『東大落城』『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文春文庫)
かつて、若かりし頃、私が読んだ二冊の本です。
その著者が『佐々淳行』氏。
警察庁出身で、初代内閣安全保障室長を勤められ、日本の国防の危機管理について強く意見を述べられていた方です。
以前はよく、ズームインで見たんですが・・・最近見ないなーと思ったら、高齢のため、第一線を退いていらっしゃいました。今年で81歳。
基本的に、政治に語るのは好きじゃないし、いまいち個人的信条をブログで、というのも好きではないです。
ただ、先日、「永田洋子」という女性が、亡くなりました。
私は、正直、「え?まだ生きていたの?」と驚きました。
彼女こそ、連合赤軍あさま山荘事件においての首謀者の1人として掴まった人間だったからです。
そして、この本を思い出しました。
学生運動の激しかった60年代。
私は生まれていません。
東大安田講堂事件、あさま山荘事件、これも知りません。
ずーっとあとになって、大学の傷口が風化したころ、この本に出会いました。
何故、学生達はあれだけの情熱を持って動こうとしたのか、今でもその理由はわかりません。
何かを突き動かす、物、がそこに存在したのでしょう。
けれど、どうしてそれが暴力でしかなし得ないと思ったのか・・・。
無関係な人々を犠牲にしてやらねばならなかったことだったのか。
安田講堂事件は、安田講堂に篭った学生が、機動隊に火炎瓶やら、石を投げたり、無茶苦茶でした。
警察側は、放水で対応していました(最初、安田講堂を鉄球で壊せ、という案も出ていたのですが、安田講堂が安田氏の寄付によって建てられたものだったため、出来ませんでした。後にこの案は、あさま山荘事件にて採用されます)
この本を読むと、本当に学生は無茶苦茶でした。
兎に角反抗する、やっつける、警察は敵だ、許さない!
いやー、若さって「バカさ」と紙一重だわ、とつくづく思う。
あさま山荘事件も、それ以上の非常さですよ。
恐怖のあまり粛清といって、次々に仲間を殺し、埋めていく・・・。
極限に陥ると、人間は、誰も信じられなくなり、裏切り者がいると疑心暗鬼に陥り、最後には、自らの首を己で絞める、ということになる。
役所さん主演の映画にもなりましたね。
当時、鉄球であさま山荘をぶち壊し、機動隊が乗り込んでいく状況は、実況中継されていたそうです。
視聴率はとんでもなかったのかな?
見ていなかったのは、その場にいた警察関係の人たちだけ、という噂が。
「今、ドロボーが来ても、警察こんわ」という冗談があったそうな。
それぐらい、今の学生さんたちからしてみれば、信じられない時代があったと思います。
私も、はぁ、と思う。
けれど、私自身は、直接経験していないけれど、間接的には見た事があり、多分それで余計にこの本が記憶に残っているのだと思います。
私が通っていた国立大は、所謂「東大系」という思想だったそうで・・・
やっぱり学生運動が盛んなときは、学部閉鎖に追い込まれたそうです。
ゼミ担は、若かりし頃、学生側と何日も及ぶ交渉をしたことがあったそうだ。
だから、傷跡は他の学部よりも大きかったかもしれません。
また、自治会も健在でして(いい意味でも、悪い意味でも)
年に数回「火炎瓶投下容疑事件」という名目で、警察のガサ入れがありました。
今時、火炎瓶かよ・・・。と思わず、突っ込み。
今でも、ガザ入れやっているみたいです。
そして、何よりも、私が記憶に残る、一番の「恐怖体験」
忘れもしない、一年生時、教養講座「世界史」でした。
朝一限目。
講義開始まであと30分ぐらいでしょうか。
学生は、大講堂にほんの数人・・・。
そして、そんな静かな中に現れたのは、
全身黒くずめの人間達でした。
頭はヘルメット。
目元は黒いサングラス。
口元は、マスク。
黒いカッパを着て、黒いズボン。
黒い長靴。
手も黒い手袋・・・。
そういう人間がぞろぞろ入ってきて、全ての机に、一枚一枚、思想の新聞を配っていくのです。
しかも、
無言で!!
