10月26日
本格的な冬に入る前に、佐渡の山へ下見をと予定していたら今季一番の冬型となってしまい中止。天気の良い山へと方向転換。冬型なので太平洋側の山へと、登ったことのない福島と宮城県境にある霊山へ出かかけてみた。紅葉は来週辺りが見頃でしょう。
霊山(りょうぜん)は、福島県伊達市(旧霊山町)と相馬市との境にそびえる標高825メートルの山。国の名勝、日本百景、およびうつくしま百名山に指定されている。また、南北朝時代の重要な城跡遺構として国の史跡にも指定されている。この山は平安時代初期に円仁によって開かれ、天台宗の拠点として栄え、最盛期は3600坊いたといわれる。
霊山城:南北朝時代の延元2年(1337年)、北畠顕家が霊山城を築き義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国の国府を置くなど、奥羽地方における南朝方の一大拠点として機能した。しかし、北朝方が優勢になるにつれ、霊山の南朝軍も追い詰められていき、正平2年(1347年)、ついに落城した。以後、霊山が歴史の表舞台に現れることはなかった。域内の日枝社観音堂は往時をしのぶ遺構とされる。
なお、山頂部分(国司舘跡)には現在も当時のものと思われる礎石が残されている。(ウィキペデイアフリー百科事典より)
10月22日~24日 天気予報では、前線が南下して夕方には晴れるとのこと、 山の天気なので、予報通りに・・・。気温は3度やはりす涼しいです。 硫黄岳からの展望です。
旅行社から頂いた仕事で、本沢温泉から硫黄岳、天狗岳、唐澤鉱泉を歩いてきました。
22日は、新宿を朝のあずさ号に乗り途中で昼食、午後3時半には本沢温泉に到着です。
放射冷却で、朝はかなり冷え込み体を温めながらのんびりと夏沢峠まで歩きました。峠の小屋の軒先にはツララが、小屋にはモモンガが顔を出していました。
現在、立替工事中の根石山荘でカレーライスの昼食をいただき、天狗岳を目指しました。
ここから、一気に標高を下げ、唐澤鉱泉まで単調なくだりが続きます。
23日 唐澤鉱泉から新宿までバスと列車で移動です。バス時間を待つ間、唐澤鉱泉の源泉や敷地裏にあるヒカリゴケを見てきましたが、残念、この時期は光っていませんでした。八ヶ岳=冬山のイメージをお持ちの方もいらっしゃいますが、
10月11日~15日
11日
相変わらず、忙しい日々が続いています。12日からの乗鞍岳、焼岳の仕事の為、11日朝10時ころから飛騨高山へ移動、三連休最終日各地で渋滞が発生何とか回避しながら夜7時に市内へ到着、あつかましくも飛騨山岳ガイド協会の重鎮宅に泊めていただきました。
12日
高山ラーメンが美味しい教えていただき、駅前で高山ラーメンを食べ、ゲストの方々と合流。自動車道日本最高地乗鞍岳・畳平へ向かいました。本日は、昨年、熊が侵入した畳平・銀嶺荘に宿泊です。
13日
朝食前に、乗鞍岳を往復。高山駅で他のメンバーと合流、今度は平湯から上高地へと向かいました。明神池まで散策、糸屋さんこと“西糸屋”に宿泊です。
14日
今日は、上高地から焼岳、中尾温泉へ下山です。
15日
朴葉味噌の朝食をいただき、一路山形へと帰ってきました。
10月6日~9日
このエリアは、東北地方の南部に位置し、奥羽山脈の一角を占める磐梯山、吾妻連峰、安達太良連峰は、火山で形成された山脈で、標高が1500mから2000mクラスの中級山岳エリアです。
今年、活動が活発化した一切経山の水蒸気の様子。
今回は、裏磐梯エリアにある山の好きなご夫妻の経営する「ペンションパレット」をベースに秋の磐梯・吾妻エリアを歩いてきました、美味しい食事のお陰で4日間山に登っても疲れることもなく楽しむことができました。紅葉の見頃にめぐりあうことができ、ブナ、ダケカンバ、ミズナラなどの黄、ナナカマド、ウルシ、ドウダンツツジ、クロマメノキなどの深紅、オオシラビソ、コメツガ、ゴヨウマツなどの深緑、ササの淡緑、草紅葉が見事なコントラストを見せていました、まさに織り成すという言葉が相応しい抽象画のような風景が広がっていました。余計な、コメントは不要と思います、秋の山を楽しんでください。
