8/11
今年の山の日は”蔵王”へ
出かけてみた。
斎藤茂吉の歌碑が立つ熊野岳山頂は雲に覆われていた。
”陸奥をふたわけざまに
そびえたまふ
蔵王の山の 雲の中にたつ”
夏の蔵王はやませの影響から、
いつも雲がわきたち晴れることが少ない。
今回もカメラ機材の操作、
撮影練習。
高校山岳部の時に一番多く登った
山が蔵王だ。
高校生の頃はよく個人山行に出かけていた。
木曜日、古典か漢文の授業中に教科書を立てて、
登山計画書をよく書ていた。
顧問の先生に計画書をチェックしてもらい、金曜日に準備、食料買い出しをして
当時は土曜日も授業があったのでザックを背負って登校。
授業が終わると部室で着替え蔵王の山へ。
山の好きな顧問の先生に鍛えられよく歩いた記憶がある。
高校生のころは年間50日近く山に登っていた。
記憶にある高校の時の個人山行、
1年生の夏はじめて鳥海山に登り、その魅力にはまり何度も足を運ぶ。
2年生の夏山合宿の朝日連峰縦走が天候悪化で途中下山となり、
2週間後朝日連峰縦走をテント担いで単独山行。
高校生の頃は加藤文太郎に憧れていた時期があったので単独山行にも興味があった。
高校生の頃の山の本といえば新田次郎だった、
2年生のころから山岳雑誌”山と渓谷”や”岳人”を定期購読するようになった。
友人の紹介で他校の山岳部のUと知り合いよく二人で山に出かけていた。
その友人は10年前に突然病で他界してしまった。
残雪期蔵王全山縦走、2月末の鳥海山登山。
3年生の時年間山行日数60日。
高校三年生になると同級生は受験勉強のため山から遠ざかって行った、
わたくしはUと相変わらず山に登り、山で少しではあるが酒も飲んだ。
今どきの高校山岳部は個人山行が禁止されている部もあると聞く。
山登りはもっと自由でいいのにと思いながら久しぶりに蔵王の山を楽しんできた。