息を止めて、じっと固まってしまいました。
もう、何が起こっているのか、考えないぞ、と、私は知らないぞ、と。
目の前にある本に視線を落とし、何事もない振りをして、その奇妙な人々が去るのを待ちました。
あぁーー!!怖かったよ!!
今でも、ぞっとする。
どこかに連れて行かれて、洗脳されるか。
あるいは、殺されるか、と思いましたもん。
いえ、本当に!!
普通「殺されるかも!?」なんて思うことは、ほとんどないと思う。
下手すりゃ一生ない。
なんかね、一年生の早い段階でそれを目にしてしまったので、もう大学そのものが怖くて、嫌いになりました。
サークル入らなかったもん。
怖くて。
実際、怪しい宗教などが盛んでしたからね・・・。
因みにその恐怖体験をしたのは、周囲を探しても、私だけだったらしい・・・。
そういう実体験があるため、どーも、「政治」と聞くと拒否反応が出ます。
政治、という行為ではなく、それを実行しようとする人間の思想に対してかな。
その後、オウムの事件が起こり・・・
宗教的な思想にも、拒否反応が。
一つのもの、思想的に入れ込むことに対して、拒否するみたいな・・・。
大学の講義は面白かったし、先生も嫌いではなかった。
けれど、あの大学の中にあるまだ一掃されていない澱みは、嫌いだったし、許せなかった。
だから、大学にはあまりいい印象がない。
今は、大分違うとは思うけれど。
話が逸れましたが、佐々氏のこの二冊はお奨めします。
当時火炎瓶投げていた人間が、政治の主導側になっていることに、佐々氏は最新の著書で憤りと憂いを述べられています。
よく考えると、あのとき火炎瓶なげたり、思想的リーダーだった人は、普通に就職なんて出来ないだろうから、学者か政治家あたりになっている可能性は多いにあると思います。
某有名国立大学には、そういうことをしていたんじゃないかなと思われる先生が結構いる、という話も聞いた事があります。
意外とクセ者は、文系では、経済学系。
理系では、当然ですが、医学部、だそうです。
なんか、わかるなー(苦笑)
かつて、若かりし頃、私が読んだ二冊の本です。
その著者が『佐々淳行』氏。
警察庁出身で、初代内閣安全保障室長を勤められ、日本の国防の危機管理について強く意見を述べられていた方です。
以前はよく、ズームインで見たんですが・・・最近見ないなーと思ったら、高齢のため、第一線を退いていらっしゃいました。今年で81歳。
基本的に、政治に語るのは好きじゃないし、いまいち個人的信条をブログで、というのも好きではないです。
ただ、先日、「永田洋子」という女性が、亡くなりました。
私は、正直、「え?まだ生きていたの?」と驚きました。
彼女こそ、連合赤軍あさま山荘事件においての首謀者の1人として掴まった人間だったからです。
そして、この本を思い出しました。
学生運動の激しかった60年代。
私は生まれていません。
東大安田講堂事件、あさま山荘事件、これも知りません。
ずーっとあとになって、大学の傷口が風化したころ、この本に出会いました。
何故、学生達はあれだけの情熱を持って動こうとしたのか、今でもその理由はわかりません。
何かを突き動かす、物、がそこに存在したのでしょう。
けれど、どうしてそれが暴力でしかなし得ないと思ったのか・・・。
無関係な人々を犠牲にしてやらねばならなかったことだったのか。
安田講堂事件は、安田講堂に篭った学生が、機動隊に火炎瓶やら、石を投げたり、無茶苦茶でした。
警察側は、放水で対応していました(最初、安田講堂を鉄球で壊せ、という案も出ていたのですが、安田講堂が安田氏の寄付によって建てられたものだったため、出来ませんでした。後にこの案は、あさま山荘事件にて採用されます)
この本を読むと、本当に学生は無茶苦茶でした。
兎に角反抗する、やっつける、警察は敵だ、許さない!
