霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「ルーツ」という言葉から聞こえるもの

2013年05月29日 | 心霊現象
少し前、ブログのどこかで、この「ルーツ」という映画の話を書いたことを思い出します。
ある新聞に書かれた文をご紹介しながら、先祖をたどるということの意味を再度考えて頂きたいと思います。


『米国の作家、アレックス・ヘイリー氏が亡くなった。十五年あまり前にベストセラー「ルーツ」を著した
 人だ。この本はテレビの大河ドラマにもなり、米国社会を大いに興奮させた。各国でも翻訳された。
 母方の先祖を七代さかのぼり、アフリカはガンビア、ジュフレ村の少年クンタ・キンテに自分の根源を
 発見する。少年が奴隷商人に連れ去られてからの何代もの物語を、詳細につづったものだ。
 調査には長い年月を費やした。
 ファクト(事実)だけではないが、さりとてフィクション(作り話)ではなく、事実に基づく。いわば「フ ァクション」だと言っていた。奴隷売買、苦役、迫害など黒人たちの体験の描写がなまなましい。
 建国二百年、米国人にとって一種の歴史教育ともいえた。
 「黒人が歩まされた受難の歴史を書き、「黒人であることへの自負、その歴史と先祖に対する誇りを飛躍的
 に高めたと思う」と言いながら、ヘイリー氏は同時に「本への反響では、黒人に次いで日系二世、三世から の反応が際立っていた」と話したことがある。
 「黒、白、黄色といった皮膚の色の違いよりも、その能力で人間を見たい」。差別の存在に、静かだが激し い怒りを抱いていた。近年、日系、中国系、あるいはイタリア系の米国人と言うのと同様、黒人をアフリカ
 系米国人と呼ぶ。「ルーツ」以後の表現だろう。

 ヘイリー氏から聞いた忘れられない話がある。
 ジュフレでは、子供が生まれると父親が七日間、姿を消す。懸命に名前を考えるためだ。
 八日目に村中の人が集まる。太鼓の響き。父親が赤ん坊の耳に口を寄せ、吹き込むように名前をささやく。
 聞いた人々が口々に名を呼ぶ。父親は、夜、子供を抱き、月と星を見せて宣言する。
 「見よ、汝(なんじ)自身より偉大なるもの、これのみ」と。
 個人は一人ひとり名の違う存在だ。その尊厳を考えさせる話である。  』

出所は、「天声人語」。古い古い新聞の切り抜きです。
ただね、「ルーツ」というだけで分かる人が少なくなり、何の事か分からない人の方が多くなった地球事情であれば、少しご説明をと思い、書き出した次第です。


昭和の、最も日本が燃えた日。そうです「東京オリンピック」の出来事。
アフリカの「アベベ」という名もない選手が、男子マラソン競技で一位をとった。
その出身地が「エチオピア」。どこにあるのか、ほとんどの人が知らない。そんな時代、靴を脱ぎ捨て、裸足で走ったアフリカ・エチオピアの「アベベ」。
大袈裟にいえば地球上がひっくり返った瞬間でした。(驚きでね)
それ以来、アフリカもエチオピアも世界標準となった。

今から3、4000年前。ソロモンという知恵の王様がいた。
その名声は世界に轟いていた。
シバの女王が「その知恵」を試しにやってきた。アフリカの一国の女王として貢物を積み、知恵を頂くのではなく、ソロモンの知恵の度合いを計りに足を運んだのだ。
長期間国を開ける危険を冒してまでも、彼女は決行したのだ。
結果、六か月にも及ぶ滞在となった。その間には「女王」と「ソロモン王」との新しい命が息づき始めていた。
男子が生まれたら「国王」にするといって、シバの女王はソロモン王に別れを告げた。
その結果生まれた子供は、男子であり、いまだに彼らは先祖をソロモンとする民族の誇りの中で生き続けている。
アフリカのエチオピア。ソロモンの子から続く由緒ある血統の誉れ。
これが、今でこそ名前を知らない人さえなくなった「アフリカ」の一国のルーツだそうである。(TVでの話
であるが)


肌が黒くなり、人類の中で最も過酷な差別を受けて生き続けた「黒人」のルーツが、聖書にある「ノア」の三兄弟「セム」「ハム」「ヤペテ」の次男「ハム族」にそのルーツがあると以前申し上げた。
「ハム」の失敗。それを民族的に償う内容とは・・・。
もし聖書が人類のルーツを物語る「神から出たもの」であるならば、もっと真剣に人類歴史の今に至る真実を
学び直さなければならない。

「ルーツ」とは、すべての根源をいう。
山で迷ったら、迷った道まで戻れと言われてきた。
私達がもしどこかで迷ったのであるならば、どこで迷い、なぜ迷ったかを検証しなければならない。
これは一国の問題ではもはやない。
人類つまり地球規模で、迷い道を捜し正す検証こそ、今私達に問われている。


またまた日本では、「南海トラフ巨大地震」の警告が出て、32万人の死者をほのめかし、一週間分の食糧の備蓄を各家庭でやるようにとの「暗黙のお達し」が出た。
太平洋側だけの話でしょ、とは言っていられない。
国の麻痺状態を考えると、「半身不随」の病状になりかねない。
国が思うように機能できないってことは、日常が日常でなくなるという事だ。
来てみなければ分からないが、「どうしても、来たいのか?」と地震に聞きたくもなってくる。
富士山も、今のところ美しい顔を向けて、穏やかにしてござる。

さてさてこんな状況だからこそ、かえって「ルーツ」に目を、心を移してみるのも、今なのかもしれませんねぇ~。

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