10月6日 安達太良山
10月8日 西吾妻(天元台~グランデコ)
9日は、雪が近くまで降りてきそうな冷たい雨の日でしたが、美しい紅葉が広がりホッとする一日でした。
東北の山へお出かけの際は、防寒対策、気象の急変、日没時間にお気をつけてください。
10月2日
前回の一般公開講座の実践編です。蔵王の火山活動の様子を地元山形大学の先生に解説いただきながら熊野岳まで歩いてきました。私の役割は、参加者の安全確保と簡単な登山教室の予定でした。事前打ち合わせが充分でなかったこと、極限られた時間内で地質の話しと登山の話しの両立には当然無理があり、用意していた話の半分も話せずタイムアウトア、ちょっと残念でした。
でも、お陰様で大変貴重な機会に出会うことができました。蔵王が100万年も以前から火山活動を繰り返し、記録の残っている過去1000年だけでも100年に一度の割合で噴火を繰り返していたこと、最後の活動が1897年とまだ生きている火山なのだということを教えていただきました。そろそろ次の100年を迎えているのですが、先生の話では、お釜の水温、噴気孔の温度に変化がないとのことしばらくは火山活動はないようです。山形盆地は周囲を火山の山に囲まれている世界でも稀な地形であること、熊野岳周辺に残る1897年噴火の生々しい痕跡など今まで知らないことばかりを教えていただきました。あらためて、眺めるとたおやかな蔵王とは違って荒々しい蔵王本来の姿がみえるような思いがしました。地質の話も興味深かったのですが、100年の間に40数センチも土壌が堆積するスピードの速さにも驚かされました。南蔵王で深刻な登山道荒廃を食い止めるヒントがあるかなと興味が湧いてしまいました、次回の植物の話にはぜひ参加してみたいなと思いながら、さわやかな紅葉と秋晴れの蔵王を楽しんできました。
9月25日~26日 25日は台風の影響でかなりの強風が吹き、しばらく風待ちをしてからのスタートとなりました。
わたくしが所属している、もう一つのガイド団体月山朝日ガイド協会の主催事業“月山八方七口を登る”プラン。通称月山越えと呼ばれている、月山を登るコースの中でも月山・姥沢口~肘折温泉までの30数キロのコースを1泊2日で歩いてきました。
それでも、翌日はキノコがブナの林には顔をだし、ブナハリダケ、ナメコと遭遇、このときばかりは、みなさん無言になり袋いっぱいにキノコを詰めていました。オニシオガマが咲いていたり、キノコが出ていたりと温暖化の影響なのでしょうか、山が変わってきています。
このコースは春のスキーツアーで滑ったこともあります、歩いても、滑っても長いコースでした。
9月24日
久しぶりに、分単位であわただしく動き回った。
午前中は、諸般の事情から年内に引っ越すことになり、その転居先住宅の契約に、その帰りには、車検切れを機会に買い替えを予定していた31万キロ走行ので車が、最後の悲鳴を挙げとうとうオートマが故障、急いで代車を借り、午後からは明日からの月山縦走の打ち合わせ、これも“ご縁”なのでしょうか夜から、我が愚息、覇気のない“草食系男子”が通っている山形の四年制大学の事業「蔵王マイスター」という一般公開講座で登山のリスクについての話しを頼まれ、2時間も似合わぬ話をと本当に忙しい一日でした。
9月23日
高校からの山仲間で親友のUが昨年49歳で逝去、昏睡状態のUにはかろうじて面会できたが、彼の葬儀もガイドと重なり参列することができなかった。Uとは違う高校に通っていたが、わたくしの同じクラスにいた彼の幼馴染Oの紹介で山へ一緒に通うようになった。Uの一周忌には線香を、新盆には・・・と思いつつ、とうとう秋の彼岸になってしまった。高校山岳部からずっと付き合っている親友Sも同じ思いだったようだ。S、Oの三人が相談するでもなく、彼岸のこの日に一緒に手を合わせられるのも、偶然なのだろうか、亡くなったUの引き合わせなのだろうか。
わたくしは、義父の一周忌の帰りに立ち寄った善光寺で線香を買い、彼の仏壇に、Oは花を、Sは菓子を供えることができた。
また来年も3人で、近況を語り合うのが楽しみになった。