いやー、若さって「バカさ」と紙一重だわ、とつくづく思う。
あさま山荘事件も、それ以上の非常さですよ。
恐怖のあまり粛清といって、次々に仲間を殺し、埋めていく・・・。
極限に陥ると、人間は、誰も信じられなくなり、裏切り者がいると疑心暗鬼に陥り、最後には、自らの首を己で絞める、ということになる。
役所さん主演の映画にもなりましたね。
当時、鉄球であさま山荘をぶち壊し、機動隊が乗り込んでいく状況は、実況中継されていたそうです。
視聴率はとんでもなかったのかな?
見ていなかったのは、その場にいた警察関係の人たちだけ、という噂が。
「今、ドロボーが来ても、警察こんわ」という冗談があったそうな。
それぐらい、今の学生さんたちからしてみれば、信じられない時代があったと思います。
私も、はぁ、と思う。
けれど、私自身は、直接経験していないけれど、間接的には見た事があり、多分それで余計にこの本が記憶に残っているのだと思います。
私が通っていた国立大は、所謂「東大系」という思想だったそうで・・・
やっぱり学生運動が盛んなときは、学部閉鎖に追い込まれたそうです。
ゼミ担は、若かりし頃、学生側と何日も及ぶ交渉をしたことがあったそうだ。
だから、傷跡は他の学部よりも大きかったかもしれません。
また、自治会も健在でして(いい意味でも、悪い意味でも)
年に数回「火炎瓶投下容疑事件」という名目で、警察のガサ入れがありました。
今時、火炎瓶かよ・・・。と思わず、突っ込み。
今でも、ガザ入れやっているみたいです。
そして、何よりも、私が記憶に残る、一番の「恐怖体験」
忘れもしない、一年生時、教養講座「世界史」でした。
朝一限目。
講義開始まであと30分ぐらいでしょうか。
学生は、大講堂にほんの数人・・・。
そして、そんな静かな中に現れたのは、
全身黒くずめの人間達でした。
頭はヘルメット。
目元は黒いサングラス。
口元は、マスク。
黒いカッパを着て、黒いズボン。
黒い長靴。
手も黒い手袋・・・。
そういう人間がぞろぞろ入ってきて、全ての机に、一枚一枚、思想の新聞を配っていくのです。
しかも、
無言で!!
息を止めて、じっと固まってしまいました。
もう、何が起こっているのか、考えないぞ、と、私は知らないぞ、と。
目の前にある本に視線を落とし、何事もない振りをして、その奇妙な人々が去るのを待ちました。
あぁーー!!怖かったよ!!
今でも、ぞっとする。
どこかに連れて行かれて、洗脳されるか。
あるいは、殺されるか、と思いましたもん。
いえ、本当に!!
普通「殺されるかも!?」なんて思うことは、ほとんどないと思う。
下手すりゃ一生ない。
なんかね、一年生の早い段階でそれを目にしてしまったので、もう大学そのものが怖くて、嫌いになりました。
サークル入らなかったもん。
怖くて。
実際、怪しい宗教などが盛んでしたからね・・・。
因みにその恐怖体験をしたのは、周囲を探しても、私だけだったらしい・・・。
そういう実体験があるため、どーも、「政治」と聞くと拒否反応が出ます。
政治、という行為ではなく、それを実行しようとする人間の思想に対してかな。
その後、オウムの事件が起こり・・・
宗教的な思想にも、拒否反応が。
一つのもの、思想的に入れ込むことに対して、拒否するみたいな・・・。
大学の講義は面白かったし、先生も嫌いではなかった。
けれど、あの大学の中にあるまだ一掃されていない澱みは、嫌いだったし、許せなかった。
だから、大学にはあまりいい印象がない。
今は、大分違うとは思うけれど。
話が逸れましたが、佐々氏のこの二冊はお奨めします。
当時火炎瓶投げていた人間が、政治の主導側になっていることに、佐々氏は最新の著書で憤りと憂いを述べられています。
よく考えると、あのとき火炎瓶なげたり、思想的リーダーだった人は、普通に就職なんて出来ないだろうから、学者か政治家あたりになっている可能性は多いにあると思います。
某有名国立大学には、そういうことをしていたんじゃないかなと思われる先生が結構いる、という話も聞いた事があります。
意外とクセ者は、文系では、経済学系。
理系では、当然ですが、医学部、だそうです。
なんか、わかるなー(苦笑)