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高崎市小中養護学校PTA連合会 顧問のブログ

高崎市小中養護学校PTA連合会 2008年度顧問です。2007年度中は会長のブログとしてお世話になりました。

080320 市P連臨時総会開催・・・一つの区切りの時、まさに『人生は心の整理の積み重ね』・・・

2008-03-20 06:20:50 | Weblog
『 人生は心の整理の積み重ね 』
行き詰まっても、焦らない。方向を見定め、決意も新たに出直そう。
心が散らばっていたら、一つにまとめよう。心の重荷を下ろせば、軽々と進める。
身辺の物を整理することで、心が整えられることもある。

この言葉・・・・恐ろしいほど・・・自身の心境へ“ググッ”っと?来る言葉が多い
月に一度の登場なのに、本当にその日その時の、まさに“思い”にシンクロする(笑)

昨日・・・市P連の臨時総会が挙行されました。・・・・
市P連会長としての最後の臨時総会での挨拶が終わりました・・・議長としても任務完了
本当に一つ一つが・・・・時間と共に終わっていく・・時代が確実に移行して・・・
何か一つの大きな・・・言葉の通り・・“こころ”の整理をしなさいという指令が届いた。
今は、そんな気持ちです・・・・

この2年間・・・市P連自体も確かに大きな変遷の月日でした。・・・・
2度の合併による器の変化は、市P連自体の活動にある種大きな転換を迫ってきました。
私が、平成15年度から関わってきた市P連自体の活動は、ある意味右肩上がり?状態で
内容の充実と共に・・ボリュームも何もかも・・・バブル景気のように膨らんできた??

合併をする際に・・・何度も合併問題検討委員会という形での情報交換を行ってきました。
現実問題として・・・市P連自体の活動の49校体制で行っていたものを67校体制に移行
そのまま移行という状態は、どうやっても不可能という状態がだんだん見えてきました。
市P連の専門委員会・・・当時は研修委員会と母親委員会に2名(各1名)と広報委員会
広報委員会は、当時3つあったブロックの内、ひとブロックが担当している形でした。
結果、多い所では、3名の出向者をお預かりして市P連の委員会組織を構成していました。

最初の壁・・・現状の活動量を維持したままの委員会組織では出向者を選定できない?
逆に委員会組織としても49人だとギリギリ中央公民館の集会室に納まった人数が多くなる
活動内容のスリム化という選択肢が・・・その答えとして用意された・・・
それは、第2次合併で榛名町と・・・76校体制になりよりその方向性に拍車が掛かった。

その中で委員会構成メンバーは、3名選出という(広報委員会も全員出向)取り決めを・・
上記の通り輪番制だった出向者を平等に一律に集まり情報共有できるシステムを構築した。
それに伴い・・・広報誌を発行という業務に特化していた広報委員会を情報委員会へと・・
これは、情報委員会という名称へ変更する事により構成の変更もより周知しやすくした。

実際・・・・年3回の広報紙制度もかわら版をタイムリーに配信(年9回程度)・・・
予算上も60万近く掛かっていたものを、現実的には市P連負担は“0”にしました。
今は、そのかわら版の全戸配布(単P会員へ)をお願いする意味で用紙の配布を実施中。
広報紙を発行するための編集会議や校正会議、取材という会議は激減をしたと思います。
情報委員会の名の通り・・・情報交換という部分でのスタンスは継続中です・・・・
途中経過では、出向者の方の経験上の温度差(会長経験者からPTA初心者)・・・
持っている情報量や経験値の差・・・・これは副委員長さんの手腕で乗り切った??・・
今は、かわら版にそれぞれの単P事情を情報として提供というスタイルに・・・
今後はHPの充実と市P連自体の発信の部分の有効利用の部分も期待しています。

今、研修委員会話を数行かいて・・
今日のページ数では到底終わらないという事が解りました。(笑)
研修委員会、母親委員会・・・その他研究集会話は後ほどですね。・・・・たっぷりと

基本的なスタンスとして・・・
市P連自体が形や形式にこだわってフットワークの悪い団体になってはいけない・・・
試行錯誤を繰り返しながら時代の流れにあった?ある意味先取り?をしながらの運営
そういったものを“こころ”がけて行くことが必要なのではと感じます。

と同時に・・・・
変えてはいけない伝統や歴史を継承していく“つとめ”もあるのかなと・・・・
難しいのは、その線引きなんでしょうが・・・49→67→75→76というこの2年間での変遷
49校当時は一つの市の歴史を背負っていただけだった・・今は1市5町村・・・
平成20年度は、ある意味その合併が一区切りした中での本当の意味での新しいスタート?
いい意味でいえばチャンス?なのでは・・・・と思います。

“こころ”の整理・・・
私自身の役割は、昨日の臨時総会の時点で、牽引者という立場から後押しをする立場へ
しっかりと変わったんだなという実感を受けました。・・・
市P連の会長の任期が1年、ただし暗黙で2年という部分・・これは“個”ではなく
“役”という部分の伝承・・・マンパワーではなく組織力の継承が市P連なんだ・・
この事をしっかり踏まえた中で顧問としての関わりを来年度持ちたいと思います。

改めまして2年間お世話になりました。・・・残された12日間の任期、全うしたいです。
相変わらず思いのまま綴ってしまいました・・・皆さんお疲れ様でした。