グッドラック Takecy of Johnny’s

大島優子ちゃん大好きなタケスィブログでつ( ̄ω ̄)ムフ~

ミスターシービー

2024-04-27 07:10:29 | スポーツ
史上3頭目の3冠馬。
追い込み一辺倒で三冠馬になったでつなぁ~

父がトウショウボーイ、母がシービークィーン。
くしくも…
同世代で、同じ新馬戦に出てたでつ。

三冠レースも凄ったでつなぁ~
昭和の時代は多頭数で行われてたでつなぁ~

皐月賞では不良馬場を蹴り上げて自慢の末脚を炸裂。
日本ダービーではまたも出遅れでつが、最終コーナーでは外の馬を弾き飛ばすようなマクリを披露、直線半ばで先頭に立つと、
そこから堂々と押し切ってたでつ。
そして秋、「ゆっくり上り、ゆっくり下れ」といわれる京都の坂を一気に駆け抜けて、菊花賞は圧巻の1着ゴールを果たしたでつ。
スタートでの立ち遅れが響いた3戦目・ひいらぎ賞の2着、久々だった秋初戦・京都新聞杯4着といった取りこぼしはあったでつが、
9戦7勝の鮮やかな成績を残して、ミスターシービーは、シンザン以来19年ぶりとなるクラシック三冠の大偉業を成し遂げたでつ。

三冠達成後も好調を維持していたでつが、11月末の国際招待競走ジャパンカップは回避。
さらに年末のグランプリ競走有馬記念も、千明牧場の意向により回避。

このローテーションには批判があったでつ。
ジャパンカップの競走前に行われた記者会見では、英紙スポーティング・ライフ記者が今年はミスターシービーという三冠馬が出たと聞いているが、
出走していないのはなぜか。日本で一番強い馬が出ていないのはどういうことかと、招待者である日本側の姿勢を問い質す場面もあったでつ。
競馬評論家は当時を回想し、休養を優先した陣営の心情に理解を示しつつも正直なところ、失望したでつ。
しかもキョウエイプロミスがあわやの2着だったから余計でつなぁ~

さて1984年はグレード制の導入と距離体系の整備。
中央競馬のレースに格付けがおこなわれ、各レースの施行距離も見直されることになったでつ。
それまで春秋とも3200mでおこなわれていた天皇賞も、秋のみ2000mへと距離が短縮。
この新生・天皇賞を直線一気のレコードタイムで制したのがミスターシービー。
三冠のみならずGI・2000mの天皇賞秋の初代チャンピオンとしても名前を残したでつ。

ここまではその強さを示したでつが、ジャパンカップ以降は全く普通の馬になってしまったでつ。
昭和の時代は多頭数でGIが行われていたので、今では存在しないテレビ馬が欧州のペースメーカ的な存在で
速いペースになるので追い込み馬に有利になってたでつ。

だけど最近は頭数が限られるので、スローペースになるでつ。
キタサンブラックがGI7勝出来たのも頭数が少なかったからで、昭和の時代ではありえない話。
だからミスターシービーは岡部さんの言う通り近代競馬は勝てないというのを証明したのがジャパンカップ。

大敗したわけだけど、闘志がとか言う前にスローペースになったら対応出来なかったのが大きな敗因。
近代競馬に対応できる力がミスターシービーには残念だんだけどなかったということ。
ジャパンカップはテレビ馬みたいな馬が出れない招待レース。

逃げ馬不在なら当然スローペースになるでつ。
そこを上手く利用したのがカツラギエースだったでつ。
ルドルフは前はいつでもという慢心があったでつなぁ~

有馬記念では徹底マーク。
ミスターシービーは全く相手にしていなかったルドルフ陣営。
ミスターシービーも早めには動いたけど、ここもカツラギエースの作ったペースに追い込めず。

春の天皇賞では二匹目のドジョウじゃないけど、まくっていったけどルドルフの敵ではなかったでつ。
ちなみに岡部さんの作戦は、ミスターシービーに力の違いを見せるために追い込んでくるのを待ってから
突き放す作戦だったみたいだから、自ら動いたミスターシービーの三冠馬としての栄誉は少し守られたかなぁ~

結局ルドルフには全くだったでつ。
だけど、トウショウボーイ、シービークィーンとも先行脚質だったけど、先行するとスタミナがどうだったかなぁ~
だけど、先行してれば、ルドルフとどうだったかなぁ~

秋の天皇賞でやってみても良かっただろうけど、結果はやっぱりルドルフなんだろうなぁ~
ミスターシービーは本質は2000m前後が一番力を発揮できたと思うでつなぁ~
三冠馬での評価は低いけど、それは時代がだなぁ~



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