、「高齢になったら何も手術なんてしなくていいよ。体を切り刻むこと自体、かえって逆効果になるよ。だから僕は手術を勧めないねぇ。たとえガンだって年寄はそう進行しないよ。逸見さん、分かるでしょ【あのアナウンサーの彼】。二回目の手術で臓器を3キロも取ったって・・・。人として生きていけないでしょ、そんなに臓器をねこそぎ取ったら・・・。
ま、医者もいろいろ、僕なんかも老人だからね、体の衰えや加減がいくらか分かる。現代医学に夢をみて、前へすすむのも若いもんにはいいんだろうけどね・・・」と。
内心私も拍手喝采して、(先生、しばしお別れです。薬ももういりません。お世話になりましたぁ)と、薬なしで生きる覚悟を決めました。
認知症や骨密度の予防をかねてのんでいた、つまり「メンテナンス」の用途が目的だったから、薬ではなく、生活の日々の中での注意をすれば「よし」とし、今後の生活に大きく舵をきりました。
と言えば聞こえはいいが、これも倹約のひとつ。薬代ってバカにならないんですよ。
医者が私に出す薬は、みんな新薬。「やっと厚生省から認可がおりたから~」って、いつも言いながら「なんともなかったか」と聞いてくる。
あとで「副作用」の事だと分かる。とすれば、私はさしあたって「モルモット」かぁ?・・・。
人によっては「むくみ」「腹痛」「発疹」「頭痛」「筋肉痛」と、その副作用には違いが多い。
たかが「便秘」の薬で命を落としかねない「日本の薬害事情」は、あまり外には知られていないようだ。
前にも書いたように「薬」と「毒」は紙一重。
効く人にとっては「神の値」だが、副作用に悩む人にとっては「悪魔の値」となるのが「薬」である。
「三種類の薬を同時に出す医者は、もう二度と行くな!」とは、近藤氏の警鐘である。



さてさて、ここまで「年」が押し詰まると、あわてて何をしたとて「どうってこと」ない。
昔は「9」の日を避けて年の瀬も今日あたりは「忙しく」なる人もいた。
しかし街へ出ても、畳をたたいたり、「はたき」でばたばたたたく音も聞こえない。
そうか「和室」もない、「はたき」もない生活が、今の近代建築のモデルだったのか・・・。
留守の家を、「掃除ロボット」が一生懸命一人?で働いている。それが文明の証らしい。


「おせち」を自宅で一つ一つ作る人は少なくなった。
TVの料理番組では、「料理指導家の辰巳芳子先生」が料理の心得を解きながら、おせちを教えておられた。
その講釈の中で、忘れられない言葉があった。
『食べるとはね、自分の生命に対する手応えを感じることが出来るということ』(おいしい!とはそういう事)
そして、『自分が信じられない人は、他人を信じられない』。
『だから、しっかり食べましょ!』・・・と。
なるほど。料理家の哲学に脱帽である。


来年50歳になる「真矢みき」さん。
『来年1月は「人生の折り返し点」ですが、往路とはまた違う景色を見られるんじゃないかと、楽し みです。
 若くはないけれど、今後の人生では今が一番若い。
 肩の力を抜いてシンプルに生きていこう』と、読売新聞の「すてきライフ」に書いておられた。
往路と復路。その折り返し点では、今からが出発。ならば、今が一番若い。
こんな発想はそう出来るものではない。なるほどなるほど、これにも脱帽!。


上から読んでも下から読んでも「山本山(やまもとやま)」ってコマーシャル、知っていますか?
そういえば、最近あまり聞かれなくなったようですが・・・。
「第四回早稲田大学坪内逍遥大賞」授賞式が行われた(らしい)。
東京都内にて、11月22日のことである。
ここで奨励賞をとった一人、『山田 航(わたる)氏』(短歌歌人)がいた。その方の作が「頭から読んでも、尻から読んでも同じ」という『回文?』。
たとえば、こうである。
○ せかいを くずしたいなら ないたしずくを いかせ
○ おきまりのまいにち いま のりまきを
○ つつしんでおいわい おでんしつつ

ですって・・・。
いつでしたかTVで見ました。
司会者が出す短い文章を、すぐさま「逆さ」に読んでいく人の芸?を。
このような人は、どんな頭(耳)をしているんでしょうねぇ。
これって「日本語」だから出来るのでしょうか、それとも「ABC」でも出来るのでしょうか?
そして「これ」を回文っていうんですか?、私はちっとも知らず「怪文」と入力するところでした。
先にブログで書いた、世界に設置されているという「俳句ポスト」。
芭蕉のふるさと「松山」へ必ず届けられるという、世界の人に詠まれ投函された俳句は、いったいどんな感性で、誰が詠むのかみてみたいものです。


この出所は、ある宗教団体です。
『第三の人生へ昇りゆく旭日
 古稀(こき)・・・大空にはばたく
 喜寿(きじゅ)・・中央に立つ
 米寿(べいじゅ)・美しき銀世界
 白寿(はくじゅ)・黄金に輝く 』

なるほど、なるほど。
これ、何のことか分かりますか?。
詳しい説明がなかったこと、さらにこれは出版物の紹介だったと記憶していますが。
きっと、その時(年齢)の「魂の輝きの状態」をいうのだ・・・、と。
そう私は合点がいきました。
そして、それはどのような魂の域をいうのでしょうね。
もっと詳しく知りたい方は、どうぞ「この本」を読んでくださいとか、わが教団におこしくださいということなんでしょうね。
しかし、光と色。これは確実に霊界に厳然としてある、「霊体」の基準からくる心霊表現であれば、そこに香りが加えられて、初めて「完璧な魂の姿」が可視的に、いわゆるビジュアル的に捉えることが出来るということですね。
色、光、香り。この三つは「いつ」、「どこ」で、「どのようにして」(どうすれば)、身に付けることが出来るのでしょうか・・・?。
神の色、光、香り・・・、知ってますか?・・・。
仏の色、光、香り・・・、知ってますか?・・・。
「あなた」の色、光、香り・・・、知ってますか?・・・。
すべて、「あの世」での話です。
これを得るための、日々の精進と思召せ!



「黄金に輝く茶室」、それをこの世で見、そこに己を置こうとした秀吉。
豊臣秀吉の「金」への執着は、このように終着点を黄金にしつらえ、そこにわが身を置こうとしました。しかし所詮それは「この世」のこと。
彼は、「あの世」での黄金の何も手にすることは出来なかったでしょう。
反面、めでれば愛でるほど「艶」をだし、味わい深くなる「かわらけ」をむしろ「いとおしんだ」
利休は、その魂において「あの世」で「黄金に輝く茶室」を手にしたことでしょう。
霊能者が見る「黄金の世界」は、神の領域をいいます。
「まぶしくて、わたしには見て居続けることができない・・・」と、かの霊能者K氏はのたまう。
滋野の霊力をもってしても「黄金」と「神」の領域は、まぶしすぎるのでありましょう・・・。


 


